徳川 銀之丞(とくがわ ぎんのじょう、天保3年3月5日(1832年4月5日) - 天保4年12月6日(1834年1月15日))とは、江戸時代後期の徳川将軍家の一族。
父は江戸幕府の第12代征夷大将軍(当時は将軍世子)・徳川家慶で9男。母は側室・筆(殊妙院)。第13代将軍・徳川家定の異母弟に当たる。
天保3年(1832年)3月5日に江戸城西の丸で生まれ、3月11日に銀之丞と命名される。5月21日に色直しの儀が行なわれた。
天保4年(1833年)12月6日、江戸城で死去した。2歳没。12月10日に江戸城を出棺し、寛永寺に葬送された。法名は彩洸院智月恵照大童子。