徳川 直丸(とくがわ なおまる、文政12年6月25日(1829年7月25日) - 文政13年7月8日(1830年8月25日))とは、江戸時代後期の徳川将軍家の一族。
父は江戸幕府の第12代征夷大将軍(当時は将軍世子)・徳川家慶で8男。母は側室・筆(殊妙院)。第13代将軍・徳川家定の異母弟に当たる。
文政12年(1829年)6月25日に江戸城西の丸で生まれ、7月2日に七夜の儀が行われ、直丸と命名される。9月1日に色直しの儀が行なわれる。
文政13年(1830年)7月8日、江戸城において死去した。2歳没。7月10日に江戸城を出棺し、寛永寺に葬送された。法名は詮量院法涛湛如大童子。