七日市陣屋
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七日市陣屋(なのかいちじんや)とは、現在の群馬県富岡市七日市1425-1に存在した陣屋である。前田家陣屋(まえだけじんや)とも言われる場合がある。
概要[編集]
現在の群馬県立富岡高校の構内が、かつて七日市陣屋のあった場所である。この陣屋は江戸時代に成立した七日市藩1万石の藩庁であった。
そもそもの起こりは安土桃山時代、豊臣秀吉の死後に次の覇者を目指した徳川家康が、自身と対等の勢力を誇っていた前田利家の死後、前田氏を牽制するために自身の暗殺事件を計画したとして利家の後継者である前田利長に嫌疑を申し付けたことに始まる。この嫌疑を受けて利長は家康に屈し、自身の母である芳春院と異母弟の前田利孝を人質として家康に差し出した。家康・そして徳川秀忠は前田氏との結びつきを強化するため、この利孝を重んじ、元和2年(1616年)に秀忠は利孝に対して1万石の所領を七日市で与え、利孝はその初代藩主として入部した。
以後、12代にわたって七日市は前田氏が治めた。この前田氏は加賀藩100万石の前田氏の分家として、その参勤交代の際には中継地として利用されることも多かったという。
明治6年(1873年)には明治天皇の皇后・一条美子と皇太后・九条夙子の富岡製糸場行啓の際には、その宿舎所に当てられている。なお、この2人が宿泊した部屋は現在も当時のまま保存されている。
現在の遺構には250年にわたって続いた七日市藩の黒塗りの表門や御殿造の本屋(いずれも天保14年(1843年)再建、登録文化財)等が現存している。