加賀藩

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加賀藩(かがはん)とは、加賀国能登国越中国北陸地方の大半を支配した江戸時代である。その石高から加賀100万石の異名で知られるが、実際は102万5千石である。この石高は日本の全ての大名の中でも江戸幕府を除くと最高の石高である。藩主家は外様大名前田氏。別名を金沢藩(かなざわはん)、前田藩(まえだはん)ともいう。現在の石川県金沢市に存在した藩であり、藩庁は金沢城

概要[編集]

立藩[編集]

藩祖の前田利家織田信長、そして豊臣秀吉に仕えて豊臣政権下では徳川家康と並ぶ実力者となり、五大老に列した。慶長3年(1598年)8月の秀吉の死後、利家は豊臣秀頼の後見人となって秀頼を守り立てていたが、慶長4年(1599年)に死去し、天下の覇権はその翌年に発生した関ヶ原の戦いで家康が手にすることになった。利家の死後、後継者の前田利長は家康に従い、関ヶ原でも東軍に属したので戦後に丹羽・山口領を加増された。利長は再検地により高直しで122万石を申告したが幕府は認めず、119万5千石の加賀藩が立藩することになった。

第2代藩主・前田利常正室徳川秀忠の娘を迎えて徳川氏の親族となり、改作法を定めるなどして藩政の基礎を固めた。寛永16年(1639年)、利常は隠居するにあたり、次男の前田利次越中国富山藩10万石、3男の前田利次に加賀国大聖寺藩7万石を分与し、支藩を創設している。

藩政の危機[編集]

利常の孫で第4代藩主の前田綱紀は祖父・利常や舅の保科正之の後見を受けながら藩政を展開し、木下順庵室鳩巣ら学者が招聘され、加賀国は一大文化サロンと化して「加賀は天下の書府なり」とまで謳われた。綱紀の時代が半世紀以上に及ぶ長期政権だったのと、臣従したものの能登鹿島半郡の領主権を保持した長元連を強制隠居させて領主権を取り上げて、領内全域に改作法を導入したため藩政が安定し、18世紀初頭の時点で加賀100万石と言われた加賀藩の実高は130万石に及んでおり、藩の貯金も9億貫に及ぶほど豊かで、全盛期を迎えていた。

ところが綱紀の死後、第5代藩主の前田吉徳の時代になると急速に藩政は下り坂になる。藩財政は大幅な赤字財政に転落し、収入も頭打ちになり出したのである。さらに吉徳の晩年から加賀騒動と言われる御家騒動まで勃発して藩政は混乱を極め、宝暦4年(1754年)の時点で赤字額と加賀藩の1年分の収入が同程度となる銀6700貫余という状態になっていた。これを何とかするため、加賀藩は宝暦5年(1755年)に藩札の発行に踏み切るが、逆にこれで物価の騰貴を招いて銀札崩れと称される打ちこわしまで藩内では頻発し、結局10か月ほどで藩札を停止せざるを得なくなった。

その後も加賀藩では度重なる倹約令を出したりしたが効果はなく、天明5年(1785年)には御改法といわれる徳政令を発令するも効果はなく、やむなく藩士から上米をして藩財政を再建しようとしたが効果はほとんど見られなかった。この頃になるとかつて全盛を誇った加賀藩の隆盛は全く見られず、農村は困窮して村を捨てて都市部に逃亡してくる者も相次ぎ、また地震凶作などの天災も相次いで藩政は完全に行き詰まっていた。

幕末[編集]

このような中で歴代藩主は藩政改革を行なって藩財政の再建を目指したが、歴代藩主や家臣の中に有能な人材が現れず、いずれも効果は上がらなかった。藩政改革もことごとく失敗に終わり、安政年間には大規模な打ちこわしも発生し(加賀藩の安政義民)、加賀藩の権威は全く失墜していた。

また、前田氏は歴代藩主が徳川氏と姻戚関係を結んでいた上に、藩士の中にも有能な人材が現れず、隣藩福井藩の三岡八郎のような明治維新に影響力を持つ人材を加賀・能登から輩出できなかった。そのため、国内最大の藩であったにも関わらず、幕末の動乱の中で主導的な役割を果たすことができなかった。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いの際にも当初は幕府方に味方する始末で、情勢すら掴めていない動きが目立ったまま、維新後の版籍奉還を迎えた。

明治4年(1871年)、廃藩置県によって加賀藩は消滅。金沢、大聖寺、新川各県に移行した。

廃藩置県後の旧加賀藩士の一部は、政府を下野した西郷隆盛の影響で、反明治政府の気風を持つ不平士族となり、西南戦争終結翌年の明治11年(1878年)に、大久保利通を暗殺する紀尾井町の変を起こした。

歴代藩主[編集]

前田家
  1. 利長
  2. 利常
  3. 光高
  4. 綱紀
  5. 吉徳
  6. 宗辰
  7. 重煕
  8. 重靖
  9. 重教
  10. 治脩
  11. 斉広
  12. 斉泰
  13. 慶寧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]