地下鉄サリン事件
サリンを撒かれた203系のマト67編成 | |
日付 | 1995年3月20日 |
時間 | 午前9時16分頃 |
場所 | 東京都帝都高速度交通営団 (現在の東京メトロ) |
死者 | 14名 |
負傷者 | 重軽症6000人以上 |
原因 | サリンの散布 |
備考 | 散布した動機は教団側にとって 「救済措置」 |
地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件である。海外では「Tokyo Attack」と呼ばれている[1]。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件[2]。
概要[編集]
宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内(合計5車両)で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のない事件であり、国内外に大きな衝撃、影響を与えた。
毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで『オウム3大事件』(-さんだいじけん)[3]と表現されている。
地下鉄サリン事件で使用された液体は純度が低く混合液で、その内サリンは30%程度であることが判明している。このためヘキサンなどに由来する異臭が発生した[4]。なお純度の高いものは無色無臭で、皮膚からも体内に浸透する。これに関して、麻原は「純度は低くてもかまわない」と信者に言い、純度よりも攻撃を最優先させたのではないかとされている(純度が高いものが使用されていたら死者が数千人以上出ていたと推定されている[注 1])。
この事件では闘病の末に令和2年(2020年)3月に死去した女性を含めて14名が死亡し、6000人以上が重軽症を負っている。
刑事裁判において、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を名乗った松本智津夫が、警察の強制捜査を阻止しようと阪神大震災に匹敵する大惨事を引き起こし、東京都心を大混乱に陥れるために企てたと認定された。裁判では松本や中川智正をはじめとした10名の死刑、5名の無期懲役が確定し、平成30年(2018年)7月に死刑が執行されている。
背景[編集]
この事件は、政府の転覆などの特定の政治的な理念・イデオロギー・思想を達成するための革命やテロリズムやクーデターではない。ヘブンズ・ゲート事件のような信者の救済を目的とする集団自殺でもない。この事件は、オウム真理教によるいわば「非信者の救済を目的とする集団他殺」である。
この事件は警察捜査の攪乱を狙うテロルであると警察側は長い間考えてきた。しかし、この事件は、全ての非信者をポア(転生)させることで救済するという目的で、教団により事件のかなり前から壮大で長期的な計画として予定されていたものが、教団とサリンの関係を嗅ぎつけた警察による強制捜査の可能性が出てきたことにより、教団側が「救済」を前倒ししたものであることが分かっている[5]。
教団側の当初の計画では、莫大な量の毒物によって、オウム信者以外の人間すべて(霞ヶ関・国会議事堂・永田町・警視庁などの政府職員だけでなく全ての非信者)を殺害することになっていた。公証人役場事務長逮捕監禁致死事件と坂本堤弁護士一家殺害事件をその壮大な計画の手始めとして、大規模な殺戮を行うことが計画されていたが、実施時期の前倒しにより殺戮の規模は当初の計画に比べると小規模となったようである。
都市伝説[編集]
北朝鮮の工作員がオウム真理教のサリン製造に関与していたという都市伝説があったが[注 2]、元韓国国家安全企画部(現・国家情報院)部員の韓国系日本人が近年著した書籍によると、そのサリンは日本国外から持ち込まれたものと合わせて、現在日本本土に保管されているという[注 2]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ Japan executes seven cult leaders behind Tokyo Sarin attacks - BBC NEWS
- ↑ 警察白書にある表記
- ↑ オウム全公判終結(2011年11月) - 毎日jp
- ↑ 毎日新聞社会部『恩讐の師弟対決―オウム「教祖」法廷全記録〈1〉 』 1997年 p.352
- ↑ 「未解決事件 file.02 オウム真理教」(NHK) (2012年5月26日・同27日放送)
関連項目[編集]
鉄道での事件・事故 |