東海道新幹線焼身自殺事件
日付 | 2015年6月30日 |
時間 | 午前11時30分頃 |
場所 | 神奈川県小田原市 |
死者 | 女性1人、男性1人(犯人) |
負傷者 | 重軽傷26人 |
原因 | 被疑者死亡のため不明 (年金が少なく生活苦だった可能性) |
犯人 | 当時71歳の男性 |
備考 | 犯人は焼身自殺により死亡済み |
東海道新幹線焼身自殺事件(とうかいどうしんかんせんしょうしんじさつじけん)とは、2015年6月30日午前11時30分頃に東海道新幹線のぞみ225号で発生した事件である[1]。
概要[編集]
事件[編集]
2015年6月30日午前11時30分頃、神奈川県小田原市を走行中だった(正確に言うと新横浜から小田原間)東京発大阪行きの東海道新幹線のぞみ225号で、先頭を走る1号車の前から3列目付近に乗っていた職業不詳の男H(当時71歳)が油のような液体をかぶったり周囲に撒いたりしてライターで火をつけた。乗務員が消火器などで消し止めたが、Hは1号車の先頭付近で焼死した。この焼身自殺で発生した火災により、1号車と2号車とのデッキで心肺停止状態で発見された女性K(当時52歳)が煙を吸ったため搬送先の病院で死亡が確認され、26人が喉に火傷を負うなど重軽傷を負った[1]。
目撃者によると、Hは火をつける直前に1号車最前列にいた60代の女性の乗客に「拾ったからあげる」と1000円札を数枚差し出し、女性がいらないと話すと液体をかぶった。女性は「やめなさい」と言ったが、Hは「貴方も逃げなさい」と答えたとされ、女性が逃げながら振り返るとHが燃えていたという。またHは別の男性に煙草を勧めたが断られ、男性からあっちに行けと言われたという。現場にはライターと溶けたポリタンクがあったが、遺書は見つかっていない。別の目撃者によると、Hは1号車内を行ったり来たりしてうろついていたとされ[2]、前方のデッキから白いポリタンクを担いで来たという。事件が起きると「火がついた」「逃げろ」「早く逃げろ、焼身自殺だ」と車内は大混乱し、熱と煙で乗客は後方に逃げたという。2両目にいた乗客の証言では、1両目のドアが開いたままで天井近くまで激しく炎が燃え上がっているのが見えたとされ、1両目から逃げて来た女性は顔をすすで黒くしていたという[1]。
影響[編集]
この事件により、のぞみ225号は緊急停止し、JR東海は午後2時過ぎに車両を走行させて乗客を小田原駅まで運び、後続の列車に振り分けるなどした。また、新幹線のダイヤは大きく乱れ、各地の新幹線駅は長時間足止めされた利用者らでごった返すことになった[1]。またこの事件はテロ対策の観点からも鉄道における大きな課題を突き付けられる格好になった。2020年に東京オリンピックやパラリンピックを控えているだけに、乗客の荷物検査などの問題が浮上している。なお、ガソリンなど可燃性液体の持ち込みは鉄道営業法などに基づき原則禁止されている。軍事ジャーナリストの世良光弘によると今回の事件は新幹線がテロの標的になりうることを実証したとされ、新幹線そのものは安全だとしても人為的な脅威には脆弱だと改めて示されたという。新幹線の先頭は極めて危険とされ、どの車両で問題が起きているのかすぐに伝えられるシステムを作ることが必要で、鉄道警察隊の人員を増やし、不審者に声をかける体制を整え、車両ごとに車掌と連絡を取れるインターホンを設置する必要性があるとされている[2]。
なお、海外では運行本数の違いこそあれ、相次ぐテロへの対策として高速鉄道の主要駅などで乗客の荷物検査を行なっているケースがあり、イギリスのロンドンとフランスのパリやベルギーのブリュッセルを結ぶ高速鉄道・ユーロスターでは駅で乗客のパスポートを確認する際に荷物検査を実施している[2]。
この事件を受けてJR東海は7月2日から新幹線の車内や駅構内の電光掲示板で利用客向けに「不審な行為」の通報を求める内容のテロップを追加した[3]。車内放送、駅構内のアナウンスも同様に改めている[3]。
さらにこの放火事件を受けて、JR東海とJR西日本は7月6日に東海道・山陽新幹線の車両の客室内とデッキの通路方向に、常時撮影する防犯カメラを新たに設置することを発表した[4]。これまでは車両のデッキの乗降口方向に防犯カメラを設置していたが、今後は客室前方と後方にある出入り口の上部に1台ずつ設置し、客室全体を撮影できるようにする[4]。トイレや喫煙ルームなどがあるデッキの通路にも1台ずつ新設し、1編成で16両の場合、現在の60台から105台に増える。映像は常時録画し、乗務員が車両のモニターでも確認できる[4]。2018年度までに新たに導入する11編成と、既存車両125編成を改修し、計136編成に設置。同年度に運行予定の全編成の9割に当たる[4]。乗客が数時間過ごすこともある客室内の撮影についてはプライバシー侵害の恐れもあるが、このことに関してJR東海の社長の柘植康英は「録画した映像の利用目的や取り扱う職員は限定する」「記録は重要な個人情報なので厳重に管理し、プライバシーの問題はない」と強調して理解を求めている[4]。JR九州でも同日、放火事件を受けて東海道新幹線と同型式の車両について客室内に防犯カメラを設置する方向で検討していると明らかにした[4]。
「不満買取センター」(東京)が実施したネットアンケートによると、新幹線の安全管理体制に不安を抱いている人が急増しており、1448人(2687人)に新幹線への不満を聞いたところ「自殺事件などの事故が怖い」との回答が218件に上り、焼身自殺や毒ガステロなどで窓が開けられないことで換気ができなかったりするのが問題ではと排煙対策を懸念する声が目立っているという[5]。また模倣犯やテロの心配から飛行機のようにチェックすることを望む声も多く、新幹線に対する不満では「座席の配置が不便」(364件)、「料金が高い」(236件)が続いた[5]。
2015年9月9日、JR東日本と西日本は東北、秋田、山形、上越、北陸各新幹線の半数以上の車両で2016年春から防犯カメラによる常時撮影と録画を順次開始すると発表した[6]。
被疑者に関して[編集]
この事件で焼身自殺した被疑者Hは東京駅の防犯カメラに写っていたことから、東京駅からのぞみに乗車していたことが明らかになっている。火をつけたのは新横浜駅を出て20分後のことであった[2]。Hの自宅近くのガソリンスタンドの関係者によると、事件前日の6月29日昼頃にHがポリタンクを持ってガソリンを買いに来たという。関係者はガソリンは金属製の携行缶でないと給油できないので断ったという。この近くにはセルフ式のスタンドも複数あり、警察は防犯ビデオや販売記録の確認を進めてHのガソリン及び携行缶の購入経緯を調べている。火災があった1号車の車内カメラによると、Hはリュックサックから10リットル入りぐらいの白っぽい透明なポリタンクを取り出しており、液体はガソリンであった可能性が濃厚になっている。7月1日に行なわれた司法解剖ではHの死因は焼死であった[7]。なお、リュックサックの中にあった手帳には「年金相談」という文字と電話番号が書かれた紙が挟まれていた[8](他に歯ブラシや煙草が入っていたという[9])。
動機に関しては被疑者死亡のため確実ではないがHは事件の1年前まで清掃会社で働いていたとされ、仕事を辞めてから年金が少なく生活できないとたびたび年金の受給額に不満を漏らしていた[2][8][10]。近所の女性の証言ではHは2カ月ごとに支払われる年金の額について「35年間払っているのに24万円しかもらえない。税金や光熱費を引くとほとんどのこらない」と話していたという。アパートの大家の男性の証言によるとHの部屋は風呂なしの2Kで家賃は4万円前後、これまで滞納はなかったが、1年前に家賃を下げてほしいと頼まれて1000円ほど引き下げたという。その頃から家賃は2カ月分をまとめて振り込むことになったが、2015年6月と7月分の振り込みは無かったという。2015年初めまでHが通っていた銭湯の常連客によると、Hは東北出身(岩手県とされる)で、実家に月9万の仕送り(東日本大震災で被害を受けた親戚への仕送りか?)をしている、と話していたとされる。知人によるとHの人柄は良かったとされ、中華料理店の女性は「(Hが)酔っ払ってくることが多かったが、陽気な人だった」とされ、パチンコ好きで15年ほど前には勝ったといい、店員にビールを御馳走したり小遣いを渡すこともあったという。被疑者のアパート近くの商店店主によると、事件の3、4日前に買い物に来ていたが、変わった様子はなかったという。1箱250円の煙草やアイス、発泡酒を購入していたとされ、酒を購入する際に「これがないと眠れない」と話していたという。また、6月中旬には杉並区議に電話で「家賃が払えていない」などと相談していたという[7]。なお、知人によると「年金事務所で首でもつろうか」と自殺をほのめかしていたと言う[10]。
Hは近隣住民との付き合いはほとんど無く、怒鳴り声を上げたりする粗暴な一面もあったとされる[2]。7月1日に殺人と現住建造物放火の疑いで神奈川県警は東京都杉並区のアパート1階(築48年、2階建て[9])のHの部屋を家宅捜索し、玄関を入ってすぐのトイレからはガソリン運搬用の金属製の携行缶(容量20リットル)が押収されている[8]。なお、事件前日の昼過ぎにHが白っぽい透明なポリタンクを所持しているのを見た知人が「暑いのにどうして(燃料が)必要なのか」と聞いたが明確な返答は無かったという[10]。半年前には酔って帰宅したHが鍵が見つからず、窓ガラスを割って部屋に入る騒動を起こしたとされ、室内には段ボール箱がいっぱいでまともに暮らせる状態ではなく、身内らしき人物と金銭問題で電話で口論するなどの奇行も目撃されている[9]。
Hは小柄でいつも帽子をかぶっていたので、周囲から「スーパーマリオ」みたいと言われていた[9]。30年ほど前は流しの演歌歌手で、常連の居酒屋で野球チームを作っていたとされ、25年前に所属チームで記念撮影した写真も残っている[10]。他にHは解体作業員や幼稚園の送迎バス運転手などをしていた時期があったとされる。
Hは事件の前日に東京発掛川行きの乗車券とガソリンを購入していた[3]。
Hはガソリンが入ったポリタンクを1号車前方のデッキでリュックサックから取り出したことが明らかになっており、他の客から見えにくい場所を選んだ可能性があると見られている[11]。
被害者に関して[編集]
被害者の女性Kは横浜市の整体師で、7月1日の司法解剖によると死因は高温の気体を吸い込んだ気道熱傷による窒息死だったという[7]。Kのフェイスブックによると「平穏無事のお礼参りに伊勢神宮へ伺います」と書き込まれていた。この書き込みは6月30日午前11時27分。つまり事件が起こるわずか3分前のことだった。事件後のコメント欄では「どうか返事をください」という知人からの書き込みが多数寄せられていた。28歳の同僚の証言によると、「丁寧に楽しそうに仕事をする姿が印象的。お客様が連れて来た子供が泣いている時には抱いてあやすなど細やかな気配りのできる人だった」と述べている。また、フェイスブックの自己紹介欄には「私の夢は、人の心と体の痛みを治す人になること」と記していた[8]。
Kの葬儀・告別式の際、喪主の夫はKに「甘えん坊の息子を育ててくれてありがとう」と呼び掛けた[11]。
脚注[編集]
- ↑ a b c d 日本経済新聞、2015年7月1日、39面
- ↑ a b c d e f 夕刊フジ、2015年7月2日、3面
- ↑ a b c 日本経済新聞、2015年7月3日、35面
- ↑ a b c d e f 日本経済新聞、2015年7月7日、35面
- ↑ a b 産経新聞、2015年7月23日、26面
- ↑ 日本経済新聞、2015年9月10日、42面
- ↑ a b c 日刊スポーツ、2015年7月2日、19面
- ↑ a b c d 日本経済新聞、2015年7月2日、39面
- ↑ a b c d 日刊ゲンダイ、2015年7月2日、4面
- ↑ a b c d デイリースポーツ、2015年7月2日、19面
- ↑ a b 日刊スポーツ、2015年7月7日、20面
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