営団地下鉄東西線列車横転事故

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#営団地下鉄東西線列車横転事故の項目をおカタく解説しています。

営団地下鉄東西線列車横転事故とは、1978年(昭和53年)2月28日午後9時34分頃、営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線の荒川中川橋梁にて発生した事故である。

概要[編集]

この事故は南砂町駅 - 葛西駅間(当時は西葛西駅は未開業)に架かる荒川中川橋梁に差し掛かった中野行快速列車が1978年の春一番を引き起こした竜巻に襲われ、西船橋側から数えて5・6・7両目が脱線。6・7号車については線路にブレーキなどの機器を残して横転した。

被害[編集]

この事故で負傷者は23人。中には物に挟まれて動けない人や、横転で「川に落ちるのでは」という恐怖に襲われた人もいたという。車両に関しては、『橋梁』という重機が全く入れない現場での事故の為、自走不可の6・7号車は現地で少しずつ解体された。河川に転落しなかったのはこの橋梁下路トラス橋だったためである。

原因[編集]

原因の殆どは前述した竜巻や車両の重量(横転した7号車は重量が27.5tであり、当時としては軽量化が進んでいた)とされているが、実は営団地下鉄の判断ミスも事故の一因とされている。そもそも、当時の営団は「強風のリスクもあるかもしれない」と橋梁をはじめとする地上部に風速計を設置して万が一の時には速度制限をかけていた。風速15m/s以上でブザーが鳴動して徐行運転、風速20m/sで一時出発見合わせ、風速25m/sを超えると無条件で運休になる仕組みであった。しかし、当時の風速は少なくとも15m/sは超えており、運転司令からの指示も無かった為当該列車は橋梁を85km/hで進入。司令所のブザー鳴動は無かったのは『局地的な強風の発生による共鳴現象』と推測されている。共鳴現象とは、『通常はいくら軽量化した列車であっても横転しないが、列車の橋梁を渡る事による揺れ(振り幅)と強風が共鳴して列車を横転させた』という意味で、強風による列車横転事故はこの共鳴現象によって起こるケースが大半だという。

同じ原因により発生した事故の例[編集]

  1. 余部鉄橋列車転落事故 - 1986年(昭和61年)12月28日午後1時26分頃発生
  2. 羽越本線特急いなほ脱線事故 - 2005年平成17年)12月25日 19時14分頃発生

関連項目[編集]

鉄道での事件・事故
国内
海外
関連項目 鉄道事故の一覧 - 鉄道事件の一覧