1874年
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1874年とは、19世紀の74年目。日本の元号では明治7年。
日本の出来事[編集]
1月[編集]
- 1月12日 - 板垣退助が愛国公党を設立する(日本最初の政党)。
- 1月14日 - 右大臣・岩倉具視が赤坂・喰違坂(東京都千代田区)で武市熊吉らにより襲撃されて負傷する(喰違の変)。
- 1月15日 - 東京警視庁が設置される。
- 1月17日 - 板垣退助・副島種臣ら愛国公党が民撰議員設立の建白書を左院に提出する。喰違の変の首謀者である武市熊吉が逮捕される。
2月[編集]
- 2月3日 - 宮内省に出仕していた加藤弘之が民撰議員設立尚早論を「日新真事誌」に掲載する。佐賀県の不平士族による佐賀の乱が発生する。
- 2月4日 - 明治政府が熊本鎮台司令長官の谷干城に対し、佐賀の乱鎮圧を命じる。
- 2月6日 - 明治政府が台湾に漂着した琉球の漁民が殺害されたことを理由に台湾出兵を決定する。
- 2月10日 - 大久保利通が佐賀の乱鎮定のため、佐賀行きを命じられる。
- 2月20日 - 大久保利通が佐賀県に到着する。
3月[編集]
- 3月13日 - 文部卿の木戸孝允が東京に女子師範学校(お茶の水女子大学)を設立することを布達する。
- 3月23日 - 日本政府が派遣した代理公使の花房義質がロシア帝国のサンクトペテルブルクに着任する。
- 3月28日 - 秩禄公債証書発行条例を定める。
4月[編集]
- 4月4日 - 台湾出兵の台湾蕃地事務都督に陸軍中将の西郷従道が任命される。
- 4月6日 - ロシアにおいてマリア・ルス号事件における日本とペルーの裁判が開始される。
- 4月9日 - 西郷従道が3600の兵士を率いて台湾出兵を強行に開始する。
- 4月10日 - 高知県で板垣退助・片岡健吉・林有造らにより政治結社・立志社の発会式を挙行する。
- 4月13日 - 佐賀の乱の首謀者である江藤新平が佐賀裁判所から死刑判決を受け、晒し首となる。
5月[編集]
6月[編集]
7月[編集]
8月[編集]
9月[編集]
10月[編集]
11月[編集]
12月[編集]
- 12月3日 - 台湾出兵の日本軍が撤兵を開始する。