武蔵国
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武蔵国(むさしのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。武州(ぶしゅう)とも呼ばれる。
概要[編集]
律令制下では、初め東山道に属したが、771年より東海道に属する。国府は現在の府中市、国分寺は現在の国分寺市に置かれた。国一宮は氷川神社(さいたま市大宮区)と小野神社(多摩市)。
安土桃山時代、徳川家康が関八州に転封になり、豊島郡(後に南豊島郡を経て豊多摩郡)江戸を根拠地にしたが、従前の根拠地の駿府城から家康が移った際は、太田道灌築城の江戸城は荒れ果て、3河川(利根川、荒川、入間川)の河口で葦やヨシの生える湿地帯だったと伝えられる。
江戸時代前期には、現在の東京都の江東区・墨田区・江戸川区・葛飾区および埼玉県の江戸川西岸(吉川市、幸手市など)を下総国から編入し、葛飾郡が創設された。
幕末は南端の久良岐郡横浜村が開港場となり、日本の文明開化の先駆けを成した重要な地となった。
江戸末期の国域はざっくり言うと、現在の埼玉県のほぼ全域、東京都23区及び多摩地域、神奈川県の川崎市及び横浜市の大部分。明治初期に1府2県に分割され、広域の多摩、豊島、足立、埼玉、葛飾の各郡は複数の郡に分割され、新座、高麗、榛沢、幡羅、男衾などの郡が他郡に吸収された。