墨田区
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概要[編集]
東京23区の東部、隅田川と荒川に挟まれたデルタ地帯に位置する。北は旧綾瀬川を挟み足立区、東は荒川を挟み葛飾区、旧中川を挟み江戸川区と接している。東から南は北十間川・横十間川・竪川を挟み一部は地続きで江東区、西は隅田川を挟み台東区、荒川区と接している。面積は13.77㎢。人口は2018年(平成30年)2月1日現在、26万9千120人[1]。
中小の工場・住宅・商店が混在する。南部をJR総武本線が東西に通り、両国駅と錦糸町駅が所在する。両国駅の北側に国技館、江戸東京博物館、東京都慰霊堂がある。錦糸町駅周辺は城東地区最大の繁華街・歓楽街で、錦糸町・亀戸副都心を形成している。北部に戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで「玉の井」「鳩の街」と呼ばれる売春地帯が存在した。2012年に区の中央部にあたる押上に東京スカイツリーが開業した。
歴史[編集]
1685年までは下総国葛飾郡の区域だった。1657年(明暦3年)の明暦の大火をきっかけに両国橋が架けられ、南部に武家屋敷や寺社、町屋が移転した。この火事の犠牲者を供養するために建立されたのが回向院である。回向院の勧進相撲が発展し、1909年(明治42年)に旧両国国技館が建設された。1954年に台東区の蔵前に移転したが、1985年(昭和60年)に両国に戻った。
明治以降は工業化が進み、農村地帯であった北部も開発が進んだが、地下水の汲み上げによる地盤低下を引き起こした。1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の東京大空襲で大きな被害を受け、多数の死傷者が出た。
1947年(昭和22年)の22区再編で向島区と本所区の区域が併合して墨田区が成立。区名は隅田川堤の通称である墨堤から「墨」、隅田川から「田」をとって名付けられた。