中国・四国地方

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中国・四国地方あるいは中四国地方とは、日本の区分の一つ。

基本情報[編集]

  • 人口 - 約1000万人
  • 面積 - 約4.5万平方km2
  • 所属数 - 6-10県、定義により異なる

概要[編集]

近畿地方九州地方に挟まれた、瀬戸内海を中心とした地域。概ね、本州西部の中国半島、および四国全島に該当する。

瀬戸内海で南北に分け、中国地方四国地方に分けることもある。しかし、いずれも太平洋側・日本海側より瀬戸内海沿岸の方が栄えており、広島県愛媛県岡山県香川県など海を挟んだ両岸同士の関係が密接であることから、あまり実態に即していない(ただし大企業の営業所、官公庁の出先機関は中国と四国で管轄を分けているケースもある)。古来より水運が発展してきた地域であり、陸運業で利益をあげることが難しく、JR四国の経営が苦しい一因にもなっている。

最大の都市は広島市だが、広島市の影響力は小さく、広島市を中心とした地域としてのカラーはあまり無い。広島、松山、岡山、高松の、瀬戸内海に面した県庁所在地4市が「四大都市」だが、岡山・高松の場合、広島志向よりは大阪志向の方が強めである。

県一覧[編集]

中国・四国地方に含まれることがあるのは、以下の10県。

特に、中国四国地方の中心をなす広島・愛媛・岡山・香川の4県は、瀬戸内地方と呼ばれることもある。

歴史[編集]

古来より、瀬戸内海を中心に栄え、一大物流網を築いていた。その中で、海賊が発展し、室町時代には村上水軍が大きな勢力を持っていた。一方、村上水軍は海の武士団であるため、中国・四国の内陸部までは影響が及ばなかった。その中で、戦国時代に毛利元就が中国半島の大部分を勢力下においた上で、村上水軍を取り込むことにも成功し、中国・四国最大の勢力となった。

一方の四国には三好長慶がいたが、瀬戸内での勢力範囲はそれほど広くなく、中四国よりは近畿地方に大きく手を伸ばし、事実上天下人となった。戦国時代末期になると土佐国に長宗我部元親が登場、沿岸部を除き四国をほぼ統一した。

その後豊臣秀吉により天下が統一され、毛利・長曾我部とも没落。以降、中国四国全体に影響を及ぼす勢力は出ていない。

文化[編集]

比較的、中四国8県の方言は語法・文法などが似通っているが、イントネーションは大きな差異がある。四国および瀬戸内海臨海部では、近畿地方と同じ京阪型アクセントが使われる一方、中国半島の大部分では東京型アクセントが使われている。

その他[編集]

関連項目[編集]

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