浦和レッズ

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
サッカーボール.jpg 浦和レッズ
正式名称 浦和レッドダイヤモンズ
英字表記 Urawa Reds
本拠地 埼玉県さいたま市緑区美園2-1
競技場 埼玉スタジアム2002
さいたま市浦和駒場スタジアム
創設年 1950年
監督 リカルド・ロドリゲス
所属リーグ Jリーグ
リーグ加盟年 1992年
2014 J1リーグ / 2位
クラブライセンス J1
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが浦和レッズの項目をおカタく解説しています。

浦和レッズ(うらわレッズ)は日本サッカーチーム。Jリーグ発足当初から加盟している 「オリジナル10」 の一つである。浦和レッズは通称で、正式名は「浦和レッドダイヤモンズ」である。

チーム名[編集]

  • 1950-1951 中日本重工
  • 1952-1957 新三菱重工神戸
  • 1958-1963 新三菱重工
  • 1964-1990 三菱重工
  • 1990-1992 三菱自動車
  • 1992-現在 浦和レッズ

優勝[編集]

順位[編集]

  • この年は、リーグ中断後も好調を維持し、一時は2位と勝点差7をつけて首位に立つものの、相変わらず槙野智章柏木陽介を筆頭にサンフレッチェ広島を経由して移籍した選手(ミシャ・チルドレン)を中心とした偏重采配に加え、「美しく勝つ」事を求めたミハイロ・ペトロヴィッチの悪い癖が出て前年同様終盤に失速。勝てば優勝決定という大一番となった第32節の勝点差5の2位G大阪との直接対決は引き分けでも優勝に大きく近づく状況だったにも関わらず勝って決めようとして0-2で敗戦、続く第33節鳥栖戦では後半アディショナルタイムのラストプレーで途中出場の小林久晃に同点ゴールを決められて痛恨の引き分け、G大阪に首位を明け渡す。最終節名古屋戦では、試合開始早々に槙野のゴールで先制するも、後半にセットプレーで牟田雄祐に押し込まれ同点に追いつかれると、自陣でのパスミスによるカウンターから永井謙佑に決勝弾を決められて逆転負けし、G大阪が既に最下位でのJ2降格が決まっている徳島に引き分けたにも関わらず西川周作がGKのJ1年間完封試合数の記録を16に更新した(それまでの記録は、93年V川崎菊池新吉、09年FC東京権田修一が記録した15)甲斐も空しく2007年に続く世紀の大失速で優勝を逃した(最初のACLを制した2007年もあと1勝すればリーグ連覇という所で、そのあと1勝を収められずに鹿島に逆転優勝を喰らっている)。12ゴールと得点源の興梠慎三が30節の鹿島戦で骨折したにも関わらず、第32節G大阪との天王山を落とした試合で強行出場させた末、右腓骨の骨折が悪化。鈴木啓太も秋以降にコンディションを落としその結果不整脈が発覚したにも関わらず、最終節名古屋戦の最終盤で3枚目の交代枠で起用してしまい、その結果永井の逆転ゴールをアシストする等ペトロヴィッチによる試合の締め方だけでなく終盤戦のマネジメントにも疑問が残る結果となり、試合後に「決してクラブや選手を批判するべきではない。選手は全力を出し尽くした結果だったと思う、下を向くようなシーズンではなかった筈だ。」と庇ったが、試合後のコメントが空しく響く程のブーイングを社長の淵田敬三が最終戦セレモニーの挨拶で浴びせられる結末となった。
  • 9月7日、西川を代表招集で欠いたヤマザキナビスコカップでは、当時リーグ戦では5連勝中と相性の良い(主力の水本裕貴皆川佑介を代表招集で欠いた)広島と2引き分け、アウェーゴールルールにより敗れた。
  • 2015
  • 2ndステージは最終的に9勝4敗4引き分けとなり、年間成績ではサンフレッチェ広島に勝ち点2及ばず勝ち点2位となったため、チャンピオンシップには準決勝から挑むこととなった。準決勝のG大阪戦は前半から一進一退の攻防ながらも無得点で折り返す。後半2分に那須のパスを森脇が受けようとして大森晃太郎にかっさらわれると、がら空きになった中央のスペースに走り込んだ今野泰幸に決められて先制されるも後半28分に柏木のコーナーキックに合わせた森脇のシュートがバーに跳ね返った所を途中出場でG大阪戦2戦2発のズラタンが詰めて同点、ロスタイムに森脇がクロスを挙げた所に武藤が合わせるも東口順昭の正面に飛んでしまい90分では1-1、延長に突入する。延長後半13分に丹羽大輝のあわやオウンゴールになるパスの後に東口、オ・ジェソク遠藤保仁パトリックと繋がれ、米倉恒貴のクロスに藤春廣輝に合わされて勝ち越されるとアディショナルタイムにフリーキックでキッカーの遠藤に一瞬の隙を突かれ浮き球のパスを送られるとラインブレイクされたパトリックに飛び出した西川より先に触られて2点目を奪われジ・エンド。3-1で敗戦し、年間順位3位でシーズンを終える事となった。試合後ペトロヴィッチは「選手に関しては、この試合で勝利するべく、非常に良く戦ってくれたと思う。これほど運に味方をされないのかという思いも、私の中にはある。」と振り返ったが、タイトルのかかった大一番では相変わらず自陣でボールを奪われての失点を重ねる等運だけでは片付けられない根本的な原因があるにも関わらず、敗因を追求しようとせずに運だけの所為にするコメントを残した。
  • その一方で、天皇杯は、順調に相手を撃破し、9年ぶりの決勝進出を果たすものの、決勝のG大阪との対戦では準決勝の柏戦でこのシーズンも出ずっぱりだった柏木が負傷した為欠場。前半32分に相手のキーマンであるパトリックが倉田秋からのフライスルーパスに抜け出されると追走していた森脇も止められずに先制を許した後、興梠のゴールで追いつき、1-1で前半を折り返す。しかし、後半8分のコーナーキックの場面でパトリックをマークしていた筈の槙野が今野にブロックされてパトリックをフリーにしてしまい勝ち越し点を奪われてそのまま試合終了。1-2で敗れ、9年ぶりの優勝を果たせなかった。試合後「見ている方としては非常に緊迫感のある好ゲームだったと思う。無冠に終わったがシーズンを通して良い戦いが出来た」とポジティブに振り返り、パトリックに2ゴールを奪われた事に対する質問では「槙野がよく対応していた」とパフォーマンスに満足感を示し、「今回もゴールこそ奪われたが、大きな問題を抱えたとは考えていない」と新年早々他人事の様なコメントを述べる始末だった。
  • 2016
  • AFCチャンピオンズリーグ2016に出場。グループHに入り、前年の王者広州恒大と1勝1分けとするなど2勝3分け1敗のグループ2位で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦ではペトロヴィッチの教え子でもある高萩洋次郎がいるFCソウルと対戦し、ホームの1stレグでは宇賀神友弥のゴールで1-0で先勝、ソウルでの2ndレグではU-23サッカー日本代表のキャプテンとして優勝に貢献した遠藤航がペナルティーエリア付近でボールを奪われるという初歩的なミスでデヤン・ダミヤノヴィッチにゴールを奪われ90分終了時0-1となり延長戦に突入。延長戦では李忠成の2ゴールで一旦は勝ち越すもこれを凌げば準々決勝進出が決まるアディショナルタイム3分のうちの2分に右サイドからカットインした高余韓(コ・ヨハン)に左足を一閃されて2試合合計3-3で追いつかれるという2年前のJリーグ最終節名古屋戦で見せたリードしている状況下における試合の締め方の拙さが再び出てしまいPK戦に突入する。PK戦では4人目までに4-3と次のキッカーが決めれば準々決勝進出が決まる状況下で5人目のキッカーに名乗りを上げたのはキーパーの西川。チームの勝敗全ての責任を背負う絶対に決めなければならない重要な局面で西川が痛恨の失敗。サドンデスまで突入して8人目の駒井善成の失敗に繋がり6-7で敗戦。2度もあった準々決勝進出のムードを自らぶち壊す羽目になった。
  • 11月3日のJ1 2ndステージ第17節横浜FM戦で引き分けて年間勝ち点順位1位(勝点74)とし、Jリーグチャンピオンシップ決勝からの出場を決めた。チャンピオンシップでは鹿島と対戦、アウェーでの1stレグは興梠がPKを誘い阿部が沈めた1点を守り切って1-0で先勝、ホームの2ndレグでは興梠のゴールで先制し2戦合計2-0とリードするものの、ロングボールへの宇賀神の稚拙な対応[1]もあって金崎夢生にダイビングヘッドで1点を返され、後半35分にはカウンターで攻める鈴木優磨を槙野がペナルティエリア内で倒してPKを献上、またも金崎に決められて1-2とされ、アウェーゴールの数により年間王者を逃した。前日会見でチャンピオンシップの規定に関して不満をこぼしながらも「ゲームを楽しんで勝利を目指す」というペトロヴィッチの発言、状況に応じた冷静な判断と意識徹底の欠如、リーグ戦でも見られたペトロヴィッチの交代枠を早めに使い切る癖と豊富でないその交代パターン、昨年のFUJI XEROX SUPER CUPやチャンピオンシップ準決勝、今年のACLベスト16第2戦でも見られたビルドアップしている状況でボールを奪われてからのカウンター、流れの中やセットプレーにおけるクロスの対応、劣勢時における槙野のパワープレーによる攻撃の空回りというここ数年リーグ制覇が出来なかった悪癖のオンパレードで、またも埼玉スタジアムで相手チームの勝利を献上。ペトロヴィッチが試合後「我々は決して、1勝1敗という結果の中では負けていない。勝点で15ポイント多く取ったチームが与えられたアドバンテージがどうだったのか」と疑問を呈する有様でFUJI XEROX SUPER CUPを含めても2つしか獲得していない指揮官自身の過去の反省が生かされていない事を露呈した。
  • 天皇杯はベスト8で川崎と対戦、興梠のゴールで先制した後は追いつかれ勝ち越してまた追いつかれの展開で最終的には120分間で3-3。PK戦は1番手の阿部以降すべて外し、4-1で敗退。
  • 2017
  • 2位に勝ち点4差をつけて首位を走っていた4月30日、NACK5スタジアムで行われた大宮アルディージャとの埼玉ダービーで、自陣で攻撃を組み立てる最中森脇良太からのパスを搔っ攫われ、カウンターを受けると江坂任からのパスを受けた茨田陽生に決められて0-1で敗戦。当時まだ勝利のなかった大宮に初勝利を献上しただけでなく、2016年のJリーグ1stステージ広島戦から続いていた公式戦連続得点記録を42で止められるという不名誉な記録もつくおまけまでついてしまった。
  • この年、ついにペトロヴィッチが監督を解任された。レッズサポーターの半分ほどがこの決断に歓喜したと言われている[要出典]

エピソード[編集]

他クラブとの関係[編集]

ガンバ大阪

ガンバ大阪もレッズも、Jリーグ開幕当初は決して強いチームとは言えなかった。しかし2004年にはレッズがJ1リーグ2ndステージで優勝しチャンピオンシップに駒を進め、翌2005年にはガンバがJ1で初優勝しレッズも天皇杯で優勝。2006年にはJ1リーグ最終節で両チームが優勝を争って直接対決し、激闘の末レッズが優勝するなどこの両チームが日本を代表するサッカーチームになっていた。

このような経緯からレッズとガンバはJリーグにおけるライバル関係である。

過去の順位[編集]


マスコット[編集]

毎試合ごとに積極的なファンサービスやパフォーマンスを行う他クラブのマスコットと異なり、浦和は「真剣勝負の場だから」というクラブ方針[2] から、マスコットをほとんど露出させていなかった。『スポーツマスコット図鑑』(綱島理友編 2009年 PHP研究所)では、「会えたらラッキー」と紹介された。レディアが登場するのは基本的に毎年1月に開催されるレッズフェスタ(ファン感謝デー)、ゴールデンウィークに開催されるファミリーJoinデイズの該当試合、J1全クラブのマスコットが集まるJリーグオールスターサッカーの余興イベント(現在はゼロックス杯に移行)、レッズランドのイベントのみである(2009年シーズンには駒場スタジアムでの試合開催日の浦和パルコや、9月の対モンテディオ山形戦の前に行われたイベントにも登場している)。このため、埼玉スタジアムには埼玉県のマスコットであるコバトンの方がレディア一家よりもやって来る回数が多い場合もある [3]

その後、観客数の減少を受けて方針を転換し、レディア達をスタジアムに登場させるようになった。[2]

2012年シーズンでは、チーム20周年を記念しレディア一家が埼玉スタジアム広場にやってくるということで、埼玉スタジアムサブグラウンドで1年に渡りサポーターと触れ合うイベントが行われる予定だったが、ホーム開幕戦から雨が続き、結局イベントは中止となった。

その結果、レディアが「雨男」扱いされてしまい、責任をとらされる形で埼玉スタジアム広場からも出入り禁止にされることになった(これにより、レディアはJ's Goalの「第1回 輝く!Jリーグマスコット大賞」ハプニング賞を受賞している[4])。その後は個人活動が続いたが10月27日セレッソ大阪戦で、ハロウィンイベント同時にディアの出入り禁止が解かれ久しぶりに一家勢ぞろいとなった。

サポーターの数ではJリーグの随一のクラブのマスコットだが、2014年のFUJI XEROX SUPER CUPに合わせて行われた「マスコット総選挙」では最下位だった[5]。以降、サポーターたちの手により敢えてレディアに最下位を取らせるのがお約束となっている[6]

他クラブと異なる点[編集]

所在地やクラブ名称のほかに、浦和レッズおよびサポーターは試合運営・サポート体制などにおいて、他のクラブとは明らかに異なる点がいくつかみられる。

  • レギュラー11人に続く12人目の意味から背番号12をサポーターズナンバーとして永久欠番としているクラブが多いが、浦和は背番号12を背番号が固定化された1997年シーズンから2014年シーズンまで選手用背番号に用いていた[7]
  • 以前は使用していたが、ゴール裏サポーターがバンデラ(襷)を使わない。
    • 例外は非常に少なく、2004年(平成16年)に、テノール歌手ラッセル・ワトソン来日時に、同年4月10日の神戸戦ハーフタイムにおいて、ジャコモ・プッチーニの歌劇『トゥーランドット』〜『誰も眠ってはならぬ』を歌った事がある程度である。
    • アウェイでも試合に直接関係しないイベントの類に、サポーターがブーイングを浴びせることがある。いくつかの例として、2006年(平成18年)エコパでの清水エスパルス戦の試合前の音楽グループの新曲発表に対するブーイング、小瀬でのヴァンフォーレ甲府戦でGK練習が始まっているのにダンスを続けた高校生に対するブーイング、2008年(平成20年)ビッグスワンのアルビレックス新潟戦での開始前イベントで「ジャイアンツが勝ちました!」と発言をしたSMAP中居正広へのブーイング、2012年(平成24年)4月21日での大宮戦で試合前にスカパーの公式応援ソング『左胸の勇気』を披露した乃木坂46へのブーイングや罵声を浴びせた、等がある。相手チームの選手紹介や試合中に相手チームがボールを持っている時はチャンスでなくてもブーイングすることが多い。また、内容が悪い負け方をした場合やカップ戦で格下のチームに辛勝した場合などには自チームの選手に対しても容赦なくブーイングすることもあり、時には試合後に選手が乗ったバスを取り囲むといった行き過ぎた行動に出ることもある[8]
  • こどもの日の前後の試合など例外はあるものの、レディア、フレンディアの着ぐるみがスタジアムに登場しない。
  • よくある地元の応援番組(REDS TV GGR)の他に討論番組(REDS NAVI.TV)がある。
  • リーグ戦のホームゲームにおける観客動員数は2006年以降6年連続で1位となっており、なおかつアウェーゲームにおけるレッズサポーターの動員数もリーグトップクラスであるためか、柏レイソルヴァンフォーレ甲府ジュビロ磐田などのメインスタジアムの最大収容者数が少ないクラブが近場の大きなスタジアム(国立競技場静岡スタジアムエコパなど)で試合をする事もある。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. 「軽率だった」ミスで失点に絡んだ浦和MF宇賀神「何回同じことをやっているのか」”. ゲキサカ[講談社] (2016年12月4日). 2016年12月4日確認。
  2. 2.0 2.1 「盛り上げるJ、キャラ奮闘 子ども向けヒーロー サッカーJリーグ」 朝日新聞2013年3月5日朝刊25P
  3. http://www.pref.saitama.lg.jp/A12/BA00/vivi/koba/kobaton2008.html
  4. 第1回 輝く!Jリーグマスコット大賞 ハプニング賞発表!(2012年12月30日 J's Goal)
  5. FUJI XEROX SUPER CUP:広島 vs 横浜FM(2014年2月22日 J's Goal)
  6. 浦和と同様に多くのサポーターを抱える鹿島アントラーズも、マスコットのしかおが総選挙で同じく上位になれずにいた。しかしこちらはサポーターたちの懸命な努力により、2021年に初めてトップ10入り (8位) を果たした。
  7. 同様にサガン鳥栖も12番を選手が着用しているが、その代わりに17番が欠番となっている。
  8. [1] 原口シュート0…浦和4失点にサポからペットボトル

関連ページ[編集]

J1リーグ歴代優勝チーム
1990年代1993: ヴェルディ川崎 | 1994: ヴェルディ川崎 | 1995: 横浜マリノス | 1996: 鹿島アントラーズ | 1997: ジュビロ磐田 | 1998: 鹿島アントラーズ | 1999: ジュビロ磐田
2000年代2000: 鹿島アントラーズ | 2001: 鹿島アントラーズ | 2002: ジュビロ磐田 | 2003: 横浜F・マリノス | 2004: 横浜F・マリノス | 2005: ガンバ大阪 | 2006: 浦和レッズ | 2007: 鹿島アントラーズ | 2008: 鹿島アントラーズ | 2009: 鹿島アントラーズ
2010年代2010: 名古屋グランパス | 2011: 柏レイソル | 2012: サンフレッチェ広島 | 2013: サンフレッチェ広島 | 2014: ガンバ大阪 | 2015: サンフレッチェ広島 | 2016: 鹿島アントラーズ | 2017: 川崎フロンターレ | 2018: 川崎フロンターレ | 2019: 横浜F・マリノス
2020年代2020: 川崎フロンターレ
関連項目:J2 - J3 - 天皇杯 - Jリーグカップ - ACL - スーパーカップ