柏レイソル
正式名称 | 日立柏レイソル |
英字表記 | Kashiwa Reysol |
本拠地 | 千葉県柏市 |
競技場 | 日立柏サッカー場 |
創設年 | 1940年 |
監督 | ネルシーニョ |
所属リーグ | J1リーグ |
リーグ加盟年 | 1995年 |
2021年 | J1リーグ / 15位 |
クラブライセンス | J1 |
チームの特徴[編集]
Jリーグ発足後最初のタイトルは1999年のナビスコ杯だが、全般的に見ればカップ戦の成績は芳しくない。天皇杯は1999年シーズンのベスト4以来、2008年に決勝進出し準優勝を果たすまで、ベスト16以下であった。格下のクラブに敗戦し、初戦敗退することも多かった。ナビスコ杯に関しても2000年以降はほぼベスト16以下である。中でも、2000年シーズンの両カップ戦の成績はリーグ戦と比べて極端だった。ナビスコ杯に関しては低迷していた川崎に敗れる。天皇杯もリーグ戦の終盤勢いがありながらベスト16だった。リーグ優勝した2011年も初戦でベガルタ仙台に敗れている。
リーグ戦では、低迷していた2001年 - 2005年を除くと、ホームの日立柏サッカー場で勝ち点を稼いでいる傾向にあった。特に2006年のJ2リーグでは17勝3分4敗という成績を上げている(年間通算の成績は27勝7分14敗)。これは、国内有数のピッチとスタンドが近い造りの柏サッカー場において有利に試合を進めていた事を表している。しかし、2007年以降はアウェーでもコンスタントに勝ち点を稼ぐようになり、いわゆる「内弁慶」からは脱しつつある。
チームに対する相性としては大阪勢を除く西日本のチームに大きく勝ち越しており、東日本のチームに互角または相性が悪い傾向がある(特に鹿島・浦和を苦手にしている)。だが、ここ最近、西日本の名古屋をアウェーで苦手にしている。
2011年にリーグ優勝した際は、上記の多くのジンクスや鬼門を打ち破った末の快挙だった。「甲府戦アウェー未勝利(第18節)」に始まり、「鹿島戦8年間未勝利(第6節)」、「鹿島戦アウェー未勝利(第28節)」、「J1山形戦未勝利(第29節)」、「新潟戦ホーム未勝利(第30節)」、「広島戦アウェー13年間未勝利(第31節)」とこれまで苦手にしていた相手をことごとく打ち破った。
2006年以降のチーム編成は、世代分布のバランスが歪なチームと言える。特にアテネ世代を中心とした中堅(26〜30歳前後)の経験豊富な日本人選手が他のチームと比べて不足している。これは2000年頃までの黄金時代の中でスタメン選手が強く、次世代の若手が育つ機会が少なかった事に加え、2005年のJ2降格により主力選手が大勢移籍した事が原因として挙げられる。この上のベテラン世代の中では藏川洋平はJ2降格・J1復帰の過程で加入したため柏から見れば「比較的新しい選手」であり、北嶋秀朗は1997年の入団時〜2002年は柏在籍であり、新加入というよりは「復帰」と認識されている。一方アテネ世代の層の薄さに対して、北京五輪世代は多くて林陵平・橋本和らは既にチーム主力となっている。また大津祐樹や工藤壮人、酒井宏樹らロンドン世代も多く、若手も積極的に起用するネルシーニョ監督の影響もあって試合に出る機会も多い。
近年のチーム編成には、近年は他のクラブと比べて、積極的に大学や高校の有望選手を練習参加させたり、特別指定選手として受け入れている。特別指定選手としては2006年に流通経済大学の鎌田次郎(2010年にベガルタ仙台に移籍)、2007年に順天堂大学の村上佑介、2008年に専修大学の渡部博文、2009年には順天堂大学の田中順也を受け入れており、卒業後にそのままレイソル入りするケースが多い。特に2006年の鎌田は負傷者の多かったスタメンに割って入り、チームが昇格を争う中15試合に出場した。また、2007年に特別指定選手となった村上は、2008年にリーグ戦初出場の試合でハットトリックを達成するというジーコ以来の快挙を成し遂げ、その後スタメンに定着した。また林陵平は、プロ入りする前にレイソルの練習に参加していた事がある(プロ入り時に加入したのは東京V、その後柏に移籍加入)。
柏ユース出身者が他のクラブと比べると多い。2010年ではある試合のスタメン・ベンチ入りメンバー18名のうち、半分近くの8名がユース出身者だった。これは2009年のユース出身者の大量昇格の影響もある。また、ここ数年レイソルの下部組織では統一した戦術のテーマを掲げ、それに沿った育成法を実施し、優秀人材をトップチームに輩出するようにまでなった。これについては週刊サッカーダイジェストやFoot!(J SPORTS)にも詳しく紹介された。
サポーターの特徴[編集]
- J2降格した2005年は、成績不振や事件などでサポーターと選手の間に溝が生まれた。この反省から、2006年以降は選手の「サポート」に徹している傾向にある(代表サポーター曰く「大切なのはスポンサー」と発言している事から、オーナーの日立との関係が良好である事が伺える)。この時所属していたDF 岡山一成はサッカー情報番組『スーパーサッカー』内で「サポーターのおかげで勝ち点30くらい稼いでいる」と言っている。
- 欧米クラブの応援の影響を受けたチームが多いJリーグのサポーターの中で、昭和時代のテレビやアニメのテーマソング、CMソングを多く応援歌に取り入れているのが特徴。
以下はその一例。
- 空手バカ一代 (「空手」を「柏」に変えただけの「柏バカ一代」をサポーターズソングを試合前に歌う。この曲に入る前に「歌うおバカに歌わないおバカ、同じバカなら歌わな(ソン!ソン!)」のコールが入る)
- 宇宙戦艦ヤマト (応援歌の一つ。2007年は勝ち点45を目標とするチーム方針と同作の演出を引っ掛けた横断幕も出していた[注 1])
- 太陽にほえろ!「メインテーマ」 (南雄太の応援コール)
- 仮面ライダー「レッツゴー!! ライダーキック」 (山根巌の応援コール)
- 仮面ライダーV3「戦え! 仮面ライダーV3」 (藏川洋平の応援コール)
- 新造人間キャシャーン(「たたかえ!キャシャーン」 (菅沼実の応援コール)
- マスプロアンテナのCMソング (小林祐三の応援コール)
- マジンガーZ (近藤直也の応援コール)
- エキセントリック少年ボウイのテーマ (工藤壮人の応援コール)
- 日立の樹 (親会社・日立製作所のCMソング。これを歌うときには日立ロゴや「Wooo」などの商品名が入ったゲーフラを掲げる)
サポーターの評価[編集]
柏サポーターは独特なギャグとネタの効いたゲートフラッグを出す事で知られている。2006年以降はホーム・アウェー問わず試合に勝利した後に「レッツゴー柏」(「グリーングリーン」が原曲の応援歌)を選手・サポーターが全員で歌って踊る(柏サポーターからは「勝利のダンス」と呼ばれる)が、この時、そのゲートフラッグを何人かの選手が掲げて踊っている。この勝利のダンスやマイクパフォーマンスなど、試合後のお楽しみイベントを総称して「日立台劇場」と呼ぶ(岡山一成在籍時には「岡山劇場」とも呼ばれた)。また試合前には、サポーターの一人(工務店経営)が中心となって派手なパフォーマンスで選手を迎えるなど、ユニークな応援を演出している。(試合前のパフォーマンスについては2011年シーズン途中から諸事情により自粛している)[1]
以下の通り。なお、これらはほんの一例であり、他にもさまざまなバージョンがある。
- 試合メンバーから外れた選手達がゴール裏に出没
- アルプスの少女ハイジの空中ブランコ
- ビリーズブートキャンプ(2007年7月)
- インディ・ジョーンズのトロッコ
- 松山千春
- スポーツ行進曲
- 道路工事の現場で使われるLED表示装置 (2011年開幕戦[3][注 3])
このようなサポーターによるパフォーマンス等の風景は、試合会場ではもちろん、YouTubeやニコニコ動画などのインターネットサイトに一部載せられている事があるため[4]、Jリーグ全体で話題になる事が多く、特にスカパーのサッカー中継の柏の主催試合の際に、実況がこのパフォーマンスのことを語ることもしばしばある。また、パフォーマンスのネタの大半が、話題性の強いものであるため、サッカー以外の分野からも影響を受けていることもある。
他チームのサポーターは、選手の応援歌などは太鼓と手拍子で歌っているが、柏サポーターは、トランペットなどを使う珍しいサポーターである。また最近では、チームや選手の応援歌の音源などを試合当日に即席で流して歌うことが多い。また前述のような派手なパフォーマンスをする時も、(特に試合前に)それに応じた音楽や効果音などを流すことがある。これらは、アウェーでも行っている。またホームの試合では、大型スクリーンを使った大胆なパフォーマンスも行い、相手サポーターからブーイングが起こることもある(しかし、逆に相手サポーターが呼応する事もある[5][注 4])。最近では対戦チームや、古巣の選手に対し讃えるような応援をすることもある。
柏市は茨城県と接しており、東京都・埼玉県とも近く、国道や鉄道などの交通の要衝でもある。そのためサポーターの分布はホームタウンエリア以外や千葉県内だけではなく、茨城県南部・東京都葛飾区や足立区・埼玉県の三郷市周辺にも比較的多いと言われている。
サポーターを公言する著名人[編集]
本拠地問題[編集]
- Jリーグ参入の際、笠松運動公園陸上競技場をホームスタジアムとして加盟申請したが却下された。レイソルは日立製作所発祥地の日立市がある茨城県をホームタウンにすることも検討していたが、日立市では「日立製作所のチーム」になってしまうことが懸念され、当時は笠松競技場もJリーグ規格を満たしていなかった上に、住友金属工業蹴球団(後の鹿島アントラーズ)が鹿島町(現・鹿嶋市)を本拠地にしたこともあって実現しなかった。習志野市秋津公園サッカー場なども検討されたが[注 5]、自前のスタジアムがある柏市に落ち着くことになった(元々は「あかね町ベアーズ」という少年野球チームのグラウンドがあった)。
- 当初、レイソルはJリーグからの勧告(出来るだけ地方自治体保有のスタジアムをホームとすること)もあり柏の葉公園総合競技場(以下、柏の葉)をホームとすることを前提として、日立柏サッカー場(以下、柏サッカー場)を暫定的にJリーグ基準のキャパシティー(J1の場合は15000人以上収容)に沿ったスタジアムにすることで準会員承認を受けた。しかし、不況の折から柏の葉の設置工事実施が遅れJリーグ昇格を果たした1995年になっても完成のメドが付かなかった。このため、レイソルでは柏サッカー場の収容人数をJリーグの基準の15000人に合わせるためJリーグ昇格決定後に改修工事を実施し15900人収容のスタジアムとすることで基準を満たし柏の葉の完成後に本拠地を移転することとした。
- 1999年4月24日に柏の葉が竣工。こけら落としの浦和との対戦で、一部のサポーターが暴動を起こし、またレイソル応援席から「史上最低のスタジアム」「本拠地移転を認めない!!」「陸上競技場でサッカーやるな」「好き好き日立台、いやいや柏の葉」などと書かれた横断幕が掲示された。その理由として以下が挙げられている。
- 交通の便が非常に悪い
- 当時の最寄り駅は東武野田線江戸川台駅だったが、徒歩30分以上かかる。そのため試合日には江戸川台駅と柏駅からの臨時バスが運行されているが、運行本数が少なく乗り切れない人が出る上に、柏駅からの便は渋滞により到着時間が読めない。
- 2005年8月にはつくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅が開業したため、東京方面からの交通アクセスは幾分改善されたが、ここもスタジアムまでは徒歩18分となっている。
- 陸上競技場との併用であるためスタンドとピッチの間に距離があり、特にコーナー部からバックストレッチ部分のスタンドが低いため非常に見づらい
- スタンドの傾斜が低いことなどの設備面についてはクラブ側も不満を隠しておらず、後述するような申し入れを行っている。また『柏レイソル10年史』に寄稿した当時のJリーグチェアマン・鈴木昌もその中で「ファンに失礼」と述べている。
- 元々柏サッカー場はクラブの聖地であり、ファンには愛着がある。
- クラブ側もコーナーからバックストレッチ部分のスタンドの改善や駐車場スペースの確保などを行うよう管理者である千葉県に対して求めているが、県はスタジアム完成から間もないとして大規模な改修には慎重である。
- また、柏サッカー場もメインスタンドの一部を除いて鉄骨製の簡易的なものであるため、施設の老朽化が著しい。故に柏市とサポーターがスタジアムの増築により現在の15900人収容のスタンドを25000人程度が収容できる本格的なものにし、温水プールや体育館を兼ね備えて整備することを目指した「市民スタジアム」計画を立ち上げた。柏市は調査費用を予算に盛り込んできた。ただ、25000人規模のスタジアムにした場合、スタジアムとピッチとの間の距離が開き、従来のようなアットホームなスタジアムの雰囲気を維持できるのか疑問であり、検討が要される。
- しかし、柏市は現状スタジアムの改修に乗り出すための予算費用が取り付けられないとして増築・改修を長らく見合わせた。レイソル側も2003年シーズンから柏サッカー場を規模縮小し鉄骨製スタンドを撤去して練習場として使用し、試合会場は柏の葉に完全移転することを一旦決めた。しかし、サポーターは「柏サッカー場に愛着があるから」などの理由で本拠地の完全移転に反対し、柏サッカー場での試合継続を求めて署名活動を行った。また他チームのサポーターにとっても日立台の方が観戦しやすいため、移転に反対する声が出た。
- 結局2003年度以後も柏サッカー場をメインにして、柏の葉ではFC東京サポーターが暴徒化した経緯のある金町ダービーなど年間数試合に限定してホームゲームを開催している。
- 2005年秋になって、一部の報道では柏サッカー場の改修を2009年度以後に進める「市民スポーツ文化スタジアム」の基本構想をまとめ、整備する計画であると伝えられていたが、実現していない。スタジアムとピッチの距離を保ち、今のアットホームな雰囲気を保つため、25000人規模のスタジアムを目指しての改修ではなく、現状の規模を維持したままでの改修を望む声もある[注 7]。なお、柏市の市議会も2012年3月の開幕までに完成することを目指し、座席3000人分の増築を検討していることを公表した[7]。2011年8月から増築工事が開始された[8]。
- 2012年3月11日に竣工。前述のとおりゴール裏の応援席の配置を入れ替えて、ホームが西側、アウェーが東側となった。新・ホームゴール裏の応援席・「柏熱(はくねつ)地帯」を二層式(新設の2階席は座席)としたほか、メインスタンドのホーム側の座席も一部増築し、Jリーグ届出の収容人員が15,349人となった(これまでは15,900として届け出ていたため500人程度減った形になるが、緩衝地帯や立見席などがあるため実勢は13,000程度だった)。また市民寄付によるホームゴール裏の正門「柏シヴィックプライドゲート」が設置された。
2021年オフの選手の大量移籍[編集]
オルンガが移籍した次のシーズンである、2021年は得点力不足から成績が低迷し、残留争いに巻き込まれた。11月にJ1残留を決めるも、最終節では既にJ2降格が決まっていた大分トリニータに2対3で敗れた。そしてシーズン終了後、以下の主力選手が移籍することとなった[注 8] (カッコ内は移籍先) 。
このほかシーズン途中には江坂任が浦和レッズに移籍し[注 9]、これにはサポーターからも怒りの声が上がっている。
チーム名[編集]
- 1940-1969 日立本社
- 1970-1992 日立製作所
- 1993-現在 柏レイソル
優勝[編集]
- 日本リーグ : 1回
- J1リーグ : 1回
- Jリーグヤマザキナビスコカップ/JリーグYBCルヴァンカップ : 2回
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 : 1回
- 2012
- J2リーグ : 2回
- 2010・2019
- これに2006年も含め (2006年はJ2・2位) 、降格した翌年に必ず1年でJ1に復帰している。
- 2010・2019
順位[編集]
- 2015 : J1 - 10位
- 2016 : J1 - 8位
- 2017 : J1 - 4位
- 2018 : J1 - 17位
- 2019 : J2 - 1位
- 2020 : J1 - 7位
- 2021 : J1 - 15位
過去の順位[編集]
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脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 同年は勝ち点を上げると「地球滅亡まであと勝ち点○○」という横断幕が掲げられ、勝ち点45を達成すると「コスモクリーナーで地球は救われた」という横断幕が掲げられた。
- ↑ この際使われた龍は、近くのお寺から拝借したもの。
- ↑ 曰くレンタル料は3日間で57,000円との事。
- ↑ 2010年8月21日の柏vs甲府など。この試合では2005年のJ1・J2入れ替え戦におけるネタを行い、バレーの顔写真幕を掲げたところ、甲府側からバレーコールが巻き起こった(と、同時に両チームでプレー経験があった(逮捕・解雇された)茂原岳人の顔写真幕も出てしまい、「今の写真は忘れろ、双方何かを感じてる筈だ」とネタにされていた)。
- ↑ 同じ千葉県に本拠地を置くジェフユナイテッド市原・千葉も、Jリーグ参加に際して秋津公園サッカー場をホームタウンに検討したが、地元の賛同が得られず見送った経緯がある。
- ↑ Jリーグ以外では、ブリオベッカ浦安がJFL所属時に試合が行われる。また、ラグビーのNECグリーンロケッツ東葛がホームグラウンドとしている。
- ↑ 2010年11月には「日立柏サッカー場のアウェー席を増築し、消防法の収容人員が18000人に拡張される」と報じられたが[6]、クラブから正式な改修の発表はこの当時はなされていなかった。
- ↑ 期限付き移籍により、シーズン終了時点で他チームに所属していた選手は含まない。
- ↑ なお、その江坂と入れ替わる形で武藤雄樹が浦和から完全移籍で加入している。
出典[編集]
- ↑ サポティスタ2011年8月20日付「柏レイソルの名物応援グループ「太陽工務店」が解散へ」
- ↑ サポティスタ「柏のゴール裏にオバマ氏が登場」
- ↑ YouTube 柏レイソル 今日のみゃ長 2011年開幕戦
- ↑ YouTube「柏レイソル長挨拶に笑いと拍手のヴァンフォーレ甲府&チャントとゴール」
- ↑ YouTube「おもしろ柏レイソル挨拶とバレーコールのヴァンフォーレ甲府サポーター」
- ↑ 日刊スポーツ西日本版(大阪・名古屋・西部本社発行)2010年11月30日
- ↑ 2010年12月10日・朝日新聞
- ↑ スタジアム増築に伴うホームゲーム開催時の運営方法変更について
- ↑ その説明映像
- ↑ FC東京は2004年と[[2009年]に優勝。
関連ページ[編集]
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