出雲市

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保存されている大社駅(廃駅)の駅舎

出雲市(いずもし)とは、島根県東部の商工業都市である。

概要[編集]

市域の西半分は出雲平野であり、市域の中央を神戸川が北に流れて日本海につながっており、北と西は日本海に面している。市域の北部は島根県有数の穀倉地帯のため、兼業農家が非常に多く存在し、大津から来原にかけての丘陵地帯では果樹園や野菜畑も多い。
出雲大社、出雲神話、出雲駅伝により、県外での市の認知度は高く、鉄道ファンにも特急「やくも」や特急「サンライズ出雲」の終着駅として知名度が高い。

隣接自治体[編集]

かつては北に大社町平田市、東は宍道湖を注ぐ斐伊川を隔てて斐川町、南は中国山地を隔てて三刀屋町佐田町、西は湖陵町と接していた。

沿革[編集]

山陰地方(中国地方北部)有数の商工業都市であり、市の中心地である今市は室町時代中期の宝徳3年(1451年)に市場町として開かれた。江戸時代後期の文政2年(1819年)には大梶七兵衛によって灌漑用水が築かれ、これが出雲市街を流れる高瀬川である。

明治時代に入り、その末期の明治43年(1910年)に国鉄山陰本線が開通すると、阪神地方との経済関係が生まれ、その結果として出雲市は地方商業都市としての性格を強めて商業圏を近畿地方から山陽に拡大する。山陰でも指折りの繊維工業の中心地として発展し、木材・醸造・農機具・油脂・食品加工などの諸工業も盛んになり、今市かんざしや陶器、銘酒などの特産品も生まれた。

昭和時代に入り、昭和16年(1941年2月簸川郡今市町と古志村、高松村、高浜村、四纒村、川跡村、大津村、塩冶村、鳶巣村の1町8村が合併して出雲町が誕生する。同年11月には市制施行して出雲市となった。昭和30年(1955年)に朝山村、稗原村、上津村を編入し、昭和31年(1956年)に神西村、神門村、長浜村を編入した。

平成改元直後、アメリカメリルリンチの副社長だった岩國哲人が市長に当選すると行政サービス改革の実施や出雲駅伝の誘致で行政手法や地域おこしが全国で知られるようになった。
市町の編入は平成時代に入ってからも続き、平成17年(2005年3月22日に出雲市・平田市簸川郡大社町湖陵町多伎町佐田町の2市4町が新設合併して旧出雲市を廃して新出雲市となる。平成23年(2011年10月1日に簸川郡 斐川町を編入した。

教育[編集]

大学
高等学校

交通[編集]

鉄道[編集]

市の代表駅出雲市駅

観光地[編集]

山陰本線や一畑電鉄バスなどの交通の利便性もあり、出雲大社の玄関口にもあたるため、出雲観光の中継地としての役割を果たしている。神話のふるさとである出雲国西部の拠点だったため、万福寺や法王寺をはじめとした古刹や史跡に指定されている古墳、名勝や天然記念物に指定されている立久恵、山の湯として親しまれている立久恵温泉と見どころは多い。

出雲市の見どころ[編集]

出雲市の年中行事[編集]

出雲市の特産品[編集]

出身人物[編集]

歴史上の人物[編集]

政治家[編集]

実業家[編集]

文化人[編集]

スポーツ[編集]

芸能人[編集]

その他[編集]

人口・面積[編集]

  • 人口は8万5413人[1]
  • 面積は172.33平方キロメートル[1]

脚注[編集]

  1. a b 平成9年度版『全国市町村要覧』

外部リンク[編集]

市部 松江市 / 浜田市 / 出雲市 / 益田市 / 大田市 / 安来市 / 江津市 / 雲南市
仁多郡 奥出雲町
飯石郡 飯南町
邑智郡 川本町 / 美郷町 / 邑南町
鹿足郡 津和野町 / 吉賀町
隠岐郡 海士町 / 西ノ島町 / 知夫村 / 隠岐の島町