大田市

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大田市(おおだし)とは、島根県中部である。ここから西が昔は石見国であり[注 1]、日本最大の貴金属鉱山であった石見銀山が存在した。

概要[編集]

現在の市は、平成17年(2005年10月1日、旧大田市、邇摩郡温泉津町仁摩町が対等合併して発足した。

市域の南部は中国山地に属する山岳地帯で、市域南東には山陰の名峰である三瓶山がそびえている。三瓶川は三瓶山北麓に源を発し、北西に流れて日本海に到達する。中心市街地の大田はこの三瓶川下流沿いにある。

西の浜田益田とともに「石見三田」と称されて農産物や木材など様々な物資の集積地として、この地は機能し、牛馬市や彼岸市も行なわれて市場町として繁栄を遂げている。この彼岸市は「中日つぁん」の名で今も続いており、近県の商人などで賑わっている。ただし、市場町として栄えた大森を除けば、市域のほとんどは寒村地域といってよい。

この市の主要産業は石見銀山や三瓶山を中心にした観光開発と、農業漁業に置かれている。三瓶山の広大な草原では家畜飼育が行なわれ、乳用牛や肉用牛の飼育規模・頭数は島根県随一である。冬にはスキー場が開かれ、また火山の副産物として三瓶温泉をはじめ多くの湯治場があり、自然を生かした産業と観光の開発が行なわれている。観光地としては三瓶山、石見銀山跡、三瓶温泉、物部神社、清水寺などの自然、温泉、古刹などがある。23キロに及ぶ海岸線は奇岩・奇穴の連なる浸食海岸で格好の釣り場となっている。

平成19年(2007年)に「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界遺産に登録された。

隣接自治体[編集]

大田市に隣接する市町
日本海 出雲市
大田市 飯石郡
飯南町
江津市 邑智郡
川本町
邑智郡
美郷町

歴史[編集]

この地域は市南西部に位置する大森に石見銀山があり、ここが中心となって繁栄を遂げていた。石見銀山は日本最大の貴金属鉱山であったため、戦国時代大内氏尼子氏毛利氏など周辺の戦国大名の間で熾烈な争奪戦が繰り返された。石見銀山があったおかげで、中世から近世にかけて銀山が最盛期を迎えていた頃の人口は20万人を数えたという。江戸時代になると石見銀山は江戸幕府の直接支配下に置かれ、銀山の管理・運営とその周辺の153ヶ村に当たる4万8000石は天領として大森代官が明治維新まで支配した。

この大田は山陰道・奥出雲に通じる雲州街道、さらに山陽の広島と結ぶ備後街道の交通の結節地として重要視され、近世に入ると石見東部(石東)の商業の中心地として繁栄を遂げてゆく。

昭和29年(1954年1月安濃郡大田町長久村鳥井村久手町波根東村川合村邇摩郡静間村久利村の2町6村が合併して大田市として市制施行する。同年の4月には安濃郡佐比売村朝山村簸川郡山口村および安濃郡富山村の一部を編入する。昭和31年(1956年)に邇摩郡大森町五十猛村大屋村および邑智郡祖式村の一部を編入する。昭和32年(1957年)と昭和33年(1958年)に川本町との境界を変更し、平成合併前の市域が確定した。

交通[編集]

日本海に沿って国道9号線JR山陰本線[注 2]が、市域の中央を山陰と山陽を美郷町経由で結ぶ国道375号線が南北に通じている。

市内の公共交通は石見交通バスが殆どを担っており、イワミツアーと共同で広島市中心部への高速バスも運行している。2005年までは中国JRバス川本線が大森町、石見川本経由で広浜線と合流する大朝まで通じ、広島市街と中国自動車道経由で直通する特急バスも運行していた。

大田市の見どころ[編集]

大田市の年中行事[編集]

大田市の特産品[編集]

教育[編集]

高等学校
市内に私立高校はない[注 3]

出身人物[編集]

人口・面積[編集]

  • 人口は3万5324人[1]
  • 面積は332.69平方キロメートル[1]

脚注[編集]

  1. 市域のうち山口町は旧出雲国
  2. 大田市駅から三江線粕淵駅へ通じる鉄道新線ができれば、三江線を広島出雲を結ぶ交通路として再生できたのに…惜しいことをしたものだ。
  3. 西隣の江津市の私立高はスクールバスを運行している。
出典
  1. a b 平成9年度版『全国市町村要覧』

外部リンク[編集]


市部 松江市 / 浜田市 / 出雲市 / 益田市 / 大田市 / 安来市 / 江津市 / 雲南市
仁多郡 奥出雲町
飯石郡 飯南町
邑智郡 川本町 / 美郷町 / 邑南町
鹿足郡 津和野町 / 吉賀町
隠岐郡 海士町 / 西ノ島町 / 知夫村 / 隠岐の島町