海士町
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概要[編集]
隠岐諸島・島前の中ノ島を町域とする町であり、明治37年(1904年)に全島8村が合併して村制を施行したことにより海士村が誕生し、昭和44年(1969年)1月に町制を施行して1島1町の海士町が誕生した。
中ノ島の北東から南西に縦走する山脈があり、山脈の北西部には平坦な水田地帯と丘陵が多い。外海に面する南東部は平地に乏しく傾斜が急で、海岸線は入り組んでいて南北の湾入に菱浦・崎などの港があり、本土と隠岐航路の定期船で結ばれている。
この町の産業は半農半漁で、農業や漁業を中心とした第1次産業が中心だったが、近年ではサービス業への第3次産業への移行も進んでいる。農業では稲作、大豆、小豆、小麦、ビール麦などが中心であり、養蚕業や梨、蜜柑、柿などの果樹栽培も行なわれている。
歴史的には鎌倉時代に鎌倉幕府を倒幕しようとした後鳥羽上皇が、戦後に執権の北条義時によって流罪にされた際に上皇の行在所が置かれ、流されてから18年後に崩御した際の上皇の御火葬塚もある。菱浦港よりやや北の海岸には三郎岩などの景勝があり、海岸の大部分は大山隠岐国立公園の一部をなしている。この町は豊かな自然と史跡が存在している。
昨今は「県や国に頼らない行政運営」を目指し、「何も無い」ことをウリにしたり、町内にある隠岐島前高校で全国に先駆けて「離島留学」事業を行っている。