岩村田藩

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岩村田藩(いわむらだはん)は、江戸時代中期から明治時代初期にかけて信濃国に存在したである。藩庁は岩村田陣屋。藩主家は譜代大名内藤氏。現在の長野県佐久市に存在した。

概要[編集]

元禄16年(1703年)8月、常陸国高森藩主の内藤正友が1万6000石で入って立藩した。第2代藩主・内藤正敬は弟の内藤正直に1000石を分与したので、岩村田藩は1万5000石となった。

第6代藩主・内藤正縄は天保の改革を主導した老中水野忠邦の弟で、幕府の要職を歴任しながら自らも藩政改革を実施し、内藤家は城主格になっている。なお、正縄は歴代藩主の中で名君と言われている。

第7代藩主・内藤正誠も幕府の要職を歴任したり、長州征伐に参加したりしている。また、藩校達道館を創設したり、西牧騒動を鎮圧したりしているが、軍事の活躍が目立つのは岩村田藩が早くから農民を採用しての軍制改革に成功していたからであった。

明治4年(1871年)の廃藩置県により、岩村田藩は消滅した。

歴代藩主[編集]

内藤家
氏名 官位・官職 就封 在任期間 前藩主との続柄・備考
1 内藤正友
ないとう まさとも
従五位下式部少輔 武蔵赤沼藩
1万5千石より入部
元禄16年 - 正徳元年
1703年 - 1711年
内藤正勝の長男
2 内藤正敬
ないとう まさゆき
従五位下下総守 遺領相続
(父の死去により)
正徳元年 - 延享3年
1711年 - 1746年
先代の次男
3 内藤正弼
ないとう まさすけ
従五位下美濃守 遺領相続
(父の死去により)
延享3年 - 明和7年
1746年 - 1770年
先代の長男
4 内藤正興
ないとう まさおき
従五位下志摩守 遺領相続
(父の死去により)
明和7年 - 寛政4年
1770年 - 1792年
先代の次男
5 内藤正国
ないとう まさくに
従五位下美濃守 遺領相続
(養父の死去により)
寛政4年 - 享和2年
1792年 - 1802年
養子(先代の娘婿)
肥前唐津藩の第2代藩主・水野忠鼎の四男
6 内藤正縄
ないとう まさつな
従五位下豊後守 遺領相続
(叔父の死去により)
享和3年 - 万延元年
1803年 - 1860年
養子(先代の甥)
肥前唐津藩の第3代藩主・水野忠光の三男
7 内藤正誠
ないとう まさのぶ
従五位下志摩守 遺領相続
(祖父の死去により)
万延元年 - 明治4年
1860年 - 1871年
養子(先代の孫)
先代の長男・内藤正義の長男

幕末の領地[編集]