坂城町

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坂城町(さかきまち)とは、長野県埴科郡に存在するである。

概要[編集]

町域のほぼ中央部を北に流れる千曲川沿岸には、長野盆地南端に含まれる平坦地に商業地が開けるが、西部は筑摩山地、東部は三国山地西端に属する山地帯で、北端には標高1269メートルの鏡台山がそびえている。

主要産業は農業で、稲作林檎葡萄の果樹栽培、薔薇などの花卉栽培を主とするが、国道18号線沿いに機械金属・食品・木工工場が立地し、田園工業都市として発展している。

所属郡から北信地方に分類されるが、地理的に郡の東部に当たるため、上田市など東信の自治体とのつながりも深い。

歴史[編集]

この町は南北朝時代末期に土豪村上義国葛尾山頂に葛尾城を築城して居城としたのが始まりといわれている。以後、村上氏の支配の下で城下町が建設されて発展を遂げてゆく。戦国時代天文年間(1532年 - 1555年)の村上家の当主は村上義清といい、大変な戦上手で若き頃の武田晴信を相手に天文17年(1548年)の上田原の戦い甲斐武田氏の重臣・板垣信方甘利虎泰を討ち取って大勝し、天文19年(1550年)には砥石城で武田軍を完膚なきまでに叩き潰して横田高松を討ち取り、戸石崩れと称される大勝を挙げた名将であった。しかし天文21年(1552年)、武田晴信の配下であった真田幸隆の謀略により葛尾城は陥落し、村上義清は越後長尾景虎を頼って落ち延びた。

その後、武田家は織田信長に滅ぼされ、様々な支配者の移り変わりを経て、慶長5年(1600年)には信長に寵愛された小姓として有名な森蘭丸の弟・森忠政が支配し、慶長18年(1613年)には花井吉雄が支配した。この間に北国街道が開設されると、この町は宿場町として繁栄を遂げた。元和8年(1622年)に天領として江戸幕府の直接支配下に置かれ、延宝9年(1681年)に松平氏の所領となる。次いで板倉氏の所領となるが、元禄17年(1704年)に再度、天領となって明治維新を迎えた。なお、千曲川西岸の旧村上村は近世松代藩の支配下に置かれて真田氏の支配下に置かれた。

昭和30年(1955年4月、坂城町を中心にして中之条村南条村の2村が合併し、改めて坂城町が発足する。昭和35年(1960年4月更級郡村上村を編入する。

坂城町の見どころ[編集]

古刹古社
城址
資料館

坂城町の特産品[編集]

坂城町の年中行事[編集]

人口・面積[編集]

  • 人口は1万6999人。
  • 面積は53.64平方キロメートル。

交通[編集]

鉄道

出身有名人[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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