不寛容社会
不寛容社会(ふかんようしゃかい、英語: Intolerant society)は、自分の主義・信条[注 1]と合わない行動を取る他人を叩いたり批判したり、さらには人格否定まで行う人が増えた社会のことで[1][2]、社会の状態が人々の幸福度低下・社会の効率性低下などといったあらゆる観点で好ましくない状態に陥る可能性があるため否定的な意味合いで用いられる用語である。個人の発言力が大きくなったSNS普及後(特に2010年代後半以降)に大きな問題となっている。
概要[編集]
不寛容な人は認知が歪んでいるため、社会規範について極端に偏狭な解釈[注 2]を行い、重大な違反を犯した者だけでなく、無視しても問題にならないような軽微な違反を犯した者に対しても客観的(例えば社会の総意を代弁する)態度かつ絶対的正義を装って針小棒大な表現で攻撃することが多く[3]、その場合は攻撃対象となった人にとって反論しにくく、反論すれば更なる嫉妬や晒し上げにあうこともある。あるいは、攻撃対象となった人が公の場で謝罪しても社会から排除されるまで誹謗中傷が続けられる[4]。時にはマスメディアも否定的な論調を選択して不寛容に加担する場合がある。不寛容な人は注意を受けても断固として「正義」を主張し続けるため、被害者にとっては非常に厄介な存在である(俗に「正義マン」などと呼ぶ)。こうした過剰な社会的制裁を行う者の背景には、ある種の正義中毒[5]の心理状態が存在し、名誉毀損罪や侮辱罪や強要罪にも繋がる危険性がある。他にも、民法に基づいて社会的制裁の内容が不法行為と認定され、損害賠償請求を受ける可能性もある。結論としては、自分の主義・信条に基づく正義による社会的制裁が行き過ぎて刑法に抵触すれば、社会的制裁を行った者が犯罪者となり、公権力が持つ圧倒的な実力によって社会から強制的に隔離されて刑務所などで徹底的な矯正教育[6]を施された結果として不寛容な人格を矯正させられ[7][8]、正義だけでなく社会にとって不都合な主義・信条までも完全に否定されることになる。万が一にでも不寛容の抑制に失敗し、アドルフ・ヒトラーが率いたナチスに代表されるような不寛容な集団が政権を奪取する(あるいは革命を起こして国家を転覆させる)まで勢力を拡大してしまうと、国家全体において平然と人権を無視した「排除の論理」が行使され、甚大な被害をもたらすことになる[9]。
また、自分の主義・信条を優先し過ぎた結果生じる過剰な正義感から物事の一側面のみを殊更に強調したり完全無欠な無謬性を要求するなど、会話の趣旨や人間の曖昧さや人格的成長に伴う思想の変化を無視して攻撃的な態度で他人に接する人が増えると、数多くの紛争が発生し、紛争回避のために厳格な規則が作られる結果として柔軟な対応も不可能になり、社会の硬直化・萎縮に伴う経済活動縮小という不利益を皆が被ることになる[10]。また、こうした風潮の社会では、過剰な正義感による行き過ぎた制裁が増えるため、侮辱や名誉毀損や暴行といった犯罪の増加に繋がることもある[11][12][13]。不寛容な者は自分の主義・信条さえ押し通すことができれば他人はどうなっても構わないという発想に陥りやすく、クレーマー問題を引き起こすこともある。
不寛容な人の言動には、「生産性の低い者は邪魔」「自己責任」「一人で死ね」など、突き詰めれば「他者への迷惑」という概念を個人・集団の切り捨て(実質的な生存権の剥奪を狙う精神的な追い詰め)のために悪用しているという共通項がある[14]。また匿名[注 3]で発言できるSNSや電子掲示板などのサービスを利用して不寛容を表明する事例が多い。最も過激な場合、自身の正義が絶対的であると考えるため、法すらも軽く飛び越えた言動を行い、逮捕・起訴されても断固として主張を変えないことがある。過剰な正義感に突き動かされるのではなく、単に論破・マウンティングが目的であったり、独善的な側面を伴う場合もあり、不寛容は時と場合によって異なる様相を示す。何らかの非があって批判を受けている人が居たとして、他者に生存権まで奪われる謂れはないため、司法制度における死刑などの非常に特殊な場合以外で誰かを社会から完全に排除しようとした(社会復帰の道を完全に閉ざそうとした)とき、それ自体が不寛容の表明となる。
不寛容な人格が形成されるに至った経緯はどうあれ、結果責任の原則により、実害が発生すれば不寛容な人は悪と見なされ、罰せられることになる。
寛容/不寛容の内実についての具体的な考慮の必要性[編集]
但し注意点として、欧米を中心とした過度なポリティカル・コレクトネスへの傾倒が文化的萎縮[15][16]を引き起こしたように、寛容さを求め過ぎてもそれ自体が不寛容な姿勢になってしまう。自身が追求あるいは他者に要求する寛容さについて、別の側面で新たな問題を引き起こさないかどうかも注意深く考察し、どういった形の寛容さなら問題ないかまで要素を分解して具体的に考える必要がある。寛容さについての表面的な理解だけで寛容になることを他者に強制するのであれば、殆どの場合で不必要な寛容さを他者に対して求めることになり、その行為が却って不寛容の表明となって社会的に有害な結果をもたらすことになる[17]。実社会では無制限に寛容である必要は無く、社会的に有害な形態を取る不寛容(例えば生産性の低い者の生存権を脅かす優生思想)を抑制する方法として、不寛容な姿勢(優生思想を認めない)を取ることもまた有用である場合もある。従って、寛容/不寛容を論じる前提として、寛容/不寛容の内実についての具体的な要素分析を行い、他者が納得できるように分かりやすく寛容/不寛容の必要性を説明できる程度の理性が必要である。もう少し具体的に踏み込むと、寛容な意見/不寛容な意見ともに、その意見を実行したとして社会の状態が具体的にどうなるかまで考慮が及んでいなければ全く中身のない(無意味な)意見にしかならない。例えば、寛容さを重視する人が寛容さを表面的に捉えて、言葉狩りを行ったり、本来の目的に沿わない不適切な人材配置(例えば反人種差別,反ルッキズム的な)を強制したりすれば、それは社会的に見て妥当ではなく、不寛容にもなる(不適切な強制であるにも関わらず拒否する意見を否定しているため)。逆に不寛容な人が主張するような『「寛容になるべき」というならば弱者切り捨てや外国人追放に対しても寛容になれ』などという意見は、それを実行した結果として重大な人権侵害を引き起こすことについての考慮が欠落しており、全く中身のない不寛容な暴論となる。従って、内実についての考慮が足りていない浅い寛容/不寛容は有害な結果を社会にもたらすことになる。寛容/不寛容についての過不足のない具体的な議論は、社会全体に存在する多様な主義・信条を理解した上で行う必要があるため、専門教育を受けた教育水準の高い人においても難しい議論で、論争的性質もある議論である(欧米でインテリ層も含め過度なポリティカル・コレクトネスへの傾倒が起きたことが好例である)。
不寛容な人の社会的な有害性と空虚な抗弁について[編集]
不寛容な人の言動には、自身の主義・信条に見合わない人を即座に社会から排除しようとする極端で破壊的な傾向がある。また厄介な事に、自身の言動で注意を受けても場当たり的に抗弁を繰り返し、容易に退かない(むしろ更に過激に反抗する)傾向もある。何れにしても社会に余計な負担を掛ける破壊活動でしかない。なお、当然のことながら、法が禁止している行為を義憤に駆られて実行してしまう場合は単なる犯罪者となり、職場を含めてあらゆる信用を完全に失った上で罪の償いに自身の人生を捧げることになる。
社会的な有害性[編集]
社会では「正義」を声高に主張すれば何をやっても良いわけではなく、本当に正しいことをする場合でも、相談を重ねながら周囲が納得する方法で現実的な落とし所を徐々に見つけて行くものであるが、不寛容な人は認知が歪んでおり、自身が主張する正義が全くの見当違いであり、実現手段が短絡的・過激であることの自覚がない。また、自身が行う社会的制裁の法的リスクの大きさも計算できていない(義憤に駆られて(俗に言えば「キレて」)殴る・蹴る・凶器を使って殺害するといった暴行・傷害・殺人まで行うことがある)。不寛容な人の主張は表面上は正義を装っているが、本質的には自己中心的な考えに基づく怒りの感情に任せて[18]、社会の大多数が正当であると認める一般的な解釈と比較して特定の要素のみを非常に過大に見積もり暴力的な態度(あるいは本当に暴力を振るう)で持論を押し通そうとする点で、社会に対して破壊的な作用を及ぼすことになるため、有害でしかない[19]。したがって、不寛容な人は、本質的かつ客観的に見れば単に迷惑行為(民法に抵触した場合は不法行為,刑法に抵触した場合は犯罪行為)を行っているだけであり、正義を主張する自分自身が逆に危険人物になるだけである。見当違いでしかないが一応の体裁として「正義」の主張を行う以外にも、個人的な優越感を得るという建設的でない目的で地位や知識の差を利用して意図的に論破を試みるなどの不寛容な態度を示すこともある。不寛容な人は、様々な主義・信条を持つ人が分業体制を敷いて協力し合わなければ社会が機能しなくなるという大前提があるにもかかわらず、主義・信条の異なる他者に対して不寛容な態度を示し、「正義」を主張しながら場当たり的に切り捨てに掛かるため、社会を破壊する視野が狭く未熟な人間でしかない。
空虚な抗弁[編集]
不寛容な言動が社会で問題視されるに至った場合、自身の主義・信条を守り通す試みはまず失敗に終わる。SNS社会になってから不寛容な人が目立つようになったとは言え、社会に参加する者の大多数は不寛容の正当性を認めることは一切ない(そうしなければ至るところで紛争が起き社会が機能しなくなる)ため、不寛容な人がいくら抗弁したところで[注 4]他者にとっては邪魔でしかなく、逆に社会の大多数からの社会的制裁を受ける立場になるか、過激な手段を使い民法・刑法に抵触した場合は法の強制力に基づき公権力による実力行使が行われ無力化されることになる。
経緯[編集]
社会の不寛容化が進んだ原因について、一説にはマスメディアの不寛容な態度や、SNSの急速な発展がその背景にあると考えられている[20]。不寛容の進行により、営業妨害[21]に繋がったり、自殺者[22]が出たりするようになり、深刻な実害が生じている。しかし、日本における不寛容の場合は、日本国民の国民性が戦前から嫉妬深く陰湿だったとの指摘もあり、原因が不明確な状況にある[23]。
不寛容の中でもSNSにおける炎上や誹謗中傷が特に問題となっており、発言相手の社会的地位を著しく低下させたり、生命を脅かしたりするような、一線を超えた行動に対しては刑法の厳罰化も議論されている[24]。そうしたSNSの他にも、ビジネスの場ではカスタマーハラスメントが増加しており、企業がクレーマー対策を行う必要が生じている。前述のように、不寛容な人が行う過激な行動は突き詰めれば自己中心的な怒りでしかなく、社会に対して本来は不要なコストを追加で支払わせ、社会の効率性を大きく低下させることになるため有害である。
Twitterで社会的制裁を行う日本人においては、「この世に絶対的な正義が存在しないため、自らの信念を貫いて勝った者が正義になる」といった相対主義[25][注 5]に偏った主張が存在し、「勝てば官軍」を地で行くような闘争的な一面を持ち合わせていることが分かる[26]。しかし、自らの正義に基づき相手を論破して「勝った」としても、公的に判断能力を認められた裁判官と比較した場合、SNSで活動する一般人は他人を裁くという点で全くの素人に過ぎず、社会的制裁の内容に妥当性がない場合がほとんどである[26][注 6][27]。例えば、不適切な例えや針小棒大な表現により相手を悪と決めつける、法的な根拠が示せないのに犯罪であるかのように扱う、憶測に基づき公衆の面前でわざと対象者を吊し上げて悪印象を広め社会的地位を失墜させる、対象者が自殺するまで執拗に誹謗中傷を繰り返すなどがある。いくら正義を主張したところで、このような過激な手段を用いた場合は民法や刑法に抵触することになる。
不寛容な人がどのように抗弁したところで、客観的に見れば正義を主張しながらも制裁は過激であり、実質的には強烈な悪意によって行われる攻撃でしかないことが共通している。学術的にも過度な社会的制裁が引き起こす問題が提起されており、トマス・ホッブズが1642年の『市民論』で提示したように、社会の構成員全員が司法や暴力を含む無制限の権利を持つと、社会は万人の万人に対する闘争の状況に陥り正常に機能しなくなるとされる[注 7]。
不寛容社会の出現には、心理学でいうところの「公平世界信念」が関係しているとの意見がある[4]。また、相対主義の浸透によって、人々が自分にとって都合の良い事実しか見なくなり、幼稚化している(主観と客観、仮想と現実を区別できなくなった結果として、自分の正義を絶対的な正義であると思い込み、他人に押し付けるようになった)との意見もある[28]。エコノミストの門倉貴史は、不寛容の原因は確証バイアスであるとし、不寛容社会を寛容的な共存社会に変えていくには、客観的視点に立って情報収集を行なって各自の意識変革を行うことが重要だと語っている[1]。
各国の事例[編集]
本節では各国における不寛容の事例を示す。
日本[編集]
日本では、太平洋戦争中や昭和天皇崩御直後に起きている。近年では女子プロレスラー木村花のテラスハウス出演時の誹謗中傷による自殺[29][注 8]や、元バイトAKB梅澤愛優香のラーメン店への営業妨害[12][注 9]や、中川翔子への誹謗中傷[13][注 10]などが立て続けに公表されるなど、芸能人は不寛容の被害に遭いやすく、日本政府もテラスハウス事件があった2020年から立法を含めた対策を開始した[11]。一般人の間でも、些細な理由からクレーマーが店員を土下座させたことで、クレーマーが強要罪に問われる事件が起きている[30]。他にも会社などでハラスメントという大義名分を武器に言いがかりに近いことを言う者が増加している[31]。2016年には熊本地震後の「不謹慎狩り」も起きている。熊本地震直後にインターネット上に被災地の現状を伝える投稿をした芸能人が「売名行為だ」と批判されたり、SNSに笑顔の写真を投稿した芸能人が「不謹慎だ」と非難されたりした[32]。生産性の観点から障害者の生存を否定する主張が社会に溢れていることも不寛容の形態の1つで、その風潮から2016年に相模原市の神奈川県立津久井やまゆり園では優生思想に染まった殺人鬼によって知的障害のある入所者19名が殺害され、27名が重軽傷を負ったという凄惨な事件(相模原障害者施設殺傷事件)も起きている[33]。また同様に生産性の観点から、インターネットには匿名で表明された「引きこもりやニートは更生の可能性がないから、さっさと殺処分せよ」という引きこもりやニートの生存権を認めない過激で不寛容な意見も散見される[34]。「死んでもよい人」「殺してもよい人」を仮定している主張については、自身がその立場になり得ることを考慮していない非常に近視眼的な主張で、本来あるべき社会の姿である「包摂型社会」の真逆を行く不寛容な主張である[34]。
アメリカ合衆国[編集]
アメリカ合衆国でも、従来から黒人差別があったり[35]、ポリティカル・コレクトネスに厳格な人々が文化活動を萎縮させるような過度な批判を浴びせたり[36]、コロナ禍では新型コロナウイルスの起源と推測された中国と近しいアジア系の人種が標的となったヘイトスピーチやヘイトクライムが起きている[37]。
ドイツ[編集]
アドルフ・ヒトラーの人種主義を背景に出現したナチスが行った政策やホロコーストは不寛容の最たるものである[9]。ナチス出現の反省からドイツは戦う民主主義を採用したものの、時代が進んだ21世紀のドイツでも不寛容は拡大している。2017年、シリアなどからの難民受け入れをめぐり支持率を下げた与党を尻目に、右派・極右政党のAfD(ドイツのための選択肢)が初の国政進出を果たした。人道や人権を重視するドイツ社会の中にも、排外的で不寛容な声が拡大しつつある[38]。2024年に至るもAfDを始めとする極右勢力の躍進は続いており、極右勢力が「Remigration(逆移住)」と称してナチスのマダガスカル計画を連想させる違法な外国人追放計画を推進している他、旧東ドイツ3州でAfDが支持率トップであることから、AfDからの初の州首相誕生が予想されている[39]。2023年10月25日、極右勢力の関係者らがAfDや排外思想を持つ企業家たちを招いた秘密会合を行った結果、ある参加者は、「今のドイツは1930年代にナチスが政権に就いたときの雰囲気に似ている」と語っている[39]。
関連用語[編集]
寛容のパラドックスという哲学上の問題は存在するものの、下記の関連用語にもある通り実践的な側面では、不寛容は多数の人を傷つけ、多数の重大な問題を引き起こし、社会の機能を大幅に低下させかねない姿勢ということが明確に分かっている。実践的には、問題の拡大を避けるため、不寛容な者に対して周囲も不寛容(無視も含む)で対抗することが一般的である。
社会現象[編集]
行為の容態[編集]
アーバンデザイン[編集]
哲学[編集]
イデオロギー[編集]
法的な問題[編集]
対義語[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 社会規範の独自解釈も含む。社会で一般的とされる解釈から離れて個人あるいは人数の限られた集団で独自に考えただけの、未だ社会的な合意を得ていない解釈の場合、解釈の正当性は一切保証されない。
- ↑ つまり個人的な攻撃の意図を持って社会規範の解釈が歪められている。
- ↑ 表面上は匿名であるが、実際にはインターネット接続に用いているISPやサービス提供者のサーバーなどでIPアドレスなどの記録が取られているため、警察などの公権力からの情報開示請求があれば簡単に発言者を特定できる。
- ↑ 不寛容な人は、他者から社会的制裁の内容について指摘を受けた際に自らの正義を守り通すために場当たり的な抗弁(例えば後述するように「善意で行った」など)を行うことが多い。
- ↑ 過度な相対主義は、主観と客観,仮想と現実の区別を曖昧にしてしまい、集団にとって不利益を生じさせてでも個人の権利を押し通すといった問題を生じさせる。
- ↑ 誤った社会的制裁は、刑事罰や民事訴訟に繋がる可能性がある。懲戒処分が妥当でない場合は裁判により無効とされる事がある。それ以外にも、SNSによる社会的制裁が考慮され、刑事裁判では減刑されるなど、正義を主張して重刑を望む者の目的と逆の結果を招くことも有る。
- ↑ 社会の混乱を避けるため、近代国家においては人を裁く行為は裁判官や検察官や警察官といった特別な教育を受け、国家資格を得た者のみが行えるようにしている。市民が行える私人逮捕や社会的制裁には厳しい制約があり、度が過ぎれば暴行罪,逮捕・監禁罪,名誉毀損罪,侮辱罪などの罪に問われることになる。
- ↑ 被害者はテラスハウスの演出で悪役を演じたが、義憤を感じた視聴者から被害者に対してSNSで猛烈な批判が行われ、社会的抹殺を目的とする者から執拗な人格否定まで行われたため自殺に至った。執拗な侮辱を繰り返した者のごく一部については個人情報が判明して刑事罰が課せられたが、9000円の科料に留まった。
- ↑ 被害者は店の経営に反社会的勢力が関係しているとの噂を自称評論家に流布され、貴重な食材を製造できる唯一の仕入先が取引を拒否したため、店舗の開店を延期させられた。加害者である自称評論家は、以前より被害者に対して誹謗中傷を繰り返しており、被害者にアカウントをブロックされたことで別の攻撃手段として、仕入先に無根拠な密告を行った。事件がマスメディアで報じられたことをきっかけに、加害者は自身のSNSアカウントを非公開にして、取材には全て善意で行ったことであると説明し始めたが、意図がどうであれ侮辱であることに変わりはない。
- ↑ SNSにおいて送られた侮辱発言や殺害予告について、被害者自身は容赦なく法的措置を講じると発表済み。
出典[編集]
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