人種差別
人種差別(じんしゅさべつ、英:Racial discrimination)とは、人を人種により差別する事。
概要[編集]
歴史は古く、しばしば民族紛争などの争いの原因になる。「差別意識は人の思いの中で生まれるため、なかなか改善しようにも難しい」という意見にもあるが、日本はクレオール国家なので、あまり気にされないため被差別人種にとっては居心地のいい土地柄であり、ますますクレオール化が進んでいる。これは「同じモンゴロイドだから」ではなく、コーカソイドやネグロイドにおいても同様である。
都市国家においては一般市民とは異なる文化圏には警戒心を抱く。そのため、「意思疎通が可能かどうか」が問題になるが、日本という国では「日本語がペラペラな外国人」は日本人扱いなので、「日本語は習得が困難であり、大きな障壁になっている」という都市伝説を信じている人は多い。ただしマーティ・フリードマン、クロード・チアリ、ツルネン・マルテイ、ジャック・ハルペン、ピーター・フランクルなど多くの人物が現代日本では知られているために、あんまり「人種」に関する差別はなく、いじめの加害者が後からつけた理屈(でなければ、いじめ行為の動機を説明するために無理矢理くっつけた理屈)であると考えられている。
国連での定義[編集]
- 国際連合の人種差別撤廃条約の中では、まず人種差別を定義するところから始まっている[1]。定義が冗長な気がするのはたぶん原文は英語だから?
- 基本的には人種差別をするべからず、といったところ。
- 1960年代の認識で作った定義になるようだ。
- 署名している国もあれば署名していない国もあり、さらに一部(第14条)を宣言している国もあれば不宣言としている国もあり、世界の見解は一致している訳ではない様子。
国際連盟では[編集]
- 大日本帝国が「人種的差別撤廃提案」を出したが否決された模様[2]。なお賛成多数ではあった様子。
- 人種差別が普通な時代だった事もあり、国際連盟では否決されたものの、国際連合では人種差別撤廃条約が生まれている事から、問題提起としては機能したのかもしれない。
- これに対して、1920年8月25日の富山日報は「特殊部落民の向上を希望す」という論説で「日本国民は講和会議において人種の差別的撤廃を要求したにもかかわらず内地においては新平民に差別的に待遇していれば彼の提案は没却されて終ふものである」と、国際社会で差別的撤廃を叫びながら、国内では差別を行うという矛盾を指摘している。
近代オリンピック[編集]
憲章第一条において、全てのアマチュアに参加する権利があるとされ、政治、人種、宗教による差別はこれを許さないとしている。
代表的な人種差別[編集]
今後の課題[編集]
明らかな人種差別はなりを潜めたが、潜在的な人種差別は残っている。
「ちびくろさんぼ」は人種差別的な作品であるとするアフロ・アメリカンからの抗議を受けて一時期絶版であったことがあったが、主人公のサンボはドラヴィダ系の黒人であって、「サンボ」「マンボ」という名前はチベットあたりでは普通である(だいいちアフリカには虎はいない)ため、「いかがなものか」というので再刊されている。ただし「ジャンボ」はアフリカでは「こんにちは」という挨拶として普通に使われており、イギリスの動物園にアフリカ象が寄贈されたときに「ジャンボ」が愛称だったため、「ジャンボ」が「大きい」という意味として使われるようになった。なお、インド象としては「インディラ」があるが、こちらはあまり知られていない。
つまるところ、「まず歴史を知ろうよ」「理解しようよ」というのが基本的な態度である。