困った人
困った人とは、「他者をして困らしめる人」である。
論理的であり、知的であり、正義感に溢れ、決して間違えることがない理想主義者である人格者である。
概要[編集]
このあたりは連体修飾節にある通り、当該者本人は「困っていない」。刑事犯としては訴えづらい。「迷惑な人」ともいう。
論理学における古典論理では、「間違っている」か「正しい」のどちらかである。したがって、「間違っていない」ならば、それは「正しい」ということになる。「それは『証明可能性』を考えた場合に、正しいと謂えるか?」なんていうのは古典論理の範囲の外なので民を惑わすサタン(黒山羊。「迷える仔羊をサタンに導く」。「ハーメルンの笛吹き男」のモチーフ)なので、「生きたまま火炙りされなければならない」という強迫的な観念がある。
「知的」ではあるが、「それらの知識は矛盾しているかもしれない」といったことは考えず、「矛盾した前提からはあらゆることが証明可能である」ということを考えたことがない。
「乳児期」「幼児期」「思春期」を経験した「人格が完成している、成人」なので、他者による指摘を受けても直しようもなく、自分の意見や立場を通すことに執心し、むしろ社会そのものが「私にとっては迷惑な世界(サタンに支配された世界)」であるとする人(人々)である。ウィキペディアにも多いが、エンペディアにも少々いる。
「自分は絶対に正しい」と思っている。「奈良騒音傷害事件」などが有名である。「松文館裁判」では実質的な「被害者」はおらず、「好きな奴だけ読めばいいじゃん」といった愚行権を主張したのに対し、「社会的な正義」を声高に主張する人々は「困った人」である。俗称としての「フェミニスト」の中には多くの「困った人」がいるが、そのために“本来のフェミニスト”が迷惑をしているという意見もあるが、「困った人」のうち「“本来のフェミニスト”を自称する一派は、社会体制および権力構造に阿(おもね)っているのだ!」と攻撃の対象としたりする。
エホバの証人や統一教会のような(いわゆる「キリスト教」系を自称する)徒党もあり、終末思想(「この世はサタンであるから、ハルマゲドンが起きて、そののちに「天の国」が訪れて、(自分を含めた)選ばれた人々に与えられる」というストーリーである)にも取りつかれやすい。
特徴[編集]
- 秩序意識が高く、「~でなければならない」と思っている。
- 内省的ではなく、外責的である。
- 他罰的かつ確信的であり、正義感が強い。冤罪を作りだすタイプである。「冤罪王」と言われた紅林麻雄が知られている。
- 被害者意識が強い。「我々はエホバであり、世の人はサタンである」と考えがちである。
- 客観的なデータは「体制による捏造」として信じない。インテリジェント・デザイン説に同調しやすい。当然、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の信者などは“生きたまま火炙りされなければならない”。
- 全体性に欠け、「それはこれ、これはこれ」「そのときに私がそう判断したのだから、それは正しい」「あのときはあのとき、今は今」「もう済んだことだ」で済ませる。
- 「私は間違っていない」「私は信じている」「ゆえに、私は信じていることははすべて正しい」とし、結果が悪ければ「私は騙されていた」と結論する。
- 因縁をつけることに巧みである。人間関係における距離感や協調意識が不全でありがち。他者にチョッカイを出したがるが、自分は構われたくない。
- 解離症状があり、全体性を喪失している。記憶を捏造することも多い。
- 「法的にどこまでやったら事件化するか」について慎重ではあるが、「やってみたら大丈夫だった」で安心しているため、常習的あるいは累犯的である。
- 挨拶や返事をしない。それを指摘すると「聞こえなかった」と主張する。反面、コード付きの補聴器を使っている人をいきなりぶん殴ったりする人もいる。
- 聴こえるか聴こえないくらいの声でボソボソと話し、「ちゃんと言った」と主張し、「ちゃんと聞いていなかった」と批難する。その意味では、かなりパスい(反社会性パーソナリティ障害)。
- 「サイレント・マイノリティ」を「代弁」すると称して、政治的に利用するために情報を歪曲あるいは捏造する。
- いじめ・虐待の経験者に多いが、必ずしも人格形成期あるいは幼少期のことではなく、大学の部活や企業内の虐待によって身についてしまった例もある。