困った人
困った人とは、「他者をして困らしめる人」である。
論理的であり、知的であり、正義感に溢れ、理想主義者である人格者である。
悪性と良性の二種がある。裏目に出たのが悪性であり、癌と異なり他者に感染性がある。
とはいえ、佐藤 淑子『イギリスのいい子 日本のいい子 ― 自己主張とがまんの教育学』(中公新書 1578。2001)から察するに、悪性なのは「イギリスのいい子」であって人格形成に失敗した例であり、良性は「日本のいい子」であるように思える。さしずめ「養殖物」と「天然物」の差であろう。べつに養殖が悪いわけではなく、「育ちが悪いと『困った人』に育つ」という話であろう。
そういえば生麦事件を起こしたのもイギリス人であった。当時の日本では、「盥を持った産婆」と「子供」は大名行列を横切っても「見て見ぬ振りをする」ということになっていた。カルガモの親子がお堀に向かって移動していた場合では、上皇陛下でも今上天皇陛下でも同じ対応をし、皇宮警察だるが SP だろうが「なかったことにする」だけの話である。
概要[編集]
このあたりは連体修飾節にある通り、当該者本人は「困っていない」。刑事犯としては訴えづらい。「迷惑な人」ともいう。
論理学における古典論理では、「間違っている」か「正しい」のどちらかである。したがって、「間違っていない」ならば、それは「正しい」ということになる。「それは『証明可能性』を考えた場合に、正しいと謂えるか?」なんていうのは古典論理の範囲の外なので民を惑わすサタン(黒山羊。「迷える仔羊をサタンに導く」。「ハーメルンの笛吹き男」のモチーフ)なので、「生きたまま火炙りされなければならない」という強迫的な観念がある。
「知的」ではあるが、「それらの知識は矛盾しているかもしれない」といったことは考えず、「矛盾した前提からはあらゆることが証明可能である」ということを考えたことがない。
「乳児期」「幼児期」「思春期」を経験した「人格が完成している、成人」なので、他者による指摘を受けても直しようもなく、自分の意見や立場を通すことに執心し、むしろ社会そのものが「私にとっては迷惑な世界(サタンに支配された世界)」であるとする人(人々)である。ウィキペディアにも多いが、エンペディアにも少々いる。
「自分は絶対に正しい」と思っている。「奈良騒音傷害事件」などが有名である。「松文館裁判」では実質的な「被害者」はおらず、「好きな奴だけ読めばいいじゃん」といった愚行権を主張したのに対し、「社会的な正義」を声高に主張する人々は「困った人」である。俗称としての「フェミニスト」の中には多くの「困った人」がいるが、そのために“本来のフェミニスト”が迷惑をしているという意見もあるが、「困った人」のうち「“本来のフェミニスト”を自称する一派は、社会体制および権力構造に阿(おもね)っているのだ!」と攻撃の対象としたりする。
エホバの証人や統一教会のような(いわゆる「キリスト教」系を自称する)徒党もあり、終末思想(「この世はサタンであるから、ハルマゲドンが起きて、そののちに「天の国」が訪れて、(自分を含めた)選ばれた人々に与えられる」というストーリーである)にも取りつかれやすい。
症状[編集]
- 秩序意識が高く、「~でなければならない」と思っている。
- 内省的ではなく、外責的である。
- 他罰的かつ確信的であり、正義感が強い。冤罪を作りだすタイプである。「冤罪王」と言われた紅林麻雄が知られている。
- 被害者意識が強い。「我々はエホバであり、世の人はサタンである」と考えがちである。
- 客観的なデータは「体制による捏造」として信じない。インテリジェント・デザイン説に同調しやすい。当然、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の信者などは“生きたまま火炙りされなければならない”。
- 全体性に欠け、「それはこれ、これはこれ」「そのときに私がそう判断したのだから、それは正しい」「あのときはあのとき、今は今」「もう済んだことだ」で済ませる。
- 「私は間違っていない」「私は信じている」「ゆえに、私は信じていることははすべて正しい」とし、結果が悪ければ「私は騙されていた」と結論する。
- 因縁をつけることに巧みである。人間関係における距離感や協調意識が不全でありがち。他者にチョッカイを出したがるが、自分は構われたくない。
- 解離症状があり、全体性を喪失している。記憶を捏造することも多い。
- 「法的にどこまでやったら事件化するか」について慎重ではあるが、「やってみたら大丈夫だった」で安心しているため、常習的あるいは累犯的である。
- 挨拶や返事をしない。それを指摘すると「聞こえなかった」と主張する。反面、コード付きの補聴器を使っている人をいきなりぶん殴ったりする人もいる。
- 聴こえるか聴こえないくらいの声でボソボソと話し、「ちゃんと言った」と主張し、「ちゃんと聞いていなかった」と批難する。その意味では、かなりパスい(反社会性パーソナリティ障害)。
- 「サイレント・マイノリティ」を「代弁」すると称して、政治的に利用するために情報を歪曲あるいは捏造する。
- いじめ・虐待の経験者に多いが、必ずしも人格形成期あるいは幼少期のことではなく、大学の部活や企業内の虐待によって身についてしまった例もある。
現時点では有効な治療法はない。
権勢症候群(アルファ・シンドローム)[編集]
「困った人」が“責任ある立場”に立つと、典型的な いわゆる「ヒラメ上司」になる。
ただしヒラメは魚食魚であって「安全な底にいて、上にいる小さい魚を狙う」のだが、カレイは底性のゴカイなども餌にしているため下方にも配慮する。そうなると、「自分にとって安全な居場所」を確保するけなので、部下は餌にもならないので環境の一部である。そのため「できる奴から辞めてゆく」ために職場はスラム化してブラック化する。
困るのは、「責任」という言葉の意味を理解しない点がある。責任は「義務と権利の関係にコミットすること」のはずだが、「自分の権利は最大限享受するが、義務を果たさない」点がある。これが権勢症候群である。
もう一点は「連体形容節」の意味を理解しないことである。「彼は恥ずかしい」は「彼は(話者である)私にとって『恥ずかしい』と感じせしめる人物である」を意味するが、“困った人”は「困った人」であるために、「彼は恥ずかしい」は「彼は私に恥をかかせた」と解釈して罰する「バッテン上司(罰点上司)」になりがちである。
「白い鼠は白い」「白い象は白い」「鼠と象は哺乳動物である」から「白い鼠と白い象は白い哺乳動物である」が帰結される。
反面、「大きい鼠は大きい」「大きい象は大きい」「鼠と象は哺乳動物である」から「大きい鼠と大きい象は大きい哺乳動物である」とかんがえると、「大きい鼠は小さい象よりも大きいのか?」とかいった話になって、とても困る。こういったことを真面目に考えることができないのが困りものである。
そんなわけで、ヒラメ上司の下には「下の奴は食い物にし、ヒラメを上方の盾にする」という「カレイ中間管理職」がひっつきがちである。その中にはヒラメの幼魚もいるわけで、「下剋上」を起こすなどの例もあるという。
アルファ個体は「自分はこの群れのリーダーであり、その他の個体を管理・掌握しなければならない」という強烈な使命感を持っているからややこしい。
これを念頭において「症状」の各項目を見直してみると、すべて腑に落ちるから怖ろしい。
おいしい“困った人”[編集]
一般的には「うるさい人」といわれ、「敬して遠ざける」という対応が一般的である。
症状としては
- 日常的に真顔でツッコミ待ちのボケを振ってくる
がある。対応策としては「ツッコミ力を鍛える」しかない。
効能としては、
- 皇居一周(約 5.5 Km)をジョギングしたくらいの「脳力」を使う。
- したがって自律神経失調症に効く。
- そのため神経性胃炎、過敏性大腸、僧帽筋症状、不眠症などが軽減される。
がある。こうした「良性の“困った人”」としては、ノーベル物理学賞を授賞されたリチャード・“ディック”・ファインマンやジェラルド・ワインバーグなどがおり、日本にも
- 南方熊楠
- “今西進化論”の今西錦司
- “水道方式”で知られる遠山啓
などがいる。
見どころのある若手が天狗になっていると、こういった「良性の困った人」にけしかけて、高見の見物を決めこんで混ぜっかえし、天狗が鼻を折られて大人しくなるのを見物するというのがカンファ(カンファレンス)における最大の娯楽とされる。ただし老若男女と才能はさほど相関はなさそうなので、それで自信を持った奴が良性の困った人になり、「カンファ荒らし」となることも稀ではない。もっとも、それを楽しむ奴や乗っかる奴もいるので、組織の浄化・健全化として歓迎する人もいる。
特徴としては、「『ヲタク』である」「自閉傾向がある」がある。
佐藤 淑子『イギリスのいい子 日本のいい子 ― 自己主張とがまんの教育学』(中公新書 1578。2001)
関連項目[編集]
参考資料[編集]
- 佐藤 淑子『イギリスのいい子 日本のいい子 ― 自己主張とがまんの教育学』(中公新書 1578。2001)