運輸省マイネ40形客車
運輸省マイネ40形客車 (うんゆしょうまいね40かたきゃくしゃ)は、運輸省が設計、開発した客車である。21両が製造された。
登場に至った経緯[編集]
太平洋戦争が大日本帝国の敗北に終わり、その結果大日本帝国を占領した連合国は、将兵輸送用に運輸省から多くの車両を接収したが、要望に合わない車両も多く、改造で対処した。そこで連合国は1948年、当時の運輸省に優秀な客車の製造を命じた。こうして戦後初めての寝台車建造となった。
概要[編集]
二軸ボギー軸バネ式転軸受けのTR34台車を履き、屋根は反切妻式となった。室内は洗面台付きの2人用個室寝台4室とプルマン式開放室定員32名のある冷房付きである。車端部に洋式便所と洗面所がある。種別は一等寝台車である。当初、冷房装置の駆動は車軸発電機を使用していたが、停車中は使用できないため、ディーゼル発電機に改められた。冷房は床下設置形で、冷房ダクトを通じて屋根から冷風が配される。
改造[編集]
乗り心地悪化のため、台車をスハフ41、10両とスハ42の1両が履いていたTR40B台車と交換した。これにより、これらの形式はオハフ33、オハ35となり、スハフ41は形式消滅した。1955年には車内設備はそのまま、二等A寝台マロネ40となった。事業用車マヤ40、オヤ41、スヤ42に改造されたほか、1966年にほとんどが廃車になり、残った車両も1970年に廃車になり、形式消滅した。
運用[編集]
進駐軍専用となっていたが、ほどなく日本人にも利用が認められた。主に東海道本線、山陽本線、鹿児島本線の急行列車に使用された。1955年、利用率低迷のため、二等寝台車に格下げし[1]、形式名をマロネ40と改称した。[2]優秀な設備のため特別急行列車にも使用され、あさかぜ (列車)にも連結された。特別急行列車がすべて国鉄20系客車に置き替えられた後は急行列車に使用されるようになった。昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では急行「銀河1号」にのみ連結されたが、1970年までに廃車となった。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 岡田誠一「オハ35系客車のあゆみ」〈鉄道ピクトリアルNo.748〉2004年7月1日発行。
- 葛英一・藤田吾郎「オハ35系客車 車歴表 【後編】」〈鉄道ピクトリアルNo.750〉2004年8月1日発行。