若松城
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若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市にある日本の城郭である。桃山時代までは黒川城と呼んだ。鶴ヶ城とも呼ばれる。
歴史[編集]
蘆名直盛が1384年に前身となる黒川城を築城した事が始まりとされる。それから200年間蘆名氏の居城であった。
1587年の佐竹と組んだ摺上原の戦いで蘆名義広が敗れ会津40万石、中通り20万石、東蒲原10万石の計70万石余の領地を伊達政宗に奪われる事となった。家名は佐竹家臣で続く
しかし1591年に奥州仕置で会津領が秀吉に奪われ家臣の蒲生氏郷の領地(東蒲原は豊臣直轄のち上杉領)、居城となる。やがて氏郷が亡くなると、秀行を宇都宮に移して今度は秀吉の命で上杉景勝120万石の城となった。これにより政宗が今後この城に手を出す事はなくなる。
関ヶ原後は蒲生秀行が60万石で復帰できたが減封されて四国に移された。代わりに加藤嘉明が伊予から40万石で転封したが家老と対立して2代で改易。その後は山形から23万石で加増転封した保科正之を家祖とする会津松平家が大政奉還まで支配した。(途中で5万石の預かり地を得る)
1870年代、明治時代に起こった全国的な城の取り壊し運動によりこの城は取り壊された。その後1965年に若松城の再建が完成、2011年に赤瓦に葺き替えられた。
関連項目[編集]