タジキスタン
タジキスタン(Tajikistan)とは、中央アジア東部にある内陸国である。正式な国名はタジキスタン共和国(タジキスタンきょうわこく)。
国土面積は14.3万平方キロ(日本の約4割ほど)。人口は2011年の時点で762万7000人。人口密度は53.3人/1平方キロ。首都はドゥシャンベ(デュシャンベ)。1991年、ソビエト連邦の解体に伴い独立した。タジキスタンの語源とはイラン系タジク人の名とペルシア語の「stan(国を意味する)」の合成語である。タジクとはアラブ人がかぶる冠帽タージ(王冠を意味する)から転じたものと言われており、インドのタージ・マハル(宮殿の王冠を意味する)と同義である。
概要[編集]
歴史[編集]
9世紀にアラブ人に征服されたのを契機として、イスラム化が開始される。13世紀にモンゴル帝国の侵略が開始され、同地はチンギス・ハーンの次男であるチャガタイの支配下に入った(チャガタイ・ハン国)。その後はティムール朝、ブハラ・ハン国などの支配下に属した。1893年に当時のロシア帝国に征服される。1924年、ソ連の構成国のひとつであったウズベク共和国の中の自治共和国として創設され、1929年に単独の共和国として昇格する。1990年に主権宣言を採択し、1991年9月9日に独立を宣言する。そして同年、ソ連が崩壊して新たに生まれたCISの創設に参加した。1992年3月2日に国連に加盟する。
だが、独立直後から保守派のタジキスタン共産党とイスラム原理主義を掲げる急進改革派との間で内戦が勃発する(タジキスタン内戦)。1994年に双方が停戦に合意し、これを受けて国連は国連タジキスタン監視団(UNMOT)を派遣し、1997年に和平合意に調印する。1999年から2000年にかけての大統領選挙、議会選挙で保守中道派の勢力が圧勝したものの、東部の山岳地帯では反政府ゲリラの勢力が反抗し、1998年には秋野豊らを含む国連停戦監視団員らがテロリストの銃弾に倒れる悲劇も発生している。2001年に対欧米安全保障組織である上海協力機構(SCO)に加盟し、2007年7月に国連の活動が終了した。
地理[編集]
国土の9割が峻険な山岳地帯であり、少雨で乾燥している大陸性気候。特に冬季の寒さは厳しく、首都の年平均気温は15度。最高気温は7月の26.9度、最低気温は1月の2.8度である。年間の降水量は656ミリ。
国土の東半分は「世界の尾根」と称されるパミール高原が連なり、平均高度は約3000メートルと世界で最も標高の高い国である。独立国家共同体(CIS)の中では、唯一のペルシア系の国家でもある。
経済など[編集]
独立直後の内戦のため、約6万人が死亡し、55万人が国内の避難民となり、5万人ほどがアフガニスタンに逃げ込んだといわれている。もともと、この国はソ連の時代から綿花による単品栽培型経済に依存している最貧国であったのだが、内戦でさらに貧困に拍車をかける結果となった。綿花や果樹栽培の農業と水力発電、世界有数のアンチモン鉱の産出が産業の中心となっているが、国家経済自体は国外への出稼ぎ労働者からの送金に支えられている部分が根強い。
なお、2011年の時点で1000人あたりの出生率は26.3パーセントであり、CIS加盟国の中では最も高い水準にある。
宗教[編集]
住民[編集]
言語[編集]
通貨単位[編集]
- ソモニ(Somoni)
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は741米ドル(2010年)
外部リンク[編集]
政府
日本政府