青函トンネル

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青函トンネル(せいかんトンネル)とは、津軽海峡の西寄りの海底部を通って北海道青森県を結ぶ53.9キロメートル(海底部は23.3キロメートル)の鉄道トンネルである。

概要[編集]

昭和28年(1953年8月鉄道敷設法が改正されたことにより、三厩青森県外ヶ浜町)から福島(北海道松前郡)間が予定線に編入。翌昭和29年(1954年)に生じた青函連絡船洞爺丸事故を機に計画が前向きになり、昭和39年(1964年5月に調査坑の掘削を開始する。工事実施は当初、在来線規格で津軽線今別から松前線(現在は廃止)の渡島福島までだったが、後に新幹線在来線列車の併用前提で、中小国から木古内(北海道上磯郡)までの160.4キロメートルとなった。昭和47年(1972年)からは本坑工事に着手し、昭和60年(1985年3月に貫通し、昭和63年(1988年)3月に在来線の海峡線として開業。平成28年(2016年)3月には北海道新幹線が開業して、旅客在来線としての海峡線は休止となり、トンネルを通過する寝台特急等は廃止となった。

海底の地層が断層や水を通しやすい火山岩層からなっていたので、トンネルの掘削は予想以上に難行を極め、北海道の吉岡口からの試掘坑からは温泉が噴出して、坑内温度が30度に、湿度は95.6パーセントになるという悪条件まで重なる中で工事が続行された。竜飛口では断層破砕帯にぶつかって毎分11トンも水が噴き出すという悪条件に見舞われ、やむなくこれらの事情のために一時的に工事をストップせざるを得なくなる。本坑の掘削では岩盤が予測以上に軟弱だったことがわかり、そのため工事が難航して貫通は大幅に遅れることを余儀なくされた。

もっとも、青函トンネルの開通により、青森と函館間の輸送時間は大幅に短縮され、また連絡船に比べて気象条件に左右されることがないため、安定した輸送力を保つことができるようになり、旅客より貨物で長所が顕著となった。

現状[編集]

貨物輸送では、北海道と本州を陸路で結ぶ唯一の輸送手段として超重要であるが、北海道庁の意向でどう左右されるか分からない

旅客輸送では、北海道新幹線が運行している。

その他[編集]

現在の海峡線ルートに決定の前、大畑線戸井線を延長し、津軽海峡の東側を通るトンネルルートも比較検討されたが、水深が深いことを理由に候補から外れた。狭軌線専用として着工していれば、国鉄大畑線の廃止も回避でき、貨物列車の設定も苦労しなかったのに…

第二青函トンネル構想[編集]

詳細は第二青函トンネルを参照

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. 夕張市長選で「惜敗」したことはある。もし当選していれば石勝線を改良し、「攻めの廃線」されるまでに至らなかったかもしれない、かどうかは分からない