1980年代
1980年代 (1980ねんだい) は、1980年から1989年までの10年間を指す。
日本国内の主な出来事[編集]
皇室[編集]
1989年1月7日に昭和天皇が崩御、翌1月8日から明仁が天皇に即位し、「平成」が始まった。
政治[編集]
自由民主党が与党第1党、日本社会党が野党第1党である「55年体制」の真っ只中。
1980年5月19日にハプニング解散が行われ、また参議院の通常選挙ともタイミングが重なった関係上、6月22日に衆参同日選挙が行われることになった。これに向けて各党が選挙活動を行っていた真っ最中の6月12日に、当時の大平正芳内閣総理大臣が心筋梗塞による心不全のため死去。犬養毅以来48年ぶりとなる、現職の総理大臣の死去だった[1]。
経済[編集]
1985年にアメリカとのプラザ合意が行われ、これをきっかけに1986年から1991年にかけてバブル景気に突入。株価や地価は軒並み上昇した。
平成に入ったばかりの1989年4月1日には、3%の消費税が導入された。これが竹下登内閣の支持率低下につながったとされている。
社会[編集]
それまで「三公社」と呼ばれていた日本電信電話株式会社 (電電公社) ・日本専売公社・日本国有鉄道 (国鉄) の民営化が80年代後半に行われ、1985年には電電公社と専売公社がそれぞれ日本電信電話株式会社 (NTT) [2]と日本たばこ産業 (JT) に、1987年4月1日には国鉄分割民営化によってJRグループに、それぞれ改組された。
交通[編集]
航空[編集]
1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生、乗客乗員520名が犠牲となった。これを機に日本航空 (JAL) の経営体質についても議論となった。
鉄道[編集]
1982年に東北新幹線と上越新幹線が開業し、現在のJR東日本管内にも新幹線路線が開通した。また1985年には新幹線100系電車のグリーン車に2階建て車両が登場。1987年4月1日には前述した国鉄分割民営化が行われた。
技術的な面では、GTO-VVVFインバーター制御方式が開発され、1984年には初めてこれを搭載した大阪市交通局20系電車が登場。以降、1990年代までこれが主流となっていった。
芸能・テレビ[編集]
お笑い[編集]
ビートたけし・明石家さんま・タモリの3人がまとめて「お笑いBIG3」と呼ばれるようになり、彼らは後に日本の数々のバラエティ番組に出演することとなる。
アイドル[編集]
それまで女性アイドルは歌謡曲が中心だったが、この頃にデビューした松田聖子や小泉今日子などを皮切りに、アイドルの楽曲はポップス中心にシフトしていくこととなる。また1985年にはフジテレビ『夕焼けニャンニャン』の番組内で結成したグループ「おニャン子クラブ」もデビューし、解散した1987年に向けて夕焼けニャンニャンを中心に活動していった。
その一方で、1986年4月8日には岡田有希子が自殺するトラブルが起きており、これを機に若者の後追い自殺が増えるなど「ユッコ・シンドローム」として問題となった。
テレビ[編集]
フジテレビが黄金期を迎える。スローガン「楽しくなければテレビじゃない」のもと、前述の夕焼けニャンニャンはもちろんのこと『笑っていいとも!』や『オレたちひょうきん族』、『志村けんのバカ殿様』や『ドリフ大爆笑』などを世に送り出していった。
スポーツ[編集]
プロ野球[編集]
1979年に、埼玉県所沢市に本拠地を移転した西武ライオンズが黄金期を迎える。この10年間で5度日本一に輝き、これからパ・リーグの時代が到来することを予感させた。
西武以外も、阪神タイガースは1985年に、開幕序盤のバックスクリーン3連発から始まった快進撃を見せつけリーグ優勝、そして同年の日本シリーズではその西武を下し日本一に輝いた。また1988年には近鉄バファローズが西武との大混戦を演じ、最終戦のロッテとのダブルヘッダー (10.19) はのちに後世に語り継がれるほどのベストゲームとなった。同年近鉄はパ・リーグ優勝を逃したが、翌年に優勝した。
一方、南海ホークスは20年連続Bクラスの真っただ中で、さらには球団経営が赤字で、これは親会社の南海電気鉄道の経営にも響くことになったため、1988年にダイエーに球団を身売り。また福岡県に本拠地を移し、1989年からは「福岡ダイエーホークス」として活動していくこととなる。また阪急ブレーブスも同じ1988年にオリックスに身売りした。
選手ではロッテの落合博満が3度の、阪神のランディ・バースが2度の三冠王を達成。1980年には通算868本塁打を記録した、巨人の王貞治が現役を引退。以降巨人の中心選手は、王が引退した翌年の1981年にプロ入りした原辰徳になり、1995年までの現役15年間で人気選手に成長していった。
黄金時代の西武では東尾修や工藤公康といった投手陣から、秋山幸二や清原和博、オレステス・デストラーデなどの協力な打者陣、さらには伊東勤など捕手に至るまでタレント揃いだった。森祇晶監督時代には3番秋山・4番清原の「AK砲」が誕生し、巨人のON砲や広島のYK砲に次いで有名となった。この2人組によるホームラン (アベックホームラン) は通算62回を数える。またAK砲にデストラーデを加えて「AKD砲」、バークレオを加え「AKB砲」と呼ばれることもあった。
大相撲[編集]
「花の63年組」と言われる、曙、貴乃花、若乃花、魁皇が入門する。