名鉄三河線
三河線 | |
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知立駅に留置中の6500系 | |
概要 | |
系統 | ■豊田市方面 / ■碧南方面 |
起終点 | 起点:猿投駅 終点:碧南駅 |
駅数 | 23駅 |
路線記号 | MY (豊田市・猿投方面) MU (碧南方面) |
ウェブサイト | 三河線(知立-碧南) 三河線(知立-猿投) |
運営 | |
開業 | 1914年2月5日 |
全通 (営業区間) | 1924年10月31日 (猿投駅 - 碧南駅間) |
全通 (廃止区間含む) | 1928年11月22日 (西中金駅 - 吉良吉田駅間) |
全通 (旧三河線区間) | 1936年7月24日 (西中金駅 - 蒲郡駅間) |
廃止 | 2004年4月1日 (西中金駅 - 猿投駅、 碧南駅 - 吉良吉田駅間) |
所有者 | 三河鉄道→名古屋鉄道 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 39.8 km (24.7 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 直流1,500 V, 架空電車線方式 |
運行速度 | 最高100km/h[要出典] |
外部リンク | |
三河線(みかわせん)は、愛知県豊田市の猿投駅から愛知県碧南市の碧南駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。
特徴[編集]
愛知県豊田市の猿投駅と碧南市の碧南駅を結んでおり、いずれも西三河地方の豊田市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市を通る。名鉄名古屋本線、名鉄豊田線、JR東海道本線、愛知環状鉄道線と接続している。主要駅には豊田市駅、知立駅、刈谷駅などがある。
中間地点には名鉄名古屋本線知立駅があり、知立駅より北側を「山線」、知立駅より南側を「海線」と通称する。複線区間は梅坪 - 豊田市間、知立 - 重原間と刈谷 -刈谷市間。知立駅高架化に連動して、三河知立駅が移転し、移転後の三河知立駅から知立駅まで複線化される予定。
過去には猿投駅からさらに北の西中金駅まで、また碧南駅からさらに南の吉良吉田駅まで線路が伸びていた。
使用車両[編集]
以下は地下鉄鶴舞線・豊田線から乗り入れている車両。三河線内の走行区間は原則として梅坪~豊田市間のみ。100系・200系に関しては朝に土橋始発豊田市行きの運用がある。
ダイヤ[編集]
普通電車が15分間隔で線内運行するが、運行系統は知立で分断されている。山線は1駅を除き交換可能なため豊田スタジアムなどの観客輸送で増発がなされることがあるが、海線は貨物縮小時に交換不可能駅を増やしたため線路容量の関係でこれ以上の増発はできない。
かつて存在した非電化区間については、廃止直前は60分間隔での運行となっていた。
加えて、過去には山線の通勤時と海線では金山・名古屋方面と直通があり[注 1]、海線は碧南から日中も運行されていたが、刈谷以南でさえ刈谷乗り換えによるJR流出が目立ったため廃止された。さらに1991年までは春、秋の休日に犬山線直通の全車指定席の臨時特急も運行されていた[注 2]。
駅一覧[編集]
凡例;○ :列車交換・同時発着可能。∧:下の駅方向が複線。∨:上の駅方向が複線。×:列車交換不可
色 | 駅番号 | 駅名 | 交換 | 接続路線 | 所在地 |
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山線 | MY11 | 猿投駅 | ○ | 豊田市 | |
MY10 | 平戸橋駅 | × | |||
MY09 | 越戸駅 | ○ | |||
MY08 | 梅坪駅 | ∧ | TT 豊田線 | ||
MY07 | 豊田市駅 | ∨ | 愛知環状鉄道(12) | ||
MY06 | 上挙母駅 | ○ | 愛知環状鉄道(11) | ||
MY05 | 土橋駅 | ○ | |||
MY04 | 竹村駅 | ○ | |||
MY03 | 若林駅 | ○ | |||
MY02 | 三河八橋駅 | ○ | |||
MY01 | 三河知立駅 | ○ | 知立市 | ||
NH19 | 知立駅 | ∧ | NH 名古屋本線 | ||
海線 | |||||
MU01 | 重原駅 | ∨ | |||
MU02 | 刈谷駅 | ∧ | 東海旅客鉄道:東海道本線(CA58) | 刈谷市 | |
MU03 | 刈谷市駅 | ∨ | |||
MU04 | 小垣江駅 | ○ | |||
MU05 | 吉浜駅 | × | 高浜市 | ||
MU06 | 三河高浜駅 | ○ | |||
MU07 | 高浜港駅 | × | |||
MU08 | 北新川駅 | ○ | 碧南市 | ||
MU09 | 新川町駅 | ○ | |||
MU10 | 碧南中央駅 | × | |||
MU11 | 碧南駅 | ○ |
歴史[編集]
1912年に創立した三河鉄道によって建設が進められ、1914年に刈谷〜碧南(開業時・大浜)が開通。その後、南北に路線を伸ばし、南側は1928年に吉良吉田(開業時・三河吉田)まで延伸。現在の名鉄蒲郡線区間も建設し、1936年(昭和11年)11月に蒲郡まで非電化[注 3]で延長した[注 4]。
北側は1915年刈谷から重原を経由し、現在と違って直進で知立(初代駅[注 5])まで開業したのを皮切りに、1920年に豊田市(開業時・挙母)、1924年に猿投、1928年に西中金まで延伸した。加えて、1927年に岡崎電気軌道を買収し、1929年に後の挙母線となる上挙母から三河岩脇までの岡崎線を開業させて、三河鉄道は西三河の広域に鉄道網を築いた。
鉄道敷設法別表第69号には『愛知県千種ヨリ挙母ヲ経テ武節[注 6]ニ至ル鉄道』、別表第63号には『(前略)愛知県大野、静岡県浦川、愛知県武節ヲ経テ岐阜県大井(現・恵那)ニ至ル鉄道(以下略)』の項があり、三河鉄道は1921年に足助までの敷設免許を得て、西中金〜足助追分までは用地買収も済んで工事に取り掛かったものの、資金途絶で開業を断念した。また子会社として新三河鉄道を設立し、後の名鉄豊田線に繋がる挙母〜八事(名古屋市昭和区)の敷設免許を得ている。
鉄道敷設法別表ルートには載るものの西中金以東が未成だったため、宮内省が株主の田口鉄道や国鉄明知線とセットになりえる戦時国鉄買収候補として注目されることは無く、1941年6月に名鉄に買収され、1948年(昭和23年)に三河線は三河吉田(当時)までに短縮された。
未成区間の敷設免許は名鉄に承継されたが、当線から分岐する挙母線をはじめ、高富線、岩倉支線、平坂支線などを戦後に整理廃止する状況下で路線延長の余裕は無く、西中金以東への延長は棚上げになってしまった。
また南側も蒲郡線が一旦は1500V電化し旧三河鉄道区間で直通運転したが、西尾線が1500V昇圧すると再び蒲郡線との一体化が進み、碧南以南は三河線の末端区間となって末期は日中に1時間に1往復の閑散路線化し、猿投以北共々レールバス運行路線となってしまった。
そして2004年に猿投以北および碧南以南が廃線となって現在に至っている。
過去の接続路線[編集]
未成区間[編集]
足助駅 - 追分駅 - 中切駅 - 野口駅 - 東中金駅 - 西中金駅
関連項目[編集]
脚注[編集]
注[編集]
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 三河線(知立~碧南) - 名古屋鉄道
- 三河線(知立~猿投) - 名古屋鉄道
名古屋鉄道(名鉄)の路線一覧 |