遠藤保仁

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
サッカーボール.jpg 遠藤保仁
選手情報
本名 遠藤保仁
英字表記 Yasuhito Endo
生年月日 1980年1月28日(44歳)
出身地 日本鹿児島県
身長 178 cm
体重 75 kg
ポジション ミッドフィールダー
クラブ情報
所属クラブ ジュビロ磐田
背番号 50
クラブチーム
1998
1999-2000
2001-2020
2020-
横浜フリューゲルス
京都パープルサンガ
ガンバ大阪
ジュビロ磐田
代表チーム
2002-2015 日本
サッカーボール.jpg
64
このサッカー選手の記事はウィキペディアで日本語版など64言語版にあります。

遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は日本サッカー選手。愛称は 「ヤット」 。

来歴[編集]

地元では有名な「桜島の遠藤三兄弟」の末っ子。次兄は横浜F・マリノスヴィッセル神戸に所属した遠藤彰弘である。

名門・鹿児島実業高校卒業後、1998年に横浜フリューゲルスに入団するが、同年限りでクラブが消滅。1999年、京都パープルサンガに移籍する。2001年、京都がJ2に降格したため、ガンバ大阪へ移籍。以降、チームの中心選手として活躍している。ガンバ移籍時(当時20歳)の移籍金は1億5000万円(1億2000万円、1億8000万円説あり)と言われている。

全盛期では非常に完成度の高いボランチとされるも、サッカー選手としてのピークを過ぎた現在、ポスト遠藤待望論が日本サッカー界では巻き起こっている。

2020年7月4日、J1リーグ第2節・vsセレッソ大阪戦でJ1通算632試合出場を達成。楢﨑正剛の631試合を抜き、歴代トップとなった。しかしそれ以降は出場機会がなく、ベンチ入りすらも果たせない状況にいた。その中で出場機会を求めるべく、同年10月5日にジュビロ磐田に期限付き移籍することとなった。自身にとっては2013年以来となるJ2でのプレーとなった。

人物・エピソード[編集]

  • スピードを生かしたプレーや突破は得意ではないが、その代わりに距離があってもしっかりとゴールマウスをとらえられるミドルシュートを持つため得点力もある。また、テクニックタイプの割にはボディーコンタクトが強くボールを失いにくい。
  • 一般のサッカーファンからは、プレイの質が派手でない上にポジショニングの良さなど評価されにくいプレイが多いため、どうしても批判の的になりやすいが、サッカーに関わっている人物からの評価は高い傾向にある。とりわけ日本代表で共にプレーした選手からの評価が高く、長谷部誠は「「ヤットさんは本物の存在感がある選手」、内田篤人は「サッカーの人すげえなって思うのはヤットさん(遠藤)。パス練習とかするんですけど、難しいボールとかがきて、なにげなくパッと止めて。ピタッて。俺とか、清武(弘嗣)とかがそれを見て、笑っちゃうんですよね。“うまぁ”って」と述べている。又、李忠成は初めて代表に呼ばれて驚いたこととして「ヤットさんが上手すぎる」「正確すぎるほど正確」と取材で述べている。
  • 2007年6月1日、モンテネグロ戦(キリンカップ2007)で自身初の主将を務めた。これに関してはウォーミングアップ中にイビチャ・オシム監督に阿部勇樹と共に呼ばれ「どちらかがキャプテンマークをつけなさい」と言われ即答で申し出たという。また、この試合で中澤佑二の得点をアシストしている。
  • FIFAワールドカップ-2010グループリーグ初戦のカメルーン戦は、標高1700メートルを越える高地ヨハネスブルグという酸素も薄く慣れない環境の中での試合であったが、日本代表の中で1番長い距離を走り切りフル出場を果たしている[1]。岡田監督の下ではボランチとして使われることが多かったが、この試合ではトップ下として出場。W杯直前に変更されたチーム戦術にも完全に適応しており、決勝点をアシストした松井大輔へ鋭いパスを通すなど攻撃の起点となるとともに、前線からの守備で要所でパスカットをするなど、勝利に大きく貢献した。
  • この大会の公式ボール”ジャブラニ”は、当時世界的に流行っていた無回転シュート向けに特化した性質を持っていた。そのため、カーブ系の曲げる直接フリーキックを得意とするリオネル・メッシアンドレア・ピルロといった名選手たちは皆揃って悪戦苦闘する。そんな中で、ボールを曲げる直接FKでゴールを決めたのは遠藤ただ一人であった。尚、W杯で1試合2本のフリーキック成功は44年ぶりである[2]
  • 超低速のコロコロPKが持ち味のひとつ。一見楽に止められそうに見えるが、遠藤の助走はボールに近づくにつれて減速するため、大抵のGKは我慢できずにどちらかに飛んでしまう。プロになってから公式戦でPKを失敗したのは5回[3](2010年2月27日現在)で、それ以外ほとんどのPKを決めてきたことから、「PK職人」と言われている。2010年シーズン終了時点で、J1では現役最多の22得点(歴代最多得点は福田正博の27得点、成功率約7割)を決めており、リーグ戦での失敗は2回のみで成功率9割以上である。加えて、2008年のFIFAクラブワールドカップ準決勝のマンチェスター・ユナイテッドとの対戦では、コロコロPKで元オランダ代表エドウィン・ファン・デル・サールからゴールを奪い、2010年のFIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でも1人目を任され、成功させた(ただし、この時はジャブラニがコロコロPKに合わないという理由で鋭く蹴った)など、代表での試合を含め国際大会においては未だに失敗をしたことがない。本人はかつてインタビューで「強く蹴れないのか?」「普通に蹴れないのか?」という質問に対し、「自然に身についたものなので」「あれ(コロコロPKのこと)が普通なので」と語っていた。しかし最近ではキーパーの動きを見てから蹴る動作は変わらないものの強いシュートを蹴り、ゴールネットを豪快に揺らす強烈なPKも見られるようになった。
  • 2010年6月の情熱大陸で取り上げられた際、ハーフタイム中に必ずシャワーを浴びることが紹介された。ロッカールームでの着替えシーンでは監督の指示をあまり聞いていないように見えたが本人は「ちゃんと聞いている」と語った。2010年のワールドカップのハーフタイムでもシャワーを浴びたという。
  • 2011年11月3日第31節、ガンバ大阪鹿島アントラーズの試合で、遠藤がまだ倒れているキム・スンヨンにパスを出したシーンがYouTubeで「ドSヤット」としてアップロードされ話題となった。
  • 2012年1月20日にNHK BS1で特集された特別番組『ドーハは悲劇だったのか~日本サッカー あの日からの18年~』において、元日本代表監督のハンス・オフトは今一番会いたい選手として遠藤を指名し、対談する。その席上にて「遠藤の素晴らしさを日本で理解している人はまだまだ少ない。君は選手として全ての才能を持つ。状況判断、技術、メンタル。全てだ」と賞賛した。また別の日にインタビュアーから「日本サッカーは何処を目指すべきか?W杯ベスト4か?それとも優勝か?」と問われ、「まずは日本は世界のベスト10を目標にするべき。それは遠藤のような選手を11人そろえれば必ずなれる」と、ここでも遠藤を賞賛していた。遠藤は「ここまで評価して頂いているとは思わなかった。監督をして欲しいくらい」と、喜びを表現していた。
  • 容姿が似ているため「ガチャピン」という愛称を持ち、スタジアムでガチャピンのイラストや人形を掲げて応援するサポーターも多い。2005年9月24日放送のフジテレビポンキッキーズ」に出演した際、本物のガチャピンと共演し、「僕に似てるって言われるでしょ」と質問をされ、「昔は良く似てるって言われてました」と答えた。2010年には所属するガンバ大阪やフジテレビKIDSで、遠藤とガチャピンのコラボグッズが発売された。さらには2018年のエイプリルフールで、クラブ公式ホームページで遠藤の画像が1日だけガチャピンの画像に差し替えられた。
  • 岡田彰布とも顔がそっくり。
  • 夫人は高校時代の同級生で[4]、3人の子供(娘2人、息子1人)がいる[5]
  • 性格はマイペースでおっとりしている。中村俊輔いわく「プレッシャーをかけてもゆっくり」とのこと。本人は「緊張はしないし、慌てたりすることもない。ストレスは感じない方。人の話をあまり聞いてないところが欠点」と自己分析している。
  • 2007年、自身初となる写真集を発売。クラブのバンディエラ・宮本恒靖の退団後は名実ともにガンバ大阪の顔となっている。
  • 愛称の 「ヤット」 から、毎年8月10日を 「ヤットの日」 としている。

欧州移籍論[編集]

遠藤保仁は、黄金世代のメンバーだが小野伸二稲本潤一高原直泰が20代前半で欧州の舞台を経験。さらには中田浩二小笠原満男らが続いた。欧州挑戦を横目に見ながら、遠藤は一度たりともJリーグから飛び出さなかった。以下、本人のコメント「う~ん、ポルトガルやオランダ、スペインとかならお金が良くなくても行きたいって話はしてたけど、オファーがなかったのかな。やっぱりドイツ(ワールドカップ)で出れなかったのが大きかった。2010年のワールドカップ後に良い話はもらったけど、そのときは正直、イタリアには興味がなかったし、ガンバで不満もなかったからね。」

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
横浜F リーグ Jリーグ杯
1998 J 27 16 1 4 0
通算 16 1 4 0
京都 リーグ Jリーグ杯
1999 J1 14 24 4 2 0
2000 14 29 5 6 1
通算 53 9 8 1
G大阪 リーグ Jリーグ杯
2001 J1 19 29 4 4 0
2002 30 30 5 8 1
2003 7 30 4 6 0
2004 7 29 9 0 0
2005 7 33 10 4 0
2006 7 25 9 0 0
2007 7 34 8 8 1
2008 7 27 6 1 0
2009 7 32 10 2 0
2010 7 30 3 0 0
2011 7 33 4 0 0
2012 7 34 5 2 0
2013 J2 7 33 5 -
2014 J1 7 34 6 6 0
2015 7 34 5 3 1
2016 7 34 2 3 1
2017 7 31 1 4 0
2018 7 34 1 6 0
2019 7 28 1 5 0
2020 7 11 0 2 0
通算 605 98 64 4
磐田 リーグ Jリーグ杯
2020 J2 50 15 2 -
2021 50 35 3 -
通算 50 5 0 0
総通算 724 113 76 5

表彰[編集]

  • 最優秀選手賞 (2014年)

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
2002 1 0
2003 11 1
2004 16 2
2005 8 0
2006 8 0
2007 13 1
2008 16 3
2009 12 0
2010 15 2
2011 13 0
2012 11 1
2013 16 2
2014 8 2
2015 4 1
通算 152 15

出典[編集]

  1. 平均7.8キロ、日本「走り勝ち」/W杯”. 産経 スポーツ (2010年6月15日). 2010年6月14日確認。
  2. 本田は無回転、遠藤は高速回転…日本のFK分析読売新聞、2010年6月26日
  3. 5回のうち、2回は立石智紀によって防がれている。そのほかは徳重健太川島永嗣曽ヶ端準相手に1回ずつ失敗している。ただし曽ヶ端の時は枠を外したものによる。
  4. 遠藤保仁選手インタビュー 奥様GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  5. 遠藤保仁(プロサッカー選手) 毎日放送 情熱大陸、2010年6月6日放送

外部リンク[編集]

1990年代 1993: 三浦知良 (V川崎) | 1994: ペレイラ (V川崎) | 1995: ストイコビッチ (名古屋) | 1996: ジョルジーニョ (鹿島) | 1997: ドゥンガ (磐田) | 1998: 中山雅史 (磐田) | 1999: アレックス (清水)
2000年代 2000: 中村俊輔 (横浜FM) | 2001: 藤田俊哉 (磐田) | 2002: 高原直泰 (磐田) | 2003: エメルソン (浦和) | 2004: 中澤佑二 (横浜FM) | 2005: アラウージョ (G大阪) | 2006: 田中マルクス闘莉王 (浦和) | 2007: ポンテ (浦和) | 2008: マルキーニョス (鹿島) | 2009: 小笠原満男 (鹿島)
2010年代 2010: 楢﨑正剛 (名古屋) | 2011: レアンドロ・ドミンゲス (柏) | 2012: 佐藤寿人 (広島) | 2013: 中村俊輔 (横浜FM) | 2014: 遠藤保仁 (G大阪) | 2015: 青山敏弘 (広島) | 2016: 中村憲剛 (川崎) | 2017: 小林悠 (川崎) | 2018: 家長昭博 (川崎) | 2019: 仲川輝人 (横浜FM)
2020年代 2020: オルンガ (柏) | 2021: レアンドロ・ダミアン (川崎) | 2022: 岩田智輝 (横浜FM) | 2023: 大迫勇也 (神戸)
Jリーグベストイレブン-2003
GK: 楢崎正剛 | DF: 坪井慶介ドゥトラ中澤佑二 | MF: 小笠原満男奥大介福西崇史遠藤保仁 | FW: エメルソン久保竜彦ウェズレイ
Jリーグベストイレブン-2004
GK: 土肥洋一 | DF: 田中マルクス闘莉王ドゥトラ中澤佑二 | MF: 小笠原満男長谷部誠奥大介遠藤保仁 | FW: エメルソンマルケス大黒将志
Jリーグベストイレブン-2005
GK: 吉田宗弘 | DF: 田中マルクス闘莉王ストヤノフ中澤佑二 | MF: 小笠原満男阿部勇樹遠藤保仁フェルナンジーニョ古橋達弥 | FW: アラウージョ佐藤寿人
Jリーグベストイレブン-2006
GK: 川口能活 | DF: 田中マルクス闘莉王加地亮山口智 | MF: 鈴木啓太阿部勇樹谷口博之中村憲剛遠藤保仁 | FW: ワシントンマグノ・アウベス
Jリーグベストイレブン-2007
GK: 都築龍太 | DF: 岩政大樹田中マルクス闘莉王山口智 | MF: 阿部勇樹鈴木啓太ポンテ中村憲剛遠藤保仁 | FW: ジュニーニョバレー
Jリーグベストイレブン-2008
GK: 楢崎正剛 | DF: 岩政大樹内田篤人田中マルクス闘莉王中澤佑二山口智 | MF: 中村憲剛小川佳純遠藤保仁 | FW: マルキーニョス柳沢敦
Jリーグベストイレブン-2009
GK: 川島永嗣 | DF: 岩政大樹内田篤人田中マルクス闘莉王長友佑都 | MF: 小笠原満男石川直宏中村憲剛遠藤保仁 | FW: 岡崎慎司前田遼一
Jリーグベストイレブン-2010
GK: 楢崎正剛 | DF: 田中マルクス闘莉王増川隆洋槙野智章 | MF: 中村憲剛マルシオ・リシャルデス藤本淳吾ダニルソン遠藤保仁 | FW: 前田遼一ケネディ
Jリーグベストイレブン-2011
GK: 楢崎正剛 | DF: 近藤直也酒井宏樹田中マルクス闘莉王 | MF: ジョルジ・ワグネルレアンドロ・ドミンゲス藤本淳吾遠藤保仁清武弘嗣 | FW: ハーフナー・マイクケネディ
Jリーグベストイレブン-2012
GK: 西川周作 | DF: 駒野友一田中マルクス闘莉王水本裕貴 | MF: レアンドロ・ドミンゲス遠藤保仁青山敏弘髙萩洋次郎 | FW: ウイルソン佐藤寿人豊田陽平
Jリーグベストイレブン-2014
GK: 西川周作 | DF: 太田宏介森重真人塩谷司 | MF: 柴崎岳武藤嘉紀レオ・シルバ遠藤保仁 | FW: 大久保嘉人宇佐美貴史パトリック
Jリーグベストイレブン-2015
GK: 西川周作 | DF: 森重真人槙野智章太田宏介塩谷司 | MF: 金崎夢生遠藤保仁青山敏弘 | FW: 大久保嘉人宇佐美貴史ドウグラス