ドゥンガ

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サッカーボール.jpg ドゥンガ
選手情報
本名 ドゥンガ
英字表記 Dunga
生年月日 1963年10月31日(60歳)
出身地 ブラジル
身長 177 cm
体重 81 kg
ポジション ミッドフィールダー
クラブチーム
1995-1998 ジュビロ磐田
代表チーム
1987-1998 ブラジル
サッカーボール.jpg
62
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ドゥンガ(Dunga、1963年10月31日 - )はブラジルサッカー選手。

評価・プレースタイル[編集]

派手なタイプの選手ではなく足も速くないが、フィジカルが強く、危機察知能力に長け、長短織り交ぜた正確なパスでゲームの流れをコントロールした。

本人は著書で危機察知能力に長けていると自負していた。

守備能力やリーダーシップに対して足元の技術は大雑把と想像しがちだが、1998年ワールドカップではFKのキッカーを務めていた。W杯のPK戦では94年アメリカ大会決勝のイタリア戦、98年フランス大会準決勝のオランダ戦でいずれもブラジルの4番目のキッカーとして登場しブラジルの勝利に貢献している。また筋肉番付TBSテレビ)の「キックターゲット」で最初のパーフェクト達成者でもある。94年W杯ではマウロシルバと中盤の底を担い、日本におけるダブルボランチという用語の知名度を高めた。

気が強くとても負けず嫌いであり、味方が少しでも気の抜いた(怠慢な)プレーやミスをすると烈火の如く怒り始める。「鬼軍曹」といわれるのはそこに由来する。この性格をあまり快く思っていない選手もいたが、本人もチームのためにとあえてやっていた所があり(本人によれば、自分がミスが多い時も必死に気持ちを抑え、周りには言いつづけたという)、代表には不可欠な選手(憎まれ役)だった。

セレソンでのチームメイトだったアウダイールにも「彼ほどチームのために全てをなげうってプレーできる選手はいない」と評価されていた。セレソンの一員であることに非常に価値をおいており、「たとえ自分の所属チームで10年にわたり最高の成績をおさめても、一回代表に選ばれることに比べたら、価値はほぼない」「ブラジル代表に加わるときは、それ以外のすべてを忘れるようにしている。サッカー選手としてほしかったすべてが手に入るのだから」「監督の好き嫌いで決まることがある、だからこそ常に監督を満足させているか気にしなければならない」(ドゥンガ著セレソンより)などの発言を残している。

エピソード[編集]

  • 不慣れな右サイドバックに挑戦していた今野章に、ハーフタイム中ポジショニングの講義を始めた映像がサッカー番組でドゥンガを扱う時に頻繁に使用され、一時おなじみとなっていた。
  • 山西尊裕フリーキックを蹴ろうとしたとき、邪魔だと突き飛ばしたことがある。ただドゥンガはインタビューなどでしばしば山西について語り、彼の向上心の強さや真面目さを高く評価している。
  • 引退した理由については、インテルナシオナルが同地域のライバルであるグレミオと対戦した際、グレミオの若いMFに軽々とかわされてしまい、自分の老いを自覚したからだったという。その選手は当時19歳のロナウジーニョであった。
  • 自著によれば、殺人・窃盗等が頻発するセレソンの宿舎に耐えかねて何度も逃げ出そうと試みたという。一説によればドゥンガのその恐ろしい顔に代表メンバーが逃げ出したとも伝えられている。
  • 磐田でのチームメイトだった福西崇史は「今思い出しても、やたらに口うるさいオヤジだった」と発言している。
  • 磐田以外にも横浜フリューゲルスからオファーがあったが、条件が良かった磐田を選んだと語っている(週刊サッカーダイジェスト 1999年3月10日号)。
  • 1998 FIFAワールドカップ開幕戦(対スコットランド代表)でMVPを獲得した際、試合後のコメントでブラジル人記者に対して、日本サッカーへの想いを表現している。「どうだ、見てみろ。これで日本のJリーグに行った選手はセレソンに選ばれないというくだらない噂はもう終わりにしてくれ。レオナルド199496鹿島所属)は素晴らしいプレーを見せたし、サンパイオ199598横浜F所属)はゴールを決めた。私自身もこのように今日の試合のMVPに選ばれた。もはや日本はサッカー後進国ではない。私はJリーグと日本サッカーに感謝している」
  • 多くの日本の選手・サポーターに愛された時代とは対照的に、監督経験のないままブラジル代表監督に就任したことに加え、ワールドカップ南米予選において他を圧倒する成績を収めていないこと、さらには、選手の個人技を生かした攻撃的サッカーから、つまらないとも称された守備的サッカーに変貌させた事から、2009年のコンフェデレーションカップで優勝するまでブラジルのサッカーメディアおよびサポーターの多くから解任を求める声が度々あがった。
  • 日本代表に対する発言も時折行っており、2006 FIFAワールドカップにおける敗因について日本語で「お水ください」とからかうように発言した。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
磐田 リーグ Jリーグ杯
1995 J - 25 1 -
1996 - 20 4 13 0
1997 8 26 5 11 1
1998 8 28 6 0 0
通算 99 16 24 1
総通算 99 16 24 1

代表チームの統計[編集]

ブラジル代表
試合 得点
1987 4 1
1988 0 0
1989 15 0
1990 6 1
1991 0 0
1992 0 0
1993 13 1
1994 13 1
1995 14 1
1996 0 0
1997 17 1
1998 9 0
通算 91 6

外部リンク[編集]

1990年代 1993: 三浦知良 (V川崎) | 1994: ペレイラ (V川崎) | 1995: ストイコビッチ (名古屋) | 1996: ジョルジーニョ (鹿島) | 1997: ドゥンガ (磐田) | 1998: 中山雅史 (磐田) | 1999: アレックス (清水)
2000年代 2000: 中村俊輔 (横浜FM) | 2001: 藤田俊哉 (磐田) | 2002: 高原直泰 (磐田) | 2003: エメルソン (浦和) | 2004: 中澤佑二 (横浜FM) | 2005: アラウージョ (G大阪) | 2006: 田中マルクス闘莉王 (浦和) | 2007: ポンテ (浦和) | 2008: マルキーニョス (鹿島) | 2009: 小笠原満男 (鹿島)
2010年代 2010: 楢﨑正剛 (名古屋) | 2011: レアンドロ・ドミンゲス (柏) | 2012: 佐藤寿人 (広島) | 2013: 中村俊輔 (横浜FM) | 2014: 遠藤保仁 (G大阪) | 2015: 青山敏弘 (広島) | 2016: 中村憲剛 (川崎) | 2017: 小林悠 (川崎) | 2018: 家長昭博 (川崎) | 2019: 仲川輝人 (横浜FM)
2020年代 2020: オルンガ (柏) | 2021: レアンドロ・ダミアン (川崎) | 2022: 岩田智輝 (横浜FM) | 2023: 大迫勇也 (神戸)
Jリーグベストイレブン-1997
GK: 大神友明 | DF: 秋田豊相馬直樹井原正巳 | MF: ビスマルク山口素弘中田英寿ドゥンガ名波浩 | FW: 中山雅史エムボマ
Jリーグベストイレブン-1998
GK: 楢崎正剛 | DF: 秋田豊相馬直樹田中誠 | MF: 小野伸二奥大介ドゥンガ名波浩藤田俊哉 | FW: 柳沢敦中山雅史