槙野智章

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サッカーボール.jpg 槙野智章
選手情報
英字表記 Tomoaki Makino
生年月日 1987年5月11日(37歳)
出身地 日本広島県
身長 182 cm
体重 77 kg
ポジション ディフェンダー
ユースチーム
2003 - 2005 サンフレッチェ広島ユース
クラブチーム
2006-2010
2011
2012-2021
2022
サンフレッチェ広島
ケルン
浦和レッズ
ヴィッセル神戸
代表チーム
2010-2019 日本
サッカーボール.jpg
55
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槙野 智章(まきの ともあき、1987年5月11日 - )は日本サッカー選手、タレント、実業家。妻は女優の高梨臨

概要[編集]

現役中にホリプロと契約し、引退後も所属している。
実業家としてはメンズ化粧品「HALTEN」を立ち上げている。

人物・エピソード[編集]

「ただの目立ちたがり」などの批判も多いが、日本人としては大変珍しいポジティブなキャラクターの持ち主である。

2004年、広島ユースの中国遠征での移動中、森山佳郎監督の隣に座った槙野は一人ひたすら喋っていたため、森山に「千円やるから10分だまれ」と言われた。その後10分黙り千円を貰ったあと、再び喋り続けたという。翌2005年にドイツへ遠征に行った際、飛行機の中で13時間一睡もせずに喋り続けた。まずはチームメイトと喋り、チームメイトが誰も相手にしなくなると隣にいた一般人のおじさんと喋り、おじさんが寝ると乗務員の控え室前に陣取ってスチュワーデスと喋り続けた。これらのエピソードが示す通り、ユース時代既に槙野の人物像は形成されていたと言える。

「プレー以外の面でも観客にサッカーを楽しんで欲しい」という考えから、ピッチ内外において様々なパフォーマンスを行なっている。

広島在籍時の2007年途中から当時チームメイトだった柏木陽介とともに、ホームゲームでの勝利後にマスクやコスプレ衣装などのパーティーグッズを着用してサポーターの前でスピーチや歌を披露し、勝利を喜び合うパフォーマンスを始めた。やがてこのパフォーマンスは「サンフレッチェ劇場」と呼ばれるようになり、他のチームメイトも加えて勝利後の恒例行事になった。

2010年には、「ただのPKでは面白くない」という理由から、J1第1節清水エスパルス戦、AFCチャンピオンズリーグ2010グループリーグ第6節浦項スティーラーズ戦において、佐藤寿人との連携でPKを蹴る「トリックPK」を披露した。

中でも槙野の代名詞となっているのが、チームの得点後に行なう奇抜なゴールパフォーマンスである。2007年のFIFA U-20ワールドカップでは、得点のたびにチームメイトとともに「弓矢を射るポーズ」「ビリーズブートキャンプのエクササイズ」「漫画『ドラゴンボール』の元気玉」といった様々なパフォーマンスを披露。日本のみならず現地カナダでも話題を呼んだ。特に、当時広島でチームメイトだったウェズレイから譲り受けた「弓矢パフォーマンス」は、以降槙野の定番パフォーマンスとなり、2010年途中までは、ゴールを決めると側転してから弓矢を射るパフォーマンスを好んで行なっていた。なお、弓矢を射るパフォーマンスは槙野不在の試合でも行われたり、李忠成がゴール後に行うなど、サンフレッチェにおいては定番のパフォーマンスになりつつある。

2010年のJ1第16節京都サンガFC戦では、槙野が釣り人、森脇良太が釣られた魚を演じる、パントマイムのような「魚釣り」パフォーマンスを披露。ここから、「だるまさんが転んだ」「オーケストラ」「カーリング」など、槙野単独ではなく選手全員で行なう大掛かりな寸劇ゴールパフォーマンスを次々と行ない、全国メディアでも大きく取り上げられるようになった。また、同年9月には日本代表の試合(対グアテマラ戦)でも、森本貴幸のゴールで「忍者」のパフォーマンスを披露した。

一方で、清水戦でのトリックPKが後に反則行為と判断されたり[1]、2010年J1第28節横浜F・マリノス戦で、遅延行為だとして主審にゴールパフォーマンスを制止されたり[2] と、その派手なパフォーマンスは時に物議を醸している。槙野はパフォーメンスを巡る意見について、「サッカーファン以外の人、これからサッカーを好きになっていく子供たちにも、もっとサッカーを好きになってほしいという一心でやっている」とコメントしている[3]

2010年12月29日に放送された「徳光&所の世界記録工場」で、パサール・オ・シルクロと呼ばれるフリーキックの世界最長記録30mを記録(前回の記録は小林大悟2008年に達成した29m)。

2011年3月11日、ブンデスリーガ第26節ハノーファー96戦終了後、ユニフォームを脱ぎ、「被災者のみんなへ、ガンバレ!! 一人でも多くの命が救われますように!!」と書かれたアンダーシャツを披露し、同日に日本で起きた東北地方太平洋沖地震の被災者に向けメッセージを送った[4]

2012年12月2日のJ1第34節では、後半にフリーキックにて直接ゴールを決めた直後「J.LEAGUEを 日本を みんなで盛り上げよう」と書かれたTシャツをユニフォームを脱いで披露した。このパフォーマンスに対しイエローカードが出された。

2013年は、ガムテープを文字形に貼り付けた黒いTシャツをベンチ入りメンバー全員で着用し、人文字を作るパフォーマンスを考案し、ホーム開催の勝利試合後に行っている。

2014年6月1日ナビスコカップ7節で、移籍の決まっていた原口元気の蹴った直接フリーキックのこぼれ玉を押し込みゴール後ユニフォームを脱ぎ背番号9番と「浦和→ドイツ=ロシアW杯 バイバイ泣き虫ゲンキ!!元気!!」とプリントされたアンダーシャツを披露しイエローカードを出された。

2022年に現役引退。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
広島 リーグ Jリーグ杯
2006 J1 28 1 0 1 0
2007 28 18 1 4 0
2008 J2 5 41 7 -
2009 J1 5 33 8 2 0
2010 5 34 4 4 1
通算 127 20 11 1
ケルン リーグ DFLリーガポカール
2010/11 BL 43 5 0
2011/12 18 3 0
通算 8 0
浦和 リーグ Jリーグ杯
2012 J1 20 33 6 4 0
2013 5 34 6 4 0
2014 5 31 4 7 2
2015 5 33 3 0 0
2016 5 29 3 1 0
2017 5 32 2 0 0
2018 5 32 4 4 0
2019 5 32 0 2 1
2020 5 26 2 0 0
2021 5 31 2 11 1
通算 313 32 33 4
総通算 448 52 44+ 5+

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
2010 4 0
2011 4 0
2012 3 1
2013 3 0
2014 0 0
2015 8 1
2016 2 0
2017 4 1
2018 8 1
2019 2 0
通算 38 4

出典[編集]

  1. 広島寿人のトリックPK反則だった! 日刊スポーツ 2010年3月10日付、2010年12月15日閲覧
  2. 槙野パフォーマンス制され欲求不満 日刊スポーツ 2010年11月1日付、2010年12月15日閲覧
  3. 【2010Jリーグアウォーズ】フェアプレー個人賞/槙野智章選手(広島)コメント J's GOAL 2010年12月6日付、2010年12月15日閲覧
  4. 途中出場の槙野が日本の被災地にメッセージ「被災者のみんなへ、ガンバレ!!」 サッカーキング 2011年3月12日、同日閲覧

外部リンク[編集]

Jリーグベストイレブン-2010
GK: 楢崎正剛 | DF: 田中マルクス闘莉王増川隆洋槙野智章 | MF: 中村憲剛マルシオ・リシャルデス藤本淳吾ダニルソン遠藤保仁 | FW: 前田遼一ケネディ
Jリーグベストイレブン-2015
GK: 西川周作 | DF: 森重真人槙野智章太田宏介塩谷司 | MF: 金崎夢生遠藤保仁青山敏弘 | FW: 大久保嘉人宇佐美貴史ドウグラス
Jリーグベストイレブン-2016
GK: 西川周作 | DF: 昌子源槙野智章森重真人塩谷司 | MF: 阿部勇樹柏木陽介中村憲剛齋藤学 | FW: 小林悠レアンドロ