大黒将志

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サッカーボール.jpg 大黒将志
選手情報
本名 大黒将志
英字表記 Masashi Oguro
生年月日 1980年5月4日(44歳)
出身地 日本大阪府
身長 178 cm
体重 73 kg
ポジション フォワード
クラブチーム
1999-2005
2001
2006
2006-2008
2008-2009
2010
2010
2011-2013
2013
2014-2017
2016
2018-2019
ガンバ大阪
コンサドーレ札幌
グルノーブル
トリノ
東京ヴェルディ
横浜FC
FC東京
横浜F・マリノス
杭州緑城
京都サンガFC
モンテディオ山形
栃木SC
代表チーム
2005-2008 日本
サッカーボール.jpg
55
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大黒将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は日本サッカー選手。

人物・エピソード[編集]

  • ニックネームはオグリ。少年時代、俊足だったことから、当時活躍していた競走馬・オグリキャップにちなんで付けられた。
  • 三人兄弟の次男で本人曰く「自分は、中黒ですわ」。父親はボクシング経験者で記者によると話しかけるのも躊躇うような物凄い強面との話。
  • ユース時代、自身のミスに反省の意味も込めて丸刈りにした所、あまりに強面の風貌へと変貌しチーム内に恐怖と恐慌をもたらす、これが原因となってコーチからも「坊主にしなくていい」と告げられる。
  • 2001年に出場機会を求めてコンサドーレ札幌に移籍したものの、当時の監督である岡田武史の構想から外れ、ほとんど出場機会は与えられなかった。しかし、代表でブレイクした際のインタビューで「札幌での経験が、自分のサッカー人生において良い肥やしになった」と語っており、岡田から「練習でゴールを決められない奴は、試合でもゴール出来ない」と言われ得心。「あの時岡田さんに言われたことが、今の自分に本当に役に立っている」とも述べた。
  • 姉さん女房であった元夫人は、かつて「藤原みわ」という芸名でタレント活動(田辺エージェンシー所属)をしていた。大阪のラジオ番組ではFUJIWARAつんく♂と共演歴がある。
  • 「二人の愛する家族」はチワワのラオウと、クリリン。名前は大好きな漫画「北斗の拳」と「ドラゴンボール」に登場するキャラクターのラオウクリリンから付けた。
  • 車好きとして知られている。サーキットでの走行会に参加するほどの車好きだが、日本代表選出以降はサーキット走行は自粛している。
  • Jリーグでの活躍が認められ、2005年にワールドカップドイツ大会のアジア予選で得点力不足と嘆かれていた日本代表に初選出。代表として2戦目となった2月9日のアジア最終予選・対北朝鮮戦で後半残り10分から途中出場し、1対1のスコアで迎えた後半ロスタイムに決勝ゴールをあげる活躍を見せた。この試合のテレビ中継の瞬間最高視聴率が57.7%(関東地区)を記録したことに伴い、その知名度が瞬く間に急上昇した。その後も順調な働きを見せ、日本代表では2005年の1年間で最多となる5得点を挙げている。翌日から新聞やインターネットには、どこを見ても“大黒様”の活字ばかり。「神様、仏様、大黒様!」とも書かれた、まさに一夜にして生まれたシンデレラボーイである。
  • 2005年12月26日放映のTBS系「関口宏の東京フレンドパークIISP」に日本代表選手の一員として出演する予定だったが、壁に向かってジャンプする人気コーナー「ウォールクラッシュ」のリハーサル中に右足をひねり、大事を取って出演を見合わせた[1]
  • 代表では通算で5得点しているが、いずれも途中出場でのゴールであり、先発出場した試合では1度として得点していない。
  • 兄と弟もガンバ大阪ユースに所属する選手だった。弟の大黒聡はサラリーマンを辞めてまでジェフ・クラブの入団テストを受けたが、合格には至らなかった。聡はその後、2007年に徳島ヴォルティス・アマチュアへ入団したが、1年で退団した。
  • 2006ワールドカップ開催地・ドイツへ向けて出発する空港で頭髪に「銀メッシュ」を入れて登場。オフだった前日にMF稲本潤一行き付けの美容室で銀一色ではなく所々に銀色が光る、見る角度で色が変わる派手な色に染めあげられており周囲を驚かせた。
  • セリエAへの移籍は、ドイツワールドカップで中田英寿イタリア移籍を相談した所、中田の代理人を紹介されたのがきっかけとなった。
  • 所属マネジメント事務所はサニーサイドアップ
  • 2009年7月26日、横浜FCサポーターの執拗なブーイングや靴を投げつけられた事に激高、その直後のゴールパフォーマンスで相手ゴール裏で両耳に手を当てて煽る等の行為をした(半年後、大黒は横浜FCに移籍)。
  • 京都サンガFC在籍中の2015年、シーズン途中に石丸清隆に監督が交代すると、守備を重視した同監督が指揮を執った20試合で先発は僅か5試合に留まった。また、工藤浩平の退団や中山博貴の怪我でチームにパサーが不在だったことも得点の伸び悩みの一因となり、大黒自身も「このチームは僕の能力を引き出せていない」と不満を述べていた[2]。この年限りで構想外となっていた[3][4]が、翌年モンテディオ山形で息を吹き返し1年で京都に戻ってきている。
  • 両足の指を全て広げる事が出来る。TBS系列の情熱大陸出演時に披露。
  • 波田陽区が大黒のことを「あなたの顔はどう見てもつぶやきシローに見えますから。残念!」といって斬ったことがある。しかし、つぶやきシローが髪型を変えてからは両者はそれほど似ていないと思われる。
  • 積極的にシュートを打つ選手であり、全盛期には他の日本人FW、例えば巻誠一郎佐藤寿人高松大樹選手などの倍以上のシュート数を残している。
  • コンフェデレーションズカップ時にFIFAの英語サイトが行った「グループリーグ敗退が惜しまれる選手」というアンケートで中村俊輔アロイージに次ぐ3位にランクインした。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
G大阪 リーグ Jリーグ杯
1999 J1 29 11 0 2 0
2000 29 7 1 2 0
通算 18 1 4 0
札幌 リーグ Jリーグ杯
2001 J1 17 4 0 2 0
通算 4 0 2 0
G大阪 リーグ Jリーグ杯
2002 J1 16 6 1 2 1
2003 16 26 10 5 3
2004 16 30 20 7 4
2005 16 31 16 4 0
通算 93 47 18 8
グルノーブル リーグ クープ・ドゥ・ラ・リーグ
2005/06 L2 9 17 5
2006/07 9 2 1
通算 19 6
トリノ リーグ -
2006/07 A 16 7 0
2007/08 16 3 0
通算 10 0
東京V リーグ Jリーグ杯
2008 J1 36 14 2 0 0
2009 J2 9 39 21 -
通算 53 23 0 0
横浜FC リーグ Jリーグ杯
2010 J2 9 16 12 -
通算 16 12 0 0
FC東京 リーグ Jリーグ杯
2010 J1 39 22 7 2 0
通算 22 7 2 0
横浜FM リーグ Jリーグ杯
2011 J1 11 28 10 5 3
2012 9 25 2 3 1
2013 9 0 0 0 0
通算 53 12 8 4
杭州緑城 リーグ -
2013 SL 11 24 3
通算 24 3
京都 リーグ Jリーグ杯
2014 J2 31 42 26 -
2015 31 40 16 -
通算 82 42 0 0
山形 リーグ Jリーグ杯
2016 J2 33 26 9 -
通算 26 9 0 0
京都 リーグ Jリーグ杯
2017 J2 31 28 6 -
通算 28 6 0 0
栃木 リーグ Jリーグ杯
2018 J2 9 40 12 -
2019 9 29 6 -
通算 69 18 0 0
総通算 517 186 34+ 12+

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
2005 15 5
2006 6 0
2007 0 0
2008 1 0
通算 22 5

出典[編集]

外部リンク[編集]

J2リーグ得点王
1990年代 1999: 神野卓哉
2000年代 2000: エメルソン | 2001: マルコス | 2002: マルクス | 2003: マルクス | 2004: ジュニーニョ | 2005: パウリーニョ | 2006: ボルジェス | 2007: フッキ | 2008: 佐藤寿人 | 2009: 香川真司
2010年代 2010: ハーフナー・マイク | 2011: 豊田陽平 | 2012: ダヴィ | 2013: ケンペス | 2014: 大黒将志 | 2015: ジェイ | 2016: 鄭大世 | 2017: イバ | 2018: 大前元紀 | 2019: レオナルド
2020年代 2020: ピーター・ウタカ | 2021: ルキアン | 2022: 小川航基 | 2023: フアンマ・デルガド
Jリーグベストイレブン-2004
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