中澤佑二
選手情報 | |
---|---|
本名 | 中澤佑二 |
英字表記 | Yuji Nakazawa |
生年月日 | 1978年2月25日(46歳) |
出身地 | 日本、埼玉県 |
身長 | 187 cm |
体重 | 78 kg |
ポジション | ディフェンダー |
クラブチーム | |
1999-2001 2002-2018 |
東京ヴェルディ1969 横浜F・マリノス |
代表チーム | |
1999-2010 | 日本 |
中澤佑二(なかざわ ゆうじ、1978年2月25日 - )は日本の元サッカー選手。
プレースタイル[編集]
非常に頑丈な選手であり、2013年から2018年まで5年間178試合連続フル出場を成し遂げた。
スピードのある相手を若干苦手としているために、裏のスペースにはそれほど強くない。またA代表のガーナ戦においてはスピードで振り切られて失点してしまうなど、世界レベルの相手に関してはスピードに難がある。しかし、それを経験でカバーした粘り強い守備を見せる。
フィリップ・トルシエにはラインコントロール技術が低いことを指摘されていたが、近年はそれも改善されてきている。
また、まれに直接フリーキックを蹴る事があり、2006年のオールスターゲームでは、当時の日本代表GK川口能活から直接フリーキックを決めたことがある。
エピソード[編集]
高校時代、プロサッカー選手になる夢を誰にも信じてもらえず、サッカー部の監督だけが相談相手だったという。
ヴェルディの練習生時代、少しでもサッカー関係者の目につくようにという理由で、伸ばし始めたセミロングにパーマをかけた独特のヘアスタイルにする。それまでは坊主だった。このヘアスタイルはのちに「ボンバーヘッド」と命名され、いまや本人の代名詞となっている。一時期そのボンバーヘッドをばっさりと切ったことがあるが、すぐに戻した(短髪の中澤が出場した試合で解説を務めた早野宏史からは「短いのも悪くない」と評されている)。略して「ボンバー」という愛称で呼ばれることも多く、2009年シーズンより、ユニフォームの背中ネームも「NAKAZAWA」から「BOMBER」に変更している。三浦知良の「KAZU」、中村憲剛の「KENGO」、佐藤勇人の「YUTO」など、本名をもじった愛称をユニフォームに入れた先例はあったが、本名に全く関係ない愛称を入れたのは、同年に「JIRO」に変更したチームメイトの清水範久とともにJリーグで初めてである。
本人は「髪が短いほうが楽」と述べており切りたがっているが、上記の理由もあり髪型をキープしている。また「引退したら切る」とも述べている。
練習生時代、同じくブラジル留学経験のある三浦知良に「同じ留学経験のあるカズさんなら」とブラジル留学時代と同じようなハードタックルをした所、カズが「ふざけんじゃねえよ!誰だお前!」と激怒し、髪を鷲掴みされ引きずられた。後にカズはこれについて「僕も若かったから」と苦笑している。なお、2011年3月に行なわれたチャリティーマッチではカズと共にJリーグ選抜として選出され、肩を並べて選手の集合写真に写っている。
2002年開幕直前にヴェルディから横浜F・マリノスへ移籍を決断するが、ヴェルディに所属する唯一の代表選手ということで、正式決定までに時間が掛かり開幕直前の発表となった。その影響で同シーズン用の集合写真や選手プロフィール用の撮影が済んでしまっていたことから、2002年の選手名鑑等に掲載されるチームの集合写真ではマリノスではなくヴェルディの集合写真に中澤の姿がある。
横浜FMに移籍した2002年は、第7節ジュビロ磐田戦で移籍後初得点を決めたが、その2節前の第5節ガンバ大阪戦での移籍後初オウンゴールの方が先になった。
2007年に日本代表復帰を決断した理由として、バスケットボール選手の田臥勇太と対談した際に「自分がNBAに挑戦することで何か変えられるのでは」という田臥の言葉を聞いて「僕は良い環境にいながら、なぜここで立ち止まっているんだ」と考えたことがきっかけであるとコメントしている。
早寝早起きで毎日早朝のランニングを欠かさない。
妻から貰う小遣いは月5万円である事を自身のブログやインタビューで告白している。
安室奈美恵のファンであることを公言しており、毎年ライブにも行っている。サッカーダイジェストの選手名鑑には毎年安室奈美恵ネタが現れる。
地元吉川市で「NAKAZAWA SC」というサッカースクールを開設している。
2007年のファン感謝イベントで若手選手たちと一緒に「DJオズマリノス」と称して「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」でダンスを披露した。この好評を受けて、2008年はマリザイル、2009年はマリケル・ジャクソンと銘打ち、2013年はゴールデンボンバーの樽美酒研二に扮しダンスを披露。F・マリノスのファン感謝祭をレベルの高いものとしている。2011年は「オレっち」と称してなぞかけを披露した。
M-1グランプリの決勝戦で、2007年度から毎年スタジオゲストとして出演していた。
毎年撮影されるチームの集合写真では一人だけ顔を違う方向に向けている(高校時代から集合写真は1人明後日の方向を見ていると後輩の間では有名)。
代表のチームメイトでは楢﨑正剛や中村俊輔と仲がよい。なお、日本代表における得点の1点目から4得点目までは中村のアシストから決めたものである。
横浜FMから横浜FCへ移籍した久保竜彦が2007年開幕戦で豪快なゴールを決め、ひょっとこ顔ダンス(タコダンス)を披露。次節で対戦する中澤が「(久保がゴール後のパフォーマンスで)変な踊りをしているのは乗っている証拠だから気を引き締めて戦う」という旨のコメントをスポーツ紙上で語ると、それがYahoo!ニュースで「中澤、久保の変な踊りを警戒」と大々的に紹介されて多くの笑いを誘った。
2008年第26節9月23日の対川崎フロンターレ戦で、前半42分にゴールを決めたが、後半27分に相手MFヴィトール・ジュニオールのコーナーキックをヘディングでクリアしようとしたが失敗、オウンゴールとなってしまう。結局そのまま1-1で引き分けとなり、得点も失点も中澤によるものという1人舞台となった。その試合後の記者会見では「今日の得点は…あっ、どっちも僕の得点だっけ」とコメント(週刊サッカーマガジンの記事による)。
2010年6月11日に放送されたアニメ「クレヨンしんちゃん」にサッカー仙人役で出演し、声優デビューを果たした。
雑誌「Athlete Safari」が主催する『Athlete Dresser Award』で第1回、第2回と2年連続で、お洒落なアスリートとして表彰されている。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
V川崎/東京V | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
1999 | J1 | 22 | 28 | 1 | 2 | 0 |
2000 | 22 | 29 | 4 | 3 | 0 | |
2001 | 22 | 26 | 0 | 2 | 0 | |
通算 | 83 | 5 | 7 | 0 | ||
横浜FM | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2002 | J1 | 38 | 27 | 1 | 0 | 0 |
2003 | 22 | 29 | 4 | 7 | 2 | |
2004 | 22 | 27 | 1 | 0 | 0 | |
2005 | 22 | 27 | 3 | 3 | 0 | |
2006 | 22 | 23 | 1 | 2 | 0 | |
2007 | 22 | 32 | 2 | 7 | 0 | |
2008 | 22 | 33 | 4 | 3 | 0 | |
2009 | 22 | 32 | 3 | 3 | 0 | |
2010 | 22 | 22 | 0 | 2 | 1 | |
2011 | 22 | 33 | 1 | 5 | 0 | |
2012 | 22 | 33 | 3 | 3 | 0 | |
2013 | 22 | 34 | 1 | 8 | 0 | |
2014 | 22 | 34 | 2 | 2 | 1 | |
2015 | 22 | 34 | 0 | 3 | 0 | |
2016 | 22 | 34 | 3 | 6 | 0 | |
2017 | 22 | 34 | 1 | 0 | 0 | |
2018 | 22 | 22 | 1 | 2 | 0 | |
通算 | 510 | 31 | 56 | 4 | ||
総通算 | 593 | 36 | 63 | 4 |
代表チームの統計[編集]
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 試合 | 得点 |
1999 | 1 | 0 |
2000 | 6 | 2 |
2001 | 2 | 0 |
2002 | 1 | 0 |
2003 | 4 | 0 |
2004 | 15 | 5 |
2005 | 12 | 1 |
2006 | 12 | 1 |
2007 | 13 | 2 |
2008 | 16 | 4 |
2009 | 14 | 2 |
2010 | 14 | 0 |
通算 | 110 | 17 |
外部リンク[編集]
J1リーグMVP |