清武弘嗣

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サッカーボール.jpg 清武弘嗣
選手情報
本名 清武弘嗣
英字表記 Hiroshi Kiyotake
生年月日 1989年11月12日(35歳)
出身地 日本大分県
身長 172 cm
体重 63 kg
ポジション ミッドフィールダー
クラブチーム
2008-2009
2010-2012
2012-2014
2014-2016
2016-2017
2017-
大分トリニータ
セレッソ大阪
ニュルンベルク
ハノーファー
セビージャ
セレッソ大阪
代表チーム
2011-2017 日本
サッカーボール.jpg
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清武弘嗣(きよたけ ひろし、1989年11月12日 - )は日本サッカー選手。

エピソード[編集]

  • さみしがり屋であり、2010-2012年のセレッソ大阪在籍時には、寮で他の選手の部屋に入り浸っていた。結婚相手が大阪に引っ越してくるまでの間は、山口蛍の部屋に居座っており、ある日、山口が寮の部屋に帰ると当然のように清武が寝ていたという。
  • 大分トリニータU-18時代の3年間のうち1年半は怪我でプレーしていなかった。本人はトップチーム昇格を諦め、大学も探していたがトップチームに上がれた。同僚だった東慶悟は、2021年7月20日にセレッソ大阪公式ユーチューブチャンネルで配信された対談動画で「別格だった 怪我しまくってるのになんかずっと凄い」としながらも「ほとんどプレーしてないのにプロ行ける人おる?いやどこで(クラブは)判断したん?」と話し、清武も爆笑していた。
  • スペインでのプレーについて、後に家長昭博との対談で、「スペインに行って初めて体感した“ポジショナルプレー”にすごく戸惑った、正直なところチームメイトのレベルが高すぎて「なんでできないの?」という雰囲気をいつも感じていた。一つのトラップにしても、一つのパスにしても、日々の練習で感じるあのプレッシャーは本当にすごかった。半年間ずっと葛藤していた、コンディションを維持するのも難しかった。」「1人では限界があるとスペインに行って感じたし、試合に出られない時間の中で、まさにコンディショニングやフィジカル、食事などの面でサポートしてもらうチームを作れたら絶対に良くなると思っていました。実はドイツ時代からそういう話はあったけれど、少しうまくいっていたからといって自分から動き出さなかったことは反省点です。世界のトップを目指すなら、そういうサポート体制は間違いなく必要だと僕も思います。」「ドイツではある程度うまくいっていたにもかかわらず、スペインでは完全に心を折られる経験をして、自分が甘かったことに思い切り気付かされました。しかも世界にはサッカーがうまい選手がこんなにもいて、サッカーの質そのものもこんなに違うんだと教えてもらえた。すごくいい勉強になったと思っています。」と話した。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点 試合 得点
大分 リーグ Jリーグ杯
2008 J1 28 8 1 3 0
2009 28 23 3 6 1
通算 31 4 9 1
C大阪 リーグ Jリーグ杯
2010 J1 13 25 4 1 0
2011 13 25 7 0 0
2012 8 16 2 3 1
通算 66 13 4 1
ニュルンベルク リーグ DFLリーガポカール
2012/13 BL 13 31 4
2013/14 13 33 3
通算 64 7
ハノーファー リーグ DFLリーガポカール
2014/15 BL 28 32 5
2015/16 10 21 5
通算 53 10
セビージャ リーグ コパ・デ・ラ・リーガ
2016/17 PD 14 4 1
通算 4 1
C大阪 リーグ Jリーグ杯
2017 J1 46 18 6 4 0
2018 10 20 4 2 0
2019 10 27 1 1 0
2020 10 33 8 4 1
2021 10 32 2 2 0
通算 130 21 13 1
総通算 348 56 26+ 3+

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
2011 5 0
2012 7 1
2013 11 0
2014 3 0
2015 7 0
2016 9 4
2017 1 0
通算 43 5

外部リンク[編集]

Jリーグベストイレブン-2011
GK: 楢崎正剛 | DF: 近藤直也酒井宏樹田中マルクス闘莉王 | MF: ジョルジ・ワグネルレアンドロ・ドミンゲス藤本淳吾遠藤保仁清武弘嗣 | FW: ハーフナー・マイクケネディ