楢﨑正剛

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サッカーボール.jpg 楢﨑正剛
選手情報
本名 楢﨑正剛
英字表記 Seigo Narazaki
生年月日 1976年4月15日(45歳)
出身地 日本奈良県香芝市
身長 187 cm
体重 80 kg
クラブチーム
1995-1998
1999-2018
横浜F
名古屋
代表チーム
1998-2010 日本
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楢﨑正剛(ならざき せいごう、1976年4月15日 - )は日本の元サッカー選手。楢崎正剛と表記されることもある。

来歴[編集]

1995年横浜フリューゲルスに加入。

横浜Fの合併により1999年には名古屋グランパスに移籍。移籍後早い段階でレギュラーを奪い、以降15年以上にわたってレギュラーメンバーとして出場し続ける。

2010年には名古屋のJ1優勝に貢献。また楢崎自身はゴールキーパーで初のMVPを受賞した。同年6月3日号の週刊文春での阿川佐和子との対談記事の中で、シーズンオフの契約更改で提示された年俸に対して「高過ぎる」と辞退した事があったとのこと。

エピソード・その他[編集]

  • 横浜フリューゲルスへの思い入れが強い。ライバルの川口能活が当時マリノスにいたこともあり、フリューゲルス合併後に統合チーム(F・マリノス)へ所属するという見方はほとんどなかった。2008年の『週刊サッカーマガジン』でのインタビューでは、名古屋から移籍すると「前所属・横浜フリューゲルス」が消えるのが嫌だという発言をしている。横浜フリューゲルス消滅時、ジュビロ磐田への移籍が濃厚と言われていたが、名古屋グランパスの熱意に負けて名古屋への移籍を決めた。フリューゲルスの選手たちが多く移籍した横浜F・マリノスに関しては、「(日本代表でもそうであるように)チームでまで川口(能活)選手と(正GKを)争いたくない」と拒否。
  • 2004年、名古屋グランパスエイトに川島永嗣が移籍した。川島は当時J2の大宮アルディージャで正GKを務め、前年のFIFAワールドユース選手権では日本をベスト8まで導く活躍をしていたが、楢﨑は安定した成績を収め、レギュラーの座を譲らなかった。名古屋では楢﨑の負傷時、あるいは代表招集時の代役にとどまった川島は2007年に川崎フロンターレへ移籍したが、同年からは日本代表で再び楢﨑と同じチームに所属している。
  • 顎がしゃくれているせいか、森岡隆三に、「ピーター・フォンダに似てる」と言われた事がある。そんな森岡も若干あごが出ている。
  • 高校時代、どんな猛練習にも耐えて倒れても起き上がって来たことから、付いたあだ名がフランケンシュタイン
  • 二男の父(長男 2003年12月生、次男 2006年11月生)である。
  • 憧れの選手は、元デンマーク代表のピーター・シュマイケル
  • やべっちFCキャプテン翼でグランパスに所属する日本代表GK若島津からお祝いを貰っている。
  • 川島や闘莉王や本田を始めとする選手から兄貴分として慕われている。特に闘莉王の楢崎に対する思いは深い。楢﨑のMVP受賞の際、自分のことのように喜んだ。『ナラさんにしても、シュンさんにしても僕の中でナンバーワンの選手。まだまだ代表を引っ張っていける。ナラさんは、MVPをきっかけにもう1度代表でやりたいと思ってくれるといいんですけどね。』と言葉を残した。
  • 名古屋の歴代監督からの信頼は相当なもので11年連続でキャプテンを務めている。また、名古屋のキャプテンは所属選手の推薦で選ばれるため、チームメイトにも信頼されている証拠でもある。
  • ストイコビッチ監督から絶大な信頼を受け、同監督からは日本でベストのGKと評されている。
  • マギヌンから『ケション』(ポルトガル語で顎)といじられていた。
  • チーム最年長ながら若手の選手との関係も良い。若手選手によく顎を触られてる。小川とは自主トレを共にするなど厚い信頼を置かれている。本人も、若手が先輩だと思って扱ってくれないと嘆いていた。
  • 代表では中澤や川島と仲が良かった。
  • 大会直前に自身から先発の座を奪った川島に大会期間中に必死にアドバイスする姿に岡田監督からプロの鑑と評された。
  • 代表を引退しながらも、秋田豊やストイコビッチなど楢﨑をナンバーワンと評価する人が未だに多い。
  • 2011年のゼロックスス-パー杯で鹿島のアレックスのPKをキャッチする離れ技をみせた。他にも、後半終了間際の野沢のシュート、PK戦でもアレックス以外にも岩政、新井場のシュートも止めた。野沢に『あんな所から手が出てくると思わなかった。』岩政には『ナラさんの凄さは代表で知っていた。蹴る前から気持ちで負けていたのかもしれない。』と、言わしめた。
  • 川口や川島のような派手なセーブが少ないことで有名。普通のGKがセービングするようなシュートを楢﨑は正面あるいは体の近くで処理をする。これは高校時代の監督の教えが影響している。西川や川島は楢﨑が正面で簡単に処理するシュートもGK目線から見れば凄いと言っている。楢﨑自身も自身の著書でスーパーセーブには興味ないと公言している。またメディア等に大げさに取り上げられるのも居心地が悪いと言っている。
  • 静の楢﨑と言われていたように、クールなイメージが強いが、優勝特番ではよく喋っていた。2011年のJリーグアウォーズでは、負傷で欠席したジョシュア・ケネディの代理として得点王のスピーチを行い「得点王の“あくまで代理の”楢﨑です。」「得点王とは対局のポジションである私が、(ケネディの)コメントを紹介します。」「((笑)を字面通りに)かっこわらい。」「(カタカナ発音で)サンキューベリーマッチ。」などの発言で場内の笑いを誘った。
  • 愛称は『ナラ』だが藤田やライバル川口、一部のサポーターからは『正剛』と呼ばれている。
  • 堂々とした体格・冷静沈着なプレイスタイルとは裏腹に、攻撃的ともいえる寒い親父ギャグを連発する面白キャラである。
  • Jリーグ無失点72試合の記録保持者で現在も継続中である。
  • 名古屋11試合連続無敗記録。
  • 2006年5月6日Jリーグ第12節、ライバル川口能活を擁するジュビロ磐田との試合でGKとしては異例のアシストを記録した。自チームのピンチを防いだ後、相手の隙を突く素早いフィードキックから相手DFが戸惑ったところを名古屋の山口慶が押し込み先制点を決めた。これは楢﨑自身、長年の課題であったフィードを克服した成果でもあった。試合結果は2-2で2失点はしたものの、3度のスーパーセーブを見せるとともに、チームメイトへの的確な指示でチームに貴重な勝ち点1をもたらした。
  • オーバーエージとして参加したシドニー五輪準々決勝アメリカ戦で、後半31分にDF中澤佑二とゴール前で接触、頭蓋骨骨折という重症を負う。しかし止まらない鼻血を袖で拭いながら(手で拭うと血でボールが滑ってしまうため)PK戦まで闘い抜いた直後病院に搬送された。このことがフィリップ・トルシエの評価を一層高め、結果日韓ワールドカップではライバル川口をベンチに追いやり全試合に出場したとされる。
  • 2006年現在、W杯本選で日本人唯一の勝ち試合でピッチに立っていたGKである。
  • 国際Aマッチでは2003年10月8日チュニジア戦から2004年2月18日オマーン戦まで7試合連続無失点を記録している。
  • その無失点時間は2003年6月22日コロンビア68分から2004年3月31日シンガポール63分までの715分を記録している。

プレースタイル[編集]

187cmと長身でハイボールに強く、安定した守備で派手さはないが常に冷静沈着で堂々とした風貌で最終ラインに指示を出す。またPKの際には相手のキックを読む力などトータルバランスに優れており大きな欠点も無い。

評価[編集]

代表の同僚である同世代の川口能活横浜M/横浜FMFC岐阜)とは対照的なプレースタイルで、かつてマスコミは、積極的に飛び出す勇猛果敢な川口を「動」、冷静沈着な楢﨑を「静」のGKと、頻繁に表現していた。メディアから『動』の川口『静』の楢﨑と言われるなど日本代表守護神の座を激しく争った両者は、あまりのライバル心からお互い練習中に話すことは一切なかった。しかし、年を重ねるごとに関係も軟化していって今では互いに認め合うまでになった。

2010年、Jリーグとしては史上初となるGKでのMVP(Jリーグアウォーズ・ベストイレブンも同時に表彰)を受賞した。優勝が決定した湘南戦で、監督の反町康治が「危ないところでも一番前と一番後ろの力強さというか巧さというか、つまりGKとCFかもしれないが、それが年間を通じて好パフォーマンスだったことがそれを物語っていると思います」と年間を通して自分のチームと比較してコメントした。

クラブチームの統計[編集]

年度 リーグ 試合 得点
横浜F リーグ
1995 J - 23 0
1996 - 23 0
1997 1 24 0
1998 1 34 0
通算 104 0
名古屋 リーグ
1999 J1 1 25 0
2000 1 30 0
2001 1 28 0
2002 1 30 0
2003 1 28 0
2004 1 26 0
2005 1 32 0
2006 1 24 0
2007 1 29 0
2008 1 30 0
2009 1 26 0
2010 1 34 0
2011 1 24 0
2012 1 32 0
2013 1 34 0
2014 1
通算 432 0
総通算 536 0

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
1998 2 0
1999 3 0
2000 9 0
2001 1 0
2002 10 0
2003 12 0
2004 9 0
2005 4 0
2006 0 0
2007 1 0
2008 12 0
2009 6 0
2010 8 0
通算 77 0

関連ページ[編集]

1990年代93: 三浦知良 (ヴェルディ川崎) | 1994: ペレイラ (ヴェルディ川崎) | 1995: ストイコビッチ (名古屋グランパスエイト) | 1996: ジョルジーニョ (鹿島アントラーズ) | 1997: ドゥンガ (ジュビロ磐田) | 1998: 中山雅史 (ジュビロ磐田) | 1999: アレックス (清水エスパルス)
2000年代2000: 中村俊輔 (横浜F・マリノス) | 2001: 藤田俊哉 (ジュビロ磐田) | 2002: 高原直泰 (ジュビロ磐田) | 2003: エメルソン (浦和レッズ) | 2004: 中澤佑二 (横浜F・マリノス) | 2005: アラウージョ (ガンバ大阪) | 2006: 田中マルクス闘莉王 (浦和レッズ) | 2007: ポンテ (浦和レッズ) | 2008: マルキーニョス (鹿島アントラーズ) | 2009: 小笠原満男 (鹿島アントラーズ)
2010年代2010: 楢崎正剛 (名古屋グランパス) | 2011: レアンドロ・ドミンゲス (柏レイソル) | 2012: 佐藤寿人 (サンフレッチェ広島) | 2013: 中村俊輔 (横浜F・マリノス) | 2014: 遠藤保仁 (ガンバ大阪) | 2015: 青山敏弘 (サンフレッチェ広島) | 2016: 中村憲剛 (川崎フロンターレ) | 2017: 小林悠 (川崎フロンターレ) | 2018: 家長昭博 (川崎フロンターレ) | 2019: 仲川輝人 (横浜F・マリノス)
2020年代2020: オルンガ (柏レイソル)
Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - JBP賞)