ドイツ帝国
ドイツ帝国(どいつていこく)とは、1871年1月18日から1918年11月9日までに存在した帝国である。
建国[編集]
18世紀から19世紀にかけて、大英帝国やフランスは産業革命によって発展し、広大な植民地を築き上げた。一方でドイツは小国が乱立した旧態依然の分裂状態が続いており、諸国間の関税によって経済も停滞していた。やがて、ナショナリズムの高揚を受けてドイツ地方の盟主プロイセン王国を中心にドイツを統一しようという風潮が高まり、「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクを元に近代化政策を断行した。これによりプロイセンは経済・軍事ともに急速に成長し、1864年にデンマークを、1866年にはオーストリアを相次いで撃破した。1867年にプロイセンを中心とする北ドイツ諸国による「北ドイツ連邦」が成立、統一まであと一歩となった。ドイツの強大化を恐れたナポレオン3世はドイツ統一の妨害を試みたが、普仏戦争に敗北し退位となった。この際、ビスマルクはフランスのベルサイユ宮殿にてプロイセン国王であるヴィルヘルム1世のドイツ皇帝即位式を盛大に執り行った。これによりにドイツ帝国が誕生した。
発展と没落[編集]
当初こそビスマルクの巧みな外交の元安定した政治が行われていたが、1888年に即位した弱冠20代のヴィルヘルム2世が高圧的な外交を行ったため周辺諸国との関係が悪化し、第一次世界大戦を引き起こすこととなった。ドイツ帝国は東部戦線でロシア帝国相手には勝利を重ね、革命による滅亡に追い込んだ。1918年3月にはロシア革命により誕生したレーニンのボリシェヴィキ政府と「ブレスト=リトフスク条約」を締結し、ポーランドやウクライナなどの広大な穀倉地帯を割譲させた。しかし、西部戦線では物資料で勝るアメリカ・イギリス・フランス相手に苦戦し、膠着状態に陥った。米英の海上封鎖により国内で飢餓が蔓延する中、厭戦気分の高まりによって1918年にドイツ革命が勃発。ヴィルヘルム2世は退位しオランダへ亡命したためドイツ帝国は滅亡した。戦後ドイツは屈辱的な条約を結ばされ、後のナチス・ドイツの火種となった。
歴代皇帝[編集]
プロイセン王がドイツ皇帝となった。
- ヴィルヘルム1世(在位:1861.1 - 1888.3)
- フレードリヒ3世(在位:1888.3 - 1888.6)
- ヴィルヘルム2世(在位:1888.6 - 1918.11)
構成国[編集]
構成国 | 首都 | 面積 (km²) | 議席 |
---|---|---|---|
王国 (Königreich) | |||
プロイセン王国 バイエルン王国 ヴュルテンベルク王国 ザクセン王国 |
ベルリン ミュンヘン シュトゥットガルト ドレスデン |
348.702 75.870 19.511 14.992 |
17 6 4 4 |
大公国 (Großherzogtum) | |||
バーデン大公国 メクレンブルク=シュヴェリーン大公国 ヘッセン大公国 オルデンブルク大公国 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国 |
カールスルーエ シュヴェリーン ダルムシュタット オルデンブルク ヴァイマル ノイシュトレーリッツ |
15.067 13.126 7.688 6.428 3.611 2.929 |
3 2 3 1 1 1 |
公国 (Herzogtum) | |||
ブラウンシュヴァイク公国 ザクセン=マイニンゲン公国 アンハルト公国 ザクセン=コーブルク=ゴータ公国 ザクセン=アルテンブルク公国 |
ブラウンシュヴァイク マイニンゲン デッサウ コーブルク/ゴータ アルテンブルク |
3.672 2.468 2.299 1.977 1.323 |
2 1 1 1 1 |
侯国 (Fürstentum) | |||
リッペ侯国 ヴァルデック侯国 シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国 シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国 ロイス=ゲーラ侯国 シャウムブルク=リッペ侯国 ロイス=グライツ侯国 |
デトモルト バート・アロルゼン ルードルシュタット ゾンダースハウゼン ゲーラ ビュッケブルク グライツ |
1.215 1.121 940 862 826 340 316 |
1 1 1 1 1 1 1 |
自由都市 (Freie Stadt) | |||
自由ハンザ都市ハンブルク 自由ハンザ都市リューベック 自由ハンザ都市ブレーメン |
----- ----- ----- |
413 297 256 |
1 1 1 |
帝国直轄州 (Reichsland) | |||
エルザス=ロートリンゲン | シュトラースブルク | 14.517 | 3 |
合計 | 540.766 | 61 |
|
|
|