ブルネイ
ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ・ダルサラームこく、Negara Brunei Darussalam(BL))とは、ボルネオ島の北部の3方をマレーシアに囲まれた小国である。政体は立憲君主制。国土面積は5765平方キロ(日本の三重県と同規模)。人口は2011年の時点で40万2000人。人口密度は69.7人/㎢。首都はバンダルスリブガワン。国名の由来はマレー語の「buah nyiur(ココヤシを意味する)」に由来し、ボルネオはこのブルネイが後に転訛したものと言われている。ダルサラームはアラビア語で「平穏な土地」を意味する。
概要[編集]
歴史[編集]
6世紀頃からポニという小国が存在した。10世紀になるとこの地は交易で繁栄し、15世紀初頭に単一のイスラム国家となるブルネイ王朝が成立して全盛期を迎えた。しかし1888年にイギリスの保護国にまで零落し、第2次世界大戦が開始されるとこの地域に進出してきた旧日本軍によって征服されて3年半にわたって占領が行なわれた。1945年に日本が敗戦すると解放され、1971年に内政自治権を獲得する。1984年1月1日には東南アジアにおいて最後の植民地としての立場を脱して完全に独立を達成し、同時に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟した。国連には1984年9月21日に加盟している。
当初は反共産主義を外交方針としていたが、1991年に中華人民共和国やソ連と、1992年にはベトナムとそれぞれ国交を樹立して、全方位外交に転換した。ただし、中国とは外交関係を結びながらも、沖合にある南沙諸島の領有権をめぐって対立もしている(これはマレーシア・フィリピン・ベトナムとも同様)。
なお、後述のように実質専制君主国家でありながら、ここまで平穏に国家が存続している理由としては、ブルネイの豊かな経済状況にあるといえる。
地理など[編集]
沿岸部の一部を除いて、大半が熱帯樹林の丘陵地から成り立っている。熱帯雨林気候で、年中高温多湿である。
首都・バンダルスリブガワンの年平均気温は27.1度で、最高気温が5月の27.8度、最低気温は2月の26.5度であり、年間降水量は3686ミリである。
政治[編集]
この国は、表面的に立憲君主制の国政だが、国王が世襲制のもとで絶対的な権力を握っていて、事実上の専制君主制が行われ続けている。独立を果たした後に立憲議会は一旦解散されたが、2004年に立法評議会として再開。しかし、議員はイギリス貴族院のように国王の任命制で、国政レベルの直接選挙は一切行なわれないという。
経済など[編集]
この国はアジアでも屈指の高所得を有する国家である。しかも国民は個人所得税が免除され、教育や医療も無料だった。ただし、医療費に関しては1999年から微額ながら徴収を始めている。
なぜこのようなことが可能なのかというと、この国は石油王国だからである。歳入内訳については確実なものとは言えないが、総資産額はおよそ250億ドルを国王が持っており、それはかつてアメリカの経済誌「フォーブス」の世界長者番付のトップに君臨するほどで、「ギネスブック」などでも紹介されたほどである。
この国の経済を支えるのは日産で17万バレルに及ぶという原油などの天然資源であり、輸出額の96パーセントが原油と液化天然ガス(LNG)で占められており、液化天然ガスに至ってはほぼ全ての量が日本に輸出されている。だが、この国の国土の狭さは逆に国内市場が狭いという足枷となっており、技術の集積もほとんどなく、人件費が高いという問題もあって産業育成が非常に遅れている。現在は国家経済を支えている豊富なエネルギー資源も、恐らく2040年頃には枯渇するであろうと見られており、中東のドバイのように金融関連法制や経済改革を進めて地域の金融センターを目指すなどしているが、立ち遅れている感は否めない。
また、イスラムへの伝統回帰を強く打ち出しており、1990年には国立学校の男女共学が禁止され、1991年には飲酒およびアルコールの販売も全面禁止となっている。
宗教[編集]
住民[編集]
- マレー人が68パーセント。
- 中国系が15パーセント。
言語[編集]
通貨単位[編集]
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は3万1239米ドル(2010年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他