村上正邦
村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。福岡県嘉穂郡出身。参議院議員(4期)、労働大臣を歴任。
来歴[編集]
議員秘書を経て、昭和55年(1980年)に宗教団体などの支援を受けて参院全国区で初当選し、以後連続4回当選を果たした。
昭和59年(1984年)に中曽根康弘内閣で防衛政務次官に就任。平成4年(1992年)に宮澤喜一内閣で労相として初入閣する。村上はタカ派として知られており、靖国神社への首相や閣僚の公式参拝を推進していた。
平成7年(1995年)に党参院幹事長に就任。平成10年(1998年)に渡辺美智雄死後の旧渡辺派の会長に就任。平成11年(1999年)には「志帥会」(2020年現在は二階派)を結成し、参議院議員としては異例となる初代会長に就任。さらにこの年の7月には党参議院議員会長に就任し、自民党が参議院で過半数割れする中で、野党との信頼関係を生かして参議院の運営を取り仕切った。その調整能力や実力から「法皇」「尊師」「参院のドン」などの異名で呼ばれた。
平成12年(2000年)に小渕恵三首相が在職中に病気で倒れたので、青木幹雄や野中広務らとの協議で、後継となる首相を森喜朗とすることを決定し、この際の党総裁選を実施しなかった。このことから政権実力者「五人組」の一員に数えられ、密室政治として批判されるようになる。とはいえ、その実力から参議院議長への就任も間近と思われていたが、国会質問で報酬5000万円を受領したなどとされる旧ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)によるいわゆるKSD事件で平成13年(2001年)2月に議員辞職を余儀なくされ、翌3月には受託収賄容疑で逮捕された。同年の東京地裁、平成17年(2005年)の東京高裁でいずれも実刑判決を受け、最高裁に上告するも棄却されて、懲役2年2か月の実刑判決が確定されて、平成20年(2008年)には収監される。
令和2年(2020年)9月10日午前、埼玉県朝霞市の病院で死去。88歳没。
著書・共著[編集]
- 『政治にスジを通す』 日本教文社 1973年9月
- 『混迷の東欧を探る』 読売新聞社 1991年6月
- 『汗にむくいる 徳おこし労相奮戦記 ちょっとガラッパチですが』 労務行政研究所 1994年7月 ISBN 4845240742
- 『我、国に裏切られようとも 証言村上正邦』(村上正邦述/魚住昭著) 講談社、2007年10月 ISBN 9784062143332
- 『参議院なんかいらない』(平野貞夫/筆坂秀世との共著、幻冬舎新書041:幻冬舎)2007年5月 ISBN 9784344980402
- 『自民党はなぜ潰れないのか 激動する政治の読み方』(平野貞夫/筆坂秀世との共著、幻冬舎新書066:幻冬舎) 2007年11月 ISBN 9784344980655
- 『大和ごころ入門 日本の善によって現代の悪を斬る』(佐藤優との共著) 扶桑社、2008年4月 ISBN 4594055842
- 『「情」の国家論』 (山本峯章/佐藤優との共著) 光人社、2008年11月 ISBN 4769814097
- 『政治家の「あるべきようは」 ―日本を洗濯致し候』文芸社、2012年11月 ISBN 4286133761
- 『だから政治家は嫌われる』小学館、2014年2月 ISBN 4093798524
- 『日本会議をめぐる四つの対話』 (菅野完/魚住昭/白井聡/横山孝平との共著) ケイアンドケイプレス 2016年12月 ISBN 4906674682