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ひもろぎ会

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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ひもろぎ会(ひもろぎかい)は、國學院大學民族派学生12グループが共闘組織として結成した連合組織[1][2]。別名は国学院大学正常化連絡協議会[3]

概要[編集]

1971年6月1日に國學院大學民族派学生12グループ(桜花隊、生存法則研究会、東京日本主義学生連合、留魂会、敷島隊、大東亜研究会、日本主義研究会、和魂道研修会、純正皇道研究会、橘隊、憂国会、若獅子皇道隊)が学内の左翼勢力に対抗して、学園の正常化運動を推進するために結成した[1]日本共産党中央委員会出版局編『政治年鑑』によると、三島忌を契機に結成された[4]警視庁警備部編『警備関係用語集』によると、民青の進出に対抗する学生が結成した[5]

学内で革マル派と衝突した[6][2]。『国民政治年鑑』によると、構成人員は約30名で「左翼系教授・学生の追放を目指す過激な暴力闘争を繰り返している」とされる[7]松本健一によると、国大では革マル派、民青、そして大東塾系列の「ひもろぎ会」などの右翼系が三つ巴の争いを行っている[8]

荒原朴水『大右翼史 増補』(1974年)によると、代表は権藤時宏、大原康男、沼尻幸雄、朝倉正平[1]。社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』(1976年)によると、大原康男(国大大学院)、沼尻幸雄(国大)、朝倉正平(日大中退)[2]

活動[編集]

1971年6月1日の結成後、代表13名が血盟書、質問書、要望書を携えて学長室に座り込み、学長との会見を求めて同月5日まで学長室を占拠した。その後も学長と会見して学園正常化についての要望を行った[1][2]

三島・森田事件の1周年にあたる1971年11月25日に事件を記念する催しを開催した。『国民政治年鑑』によると、同日夜に学内で「三島森田両烈士1年祭」を開催した[9]植田康夫によると、学内で神式による「三島・森田追悼慰霊祭」を開催した[10]

1971年10月21日の国際反戦デーで学内の神殿が放火されるという情報が流れ、国大の神道研究の学生グループ「瑞玉会」が神殿警備に、また「ひもろぎ会」が構内や周辺の監視、防衛にあたった[11]

1972年1月19日に学内で開催された歴史学研究会主催の学術講演会になぐり込みをかけた[2][12][13]

1972年6月1日に学内で結成1周年記念集会を開き、作曲家の黛敏郎が招かれて講演を行った[14]

1972年9月13日に正門からスクラムを組んで出ようとした革マル派学生約70名を襲撃した[2]

出典[編集]

  1. 以下の位置に戻る: a b c d 荒原朴水『大右翼史 増補』大日本一誠会出版局、1974年、1576頁
  2. 以下の位置に戻る: a b c d e f 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、231-232頁
  3. 『警察公論』第26巻第11号、1971年11月
  4. 日本共産党中央委員会出版局編『政治年鑑 1973年版』日本共産党中央委員会出版局、1973年、343頁
  5. 警視庁警備部編『警備関係用語集』霞が関出版会、1973年、69頁
  6. 本木敏夫「過熱する新左翼〝秋の陣〟」『新評』第18巻第11号、1971年11月
  7. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1973年版』日本社会党機関紙局、1973年、973頁
  8. 松本健一『私の同時代史』第三文明社、1981年、149頁
  9. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1972年版』日本社会党機関紙局、1972年、945頁
  10. 植田康夫『病める昭和文壇史――自殺作家に見る暗黒世界』エルム、1974年、84頁
  11. 『神社新報選集 昭和51年版』神社新報社、1976年、169頁
  12. 山口啓二「読書ノート 鈴木良一著『日本中世の農民問題』の再刊によせて」『歴史評論』第261号、1972年4月
  13. 「歴科協活動記録(1967.4.16~1971.8.23)」『歴史評論』第263号、1972年6月
  14. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1973年版』日本社会党機関紙局、1973年、971頁

関連文献[編集]

  • 大東塾三十年史編纂委員会編『大東塾三十年史』(大東塾出版部、1972年)