吉原恒雄
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吉原 恒雄(よしはら つねお、1940年[1] - 2020年4月11日)は、軍事評論家[2][3]、政治学者。元拓殖大学国際学部・大学院国際協力学研究科教授。専攻は国際政治学、国家安全保障論、日本政治論[4]。
経歴[編集]
大阪市生まれ[5]。1964年関西学院大学経済学部卒業[5][6]。時事通信社入社。政治部記者、海外部次長、編集局デスク兼時事総合研究所研究員などを経て、1995年県立広島女子大学国際文化学部教授。1999年拓殖大学国際開発学部(2007年より国際学部)教授[1]。2004年同大学院国際協力学研究科教授兼務(安全保障専攻)[5]。2011年退任[2]。防衛法学会理事(1977年-)[6]、尚美学園大学大学院客員教授も務めた[7]。
2020年4月11日、急性心筋梗塞のため死去、80歳[2]。
人物[編集]
- 小林昭三、村尾次郎、村松剛、小田村四郎、大原康男、加瀬英明、小林宏晨、小堀桂一郎らとともに「日本を守る国民会議」の「新憲法の大綱」の作成に参加した[8]。
- 石破茂は吉原について「享年80歳。派手な活躍をされてはいなかったのでそれほど有名ではなかったかもしれませんが、私が最も尊敬し、影響を受けた学者のお一人でしたので、残念でなりません。広島女子大学教授時代に書かれた論文「『集団的自衛権行使違憲論』批判 有権解釈の矛盾と変更の必要性」(広島女子大学国際文化学部紀要・1996年)は「集団的自衛権 論争のために」(佐瀬昌盛著・PHP新書・2001年)と並んで憲法第9条についての私の考え方の原点となったものですし、最近の論考「改憲支持の低下は改憲内容のダンピング」(新国策・2018年6月号)も示唆に富むものでした。著書は少ないのですが「国家安全保障の政治経済学」(泰流社・1988年・絶版)は実に内容の深い、不滅の価値を持った素晴らしい論説集で、今でも折に触れて読み返しています。平成12年12月、森喜朗内閣の防衛総括政務次官(後の副長官)を拝命した際、吉原先生を政務次官室にお招きしてお話を伺ったことがありました」[3]「まさしく碩学であった小室直樹、色摩力夫、佐瀬昌盛、吉原恒雄各氏の安全保障に関する著作なくして、今日の私はありません」[9]などと述べている。
- 統一協会系の『世界日報』に2006年に船田元・自民党憲法調査会長、枝野幸男・民主党憲法調査会長らとの新春座談会が掲載された[2]。2014年8月に中谷元・元防衛庁長官(自民党衆議院議員)、黒木正博・世界日報論説主幹との座談会「集団的自衛権と日本の安全保障(上・下)」が掲載された[2][10][11]。
- 日本協議会・日本青年協議会の機関誌『祖国と青年』に度々寄稿している。同誌の第506号(2020年6月)に「追悼 吉原恒雄先生」が掲載された。
著書[編集]
単著[編集]
- 『国家安全保障の政治経済学』(泰流社、1988年)
- 『「専守防衛」策と日本の安全――自衛を全うすることが可能か 「日本の専守防衛策」研究プロジェクト』(東京財団研究推進部[Working paper series]、2004年)
共編著[編集]
- 『日本の安全保障と各党の防衛政策』(西修共著、教育社[入門新書 時事問題解説]、1979年)
- 『新しい日本の憲法像』(西修、大原康男、石田光義共著、富士社会教育センター[パラダイムシリーズ]、2000年)
- 『英和和英最新軍事用語辞典』(アメリカ合衆国統合参謀本部原編、慶野義雄、近藤重克、加藤朗共訳編、三修社、1983年)
出典[編集]
- ↑ a b WORKING PAPER 12. 「『専守防衛』策と日本の安全‐自衛を全うすることが可能か‐」 日本財団
- ↑ a b c d e 吉原恒雄氏が死去 世界日報、2020年4月14日
- ↑ a b 吉原恒雄先生ご逝去など 石破茂オフィシャルブログ、2020年6月12日
- ↑ 吉原恒雄:著者ページ Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)
- ↑ a b c 平成21年度第3回歴史・防衛講座 日本郷友会
- ↑ a b researchmap
- ↑ 秋季研究大会2013 防衛法学会
- ↑ 濱田浩一郎『日本人のための安全保障入門――憲法九条を中心に』三恵社、2011年、67頁
- ↑ 「防災省」(仮称)への思いなど|石破茂【公式】 note、2024年9月7日
- ↑ 集団的自衛権と日本の安全保障 座談会(上) ビューポイント、2014年8月8日
- ↑ 集団的自衛権と日本の安全保障 座談会(下) ビューポイント、2014年8月9日