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近鉄大阪線列車衝突事故

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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近鉄大阪線列車衝突事故
日付1971年10月25日
時間午後3時58分頃
場所三重県一志郡白山町(現・津市
死者25人
負傷者288人
原因ATSの故障
ブレーキ故障時の不適切取扱

近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)は、 1971年(昭和46年)10月25日に発生した鉄道事故(列車衝突事故)である。

近鉄大阪線総谷トンネル付近で特急列車同士が正面衝突した。当時現場付近の大阪線は単線であった。

一連の経過[編集]

事故当日、上本町近鉄名古屋行の特急114列車(4両編成)が西青山 - 東青山間を走行中、青山トンネル東口付近でATSの故障により緊急停車した。この日、本件列車以外にもトンネル内で上下合わせて6本の列車が緊急停止していた。

列車を再発車させようとした114列車の運転士だが、ATSを解除できず、停止地点が33‰の下り急勾配なこともあって車輪に手歯止めを噛ませ、各車両のブレーキ供給コックをカットし、ブレーキシリンダーのエアをすべて抜く措置を取った。なおこの供給コックをカットしてブレーキシリンダーのエアを抜くのはブレーキ不緩解故障が発生した際の基本手順に含まれている。

しかし緊急停車を聞いて東青山駅から駆けつけた同駅の助役が114列車運転士とやり取りを交わした後供給コックを再び開けることなく手歯止めを外してしまい、結果列車はブレーキが効かない状態で動き出し、暴走を始めてしまう。

15時58分頃、114列車は総谷トンネル手前の複線が単線へ収束する部分の安全側線へ144km/hの超高速で突っ込んで突破し、脱線転覆。1・2両目が総谷トンネル内へ突入し、直後前方の異変を察して非常ブレーキをかけた賢島京都近鉄難波行特急1400N・1400K列車(7両編成)と正面衝突した。

この事故で1400N・1400K列車の運転士・車掌、114列車に乗り込んでいた東青山駅の助役、乗客22名の計25名が死亡。300名近い負傷者が出た。

復旧作業は10月28日午前中に終了し、午後には運転を再開した。

事故原因[編集]

1400N・1400K列車の乗務員、東青山駅の助役が死亡してしまったことから

  • 衝突前後の詳しい状況
  • 114列車運転士がブレーキコックを開けないまま乗務員室へ戻った理由
  • 手歯止めを外す際の運転士と助役のやり取り

などが解明できなかったが、事故の発端となったATSの故障はATSの電源のヒューズの端子締付ナットの緩みからくる接触不良と判明した。

事故後[編集]

114列車の車両は全車廃車となったが、1400N・1400K列車の車両は全て修理復旧された。

近鉄は予てから進めていた大阪線の全線複線化を前倒しすることを決定。事故発生区間を含む榊原温泉口駅 - 垣内東信号場間に2つの新しい複線トンネルを開通させ、この区間を先行して複線化。その後1975年(昭和50年)11月に複線の新青山トンネルが開通し、西青山駅の辺鄙な地への移転および東青山駅の移転を完了させたことで全線複線化を達成した。

トンネル跡[編集]

単線の旧線は廃線となったが、総谷トンネル含むトンネル群は今も作業用として残されており、総谷トンネル壁面には事故によって生じた傷が今も残されているという。

脚注[編集]

鉄道での事件・事故
国内
海外
関連項目 鉄道事故の一覧 - 鉄道事件の一覧