美濃国
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美濃国(みののくに)は、大和時代から明治時代初期まで日本の地方行政区分だった令制国の一つ。濃州(のうしゅう)とも称される。
概要[編集]
内陸国であり、東山道に属した。濃尾平野は美濃国と尾張国の頭文字を取って名付けられている。
21郡を有し、国府は西部の不破郡にあった。主に現在の岐阜県美濃地方と愛知県豊田市旭地区の一部で、一時は長野県木曽郡の一部も国域だった。
織豊期の1586年に木曽川の流路が変わり、尾張国の葉栗、中島、海西の3郡が木曽川で二分。豊臣秀吉の裁定で、3郡の木曽川の右岸(西側)地域が美濃国に編入された。美濃国に編入された葉栗郡は「羽栗」に郡名を変え、明治期に羽栗郡と中島郡は合併して羽島郡となり、海西郡は元々美濃国域だった下石津郡と合併して海津郡の一部となった。
廃藩置県後、1872年に当時の美濃国域を県域とする岐阜県が発足し、1876年に筑摩県から旧飛騨国域を編入した。その後も愛知、三重、福井、長野の各県との県境変更があるため、現在の岐阜県美濃地方と1587年以降の旧美濃国域は厳密には一致しない。