力士と学歴
力士と学歴 (りきしとがくれき)は、大相撲力士と学歴との関係について記載する。
概要[編集]
格闘技であり、プロスポーツであり、伝統芸能でもある大相撲は学歴とは無縁の存在であるが、1980年代から急速に力士の高学歴化が進行した。本稿ではこれに至った背景や、今後の展望について考察する。
中学生力士[編集]
太平洋戦争前は高学歴と言える力士は、旧中卒の大錦卯一郎や早大卒の笠置山と僅少で、年長新弟子は高等小学校卒や小卒後奉公年季明けの入門が目立っていた。
戦後の学制改革によって義務教育が中学校卒業まで延長された。しかし、大相撲への新弟子入門資格は基本的に小卒で変化せず、「中学生力士」が存在した。これは、力士の形ができていない中学生を相撲部屋に入門させ、相撲部屋から中学校に通いながら本場所には参加する形であり、北の湖は15歳の中卒目前で早くも幕下昇進するほどだった。一方で後援会や親の発言力の影響から、千代の富士や藤ノ川のように中学在学時に入門した相撲部屋から高校進学した力士もおり、藤ノ川は高卒の学歴を得た[注 1]。
しかし、1970年代前半、横綱玉の海が虫垂炎の無理をおして巡業後に急死したのと同時期に文部省からの指導を受けて、義務教育修了見込前[注 2]の新規入門は禁止となった。この時点では大相撲への正式入門[注 3]はほとんどが中学校卒業見込時となって3月場所は「就職場所」と呼ばれた。大学卒業者は輪島大士、豊山広光など僅かで、アマチュア横綱を取っても大相撲入門は憚れ、高校在学中にアマ横綱となった久嶋啓太も教師志望で直後の入門をしない状況であった[注 4]。
学生力士出身の台頭[編集]
1980年代中盤になると、田中英壽の指導を受け高等学校の相撲部監督になった指導者の下で中学でスカウトされた有能な高校生相撲選手や武井美男のような指導経歴を積んだ指導者の下で実績を挙げた高校相撲選手がインターハイで優秀な成績を残すようになり、その選手を大学相撲部がスカウトして、大学選手権やアマチュア選手権で優秀な成績を収めて大相撲に入門する道筋が出来ると、中学校卒業後に相撲部屋に入門する新弟子が激減。1992年の智ノ花の入門後に「前相撲21歳未満、幕下付出23歳未満」の年齢制限を設け、大卒入門を牽制する動きもあったが、アマ相撲関係者の反発を受け「前相撲23歳未満、幕下付出25歳未満」に1年経たずに緩和され、牽制は失敗に終わった。
これは、新弟子スカウトのリスク[注 5]を考えると、アマチュアで実績のある選手を受け入れる方が、相撲部屋の師匠や親方に都合が良い[注 6]ためである。また、中学校卒業の最終学歴では、大相撲で成果を挙げられない場合に就職先が得られないというリスクもあったからである[注 7]。
こうして力士の高学歴化が急速に進み、かつては高学歴扱いされていた高卒力士が一時は叩き上げ扱いされるまでに大卒力士が増え、2018年9月場所現在では日本出身の幕内力士に限れば、中卒13人(高校中退含む)、高卒8人、大卒13人となっており、さらに、令和六年大相撲初場所では、幕内力士42人のうち17人が日本国内の大学相撲部出身(中退含む)となっており、大相撲幕内力士の大卒の比率が30%近くと世間一般並みとなっている。一方で、学生アマ選手は付出認定に有効期限を設けるなど、相撲協会は決して厚遇していない。
大卒でも十両昇進が難しくなる情勢となると、琴奨菊、豊ノ島や稀勢の里、貴景勝のように、幕内で活躍する中卒、高卒で入門した力士が目立つようになった。幕下15枚目格についても、十両陥落者の多少といった番付運もあるが、2023年初場所で幕下デビュー優勝した高校卒社会人1年目の落合が幕下1場所で十両昇進を決め、2006年5月場所で幕下デビュー優勝した大卒の下田(後の若圭翔)は幕下据え置きで十両昇進が成らなかったことから、制度終了した2024年7月場所までの時点で結果的に大卒冷遇となっている。
2023年9月28日に日本相撲協会は付出資格を変更し、社会人選手権の付出資格を廃止し、その他の選手権はベスト8以内は全て幕下最下位、ベスト16以内は三段目最下位とし、幕下10枚目格付出と幕下15枚目格付出は廃止した。また、インターハイベスト4位以内の三段目最下位付出を設定[注 8]して高校生の付出資格を容易にした[注 1]。
現状[編集]
輪島は昭和46年初場所で新入幕し、これ以降53年以上幕内に大学相撲出身者が不在になった場所はない。さらに外国人力士の台頭とアマチュア相撲強豪選手の台頭により、白鵬翔を最後に幕内優勝力士から中卒力士が消えて久しい。横綱、大関からも中卒力士が消えてしまった。かつての中卒入門の横綱、三役昇進者も多くは協会幹部となり、師匠が中学校卒業生を手塩にかけて育てる伝統が消え、学生相撲出身者に乏しい師匠や親方から大相撲の伝統[注 9]を聞かされることが少なくなってしまった。これによって「ちゃんこの味が染みた」力士が少なくなってしまい、力士の中には大卒者に限らず大相撲をプロスポーツの一つとしてしか見ていないものもいる。
大相撲力士のサラリーマン化が言われて久しいが、師匠や親方も力士に向かい合う時間よりパソコンに向かう時間や文部科学省の担当者に向かい合う時間を重視するようになった。さらに、学生相撲出身の力士が引退して親方、師匠となると大部屋で部屋付きになるより、独立して意のままにできる師範代やマネージャーをもつ小部屋を持つことを志向し、そうした小部屋で母校の選手をスカウトするようになり、学生相撲出身者の再生産に至った。
かつて、4代朝潮太郎が近大卒後の入門時「幕下付出でも古参の中卒の先輩が怖かった」と回想した時代と違い、親方から大相撲の伝統をよく聞かされた中学校や高等学校卒業後に角界入りした力士も、大学卒業後に付出資格で角界入りし番付で上にいる弟弟子には、土俵上のかわいがりを恐れて強く出ることができず、ご機嫌取りをする状況になっている。
このような状況の中、日本相撲協会は高等学校卒業後に角界入りした力士に大学の通信課程に進学する道ができないか模索している。一方で、中卒入門の元横綱・稀勢の里は引退後に早大大学院[注 10]でコーチング学を学び、故郷の茨城県の二所ノ関部屋で、大相撲の伝統を弟子に教えつつ新しい部屋経営を模索しようとしており、新たなキャリアのあり方として注目される。
高学歴力士の功罪[編集]
大学を卒業して入門した力士のメリットは、仮に大相撲で通用しなくても学歴があれば一般企業への就職は難しくないことや、関取昇進の確実性が高いことである。これは、アマチュアで良い成績を残した選手は大相撲でも充分通用し、良い成績を残せなかった選手は諦めて官公庁や教員、一般企業への進路を歩むからである。
また、相撲部屋から見ると、関取昇進の確実性が担保できる上、大卒力士は指示されなくても自分から稽古をするので手間もかからない。また、同じ大学を卒業したタニマチが応援してくれるので部屋の運営にも大きく貢献できる。
大学等、学校側からすると卒業生の活躍という大きなニュースになるほか、学校名の入った化粧廻しを締めて大相撲土俵入りをしてもらうと学校の宣伝や有望少年勧誘の謳い文句になる。化粧廻しは一つ数百万円もする高価なものであるが、本場所館内のみならず、テレビやネットTVに映し出されて[注 11]日本全国に放送されれば良い宣伝になり、それだけの金額は一年で回収できる。
一方、デメリットとしては入門が遅いため、現役で活躍できる時間が短いことや相撲の形を直しにくいことである。大卒力士が入門する頃、同年齢の中卒力士や高卒力士は幕下上位や関取になっている。また、既に持っているアマチュアの形で大会を勝ち抜いたため、形に固執する傾向があり、それを捨て去ってプロの形になるのは困難である。
詳細は「立ち会いの変化」を参照
さらに、前述のように相撲界の伝統を知らず、それを教える人物もいないので、大相撲を単なるプロスポーツと思い込んだり、プロ格闘技視して、モンゴル軍に好き勝手にされ、大相撲への思い入れがないドライな力士、上位昇進の期待を裏切るエレベーター力士が増えるのである。もっともこれは大卒者に限らず、日本人力士のほとんどがそう思っているようである。無理をするより平常運転して楽にしたほうがいいと思うのが人情なのだが、「プロスポーツ」と思うなら「見せる相撲」をとってもらいたいものである。ここ数年は、年寄襲名資格を持ちながら、引退後に飲食店経営者やスポーツトレーナーといった従来とは異なる進路傾向も出てきた。
そして、一番の問題は、大学スポーツは4年生を頂点[注 12]としたピラミッド組織のため、先輩の言うことが絶対であり八百長が起きる可能性があることである。以前、巡業で常幸龍貴之と遠藤が報道関係者の前で堂々と談笑していて問題になったことがあった。
さらにこの問題に対してデメリットに目をつぶってメリットを追い求める大卒力士や親方、日本相撲協会首脳陣は知らんふりしている。これらの傾向は大相撲だけではなく、他のプロスポーツでも同様である。
今後の大相撲力士と学歴[編集]
1927年に軍部や天皇賜杯[注 13]を作成した宮内省の要請で単一団体の「大日本相撲協会」になったが、スポーツ所管の文部科学省がこれを巻き戻して、1926年以前の大相撲複数団体競合奨励に施策を転換しない限り、大相撲力士の高学歴化は今後も続くであろうし、これを止める権利は誰にもない。
ただ、何事も早めに取り組めば、それに適応した体ができるので、角界入りは早い方が良い。それでも相撲しか知らない、早死にのリスクが高い肥満児を量産すると世間から非難されるであろう。中学校卒業見込者については積極的なスカウトはせず、志願のみでの角界入りを認めて、高等学校や大学の卒業見込生はドラフト指名で採用する形を作る可能性も考えられる。
上位に通じないと言われてきた大卒力士も21世紀に入ると短い間に朝乃山、正代、御嶽海といった3人の大関が誕生し、令和六年大相撲春場所では尊富士が110年ぶりと言われる新入幕優勝、令和六年大相撲夏場所では大の里が入門から史上最短の幕内優勝を飾った。大卒力士の力は確実についており、今後どうなるかは予断を許さない。
平成年間の新十両352人中、大学相撲経験者は107人と約30%であったが、令和元年以降の新十両52人中大学相撲経験者は24人で46%を占めるまで拡大している。
大学相撲出身関取数の推移[編集]
場所 | 幕内 | 十両 | 合計 |
---|---|---|---|
昭和24年5月 | 0 | 1 | 1 |
昭和24年10月 | 1 | 0 | 1 |
昭和36年9月 | 0 | 2 | 2 |
昭和37年1月 | 2 | 0 | 2 |
昭和45年11月 | 0 | 3 | 3 |
昭和48年7月 | 3 | 0 | 3 |
昭和50年1月 | 3 | 1 | 4 |
昭和50年5月 | 3 | 2 | 5 |
昭和50年9月 | 3 | 3 | 6 |
昭和51年11月 | 4 | 1 | 5 |
昭和52年1月 | 5 | 1 | 6 |
昭和53年3月 | 6 | 0 | 6 |
昭和53年7月 | 6 | 1 | 7 |
昭和54年5月 | 7 | 0 | 7 |
昭和58年9月 | 3 | 5 | 8 |
昭和59年3月 | 3 | 6 | 9 |
平成3年11月 | 8 | 1 | 9 |
平成5年1月 | 5 | 5 | 10 |
平成5年3月 | 6 | 5 | 11 |
平成6年1月 | 9 | 2 | 11 |
平成6年7月 | 9 | 3 | 12 |
平成7年1月 | 9 | 5 | 14 |
平成7年3月 | 10 | 4 | 14 |
平成8年1月 | 11 | 3 | 14 |
平成8年11月 | 9 | 7 | 13 |
平成9年3月 | 9 | 8 | 17 |
平成9年5月 | 11 | 8 | 19 |
平成9年9月 | 12 | 7 | 19 |
平成10年3月 | 11 | 9 | 20 |
平成10年5月 | 11 | 12 | 23 |
平成10年11月 | 13 | 9 | 22 |
平成11年3月 | 14 | 9 | 23 |
平成11年9月 | 15 | 8 | 23 |
平成11年11月 | 14 | 10 | 24 |
平成12年5月 | 15 | 10 | 25 |
平成12年11月 | 16 | 10 | 26 |
平成13年5月 | 17 | 8 | 25 |
平成14年3月 | 18 | 5 | 23 |
平成15年5月 | 17 | 10 | 27 |
平成15年7月 | 16 | 12 | 28 |
平成16年1月 | 19 | 10 | 27 |
平成23年9月 | 9 | 15 | 24 |
平成30年7月 | 13 | 16 | 29 |
令和2年3月 | 17 | 13 | 30 |
令和3年3月 | 17 | 15 | 32 |
令和6年5月 | 20 | 13 | 33 |
高卒以上の横綱・大関[編集]
横綱[編集]
旧制中学卒相当も含む
- 大錦卯一郎 - 大阪府立天王寺中学校(現・天王寺高校)卒
- 佐田の山晋松 - 上五島高校卒
- 栃ノ海晃嘉 - 弘前商業高3年次中退
- 琴櫻傑将 - 倉吉農高卒
- 輪島大士 - 日本大学卒
- 旭富士正也 - 五所川原商高卒、近畿大学中退
- 曙太郎 - 高校卒、ハワイ・パシフィック大学中退
- 照ノ富士春雄 - 鳥取城北高校卒
大関[編集]
- 豊山勝男 - 東京農業大学卒
- 魁傑將晃 - 下関中央工高卒、日本大学中退
- 朝潮太郎 (4代) - 近畿大学卒
- 若嶋津六夫 - 鹿児島商工高校卒
- 小錦八十吉 (6代) - ハイスクール卒
- 武双山正士 - 水戸農業高校卒、専修大学中退
- 出島武春 - 中央大学卒
- 雅山哲士 - 水戸農業高校卒、明治大学中退
- 琴光喜啓司 - 日本大学卒
- 朝乃山広暉 - 近畿大学卒
- 正代直也 - 東京農業大学卒
- 御嶽海久司 - 東洋大学卒
- 琴奨菊和弘 - 明徳義塾高校卒
- 豪栄道豪太郎 - 埼玉栄高校卒
- 貴景勝光信 - 埼玉栄高校卒
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 「平成30年9月場所東幕内特製新番付」「平成30年9月場所西幕内特製新番付
」〈相撲 (雑誌)No.886〉ベースボールマガジン2018年8月30日発行。
脚注[編集]
- 注
- ↑ a b 他方、北葉山のように中学卒業時で入門のチャンスが得られず、時期が経って高卒相当の年齢からの入門者もいたが、1960年まで前相撲での一番出世者を序ノ口の取組に中途から入れる「新序」の制度があり、力のある年長者が上手く吸収された。なお、そこでも優秀な場合、序ノ口を飛び越えて序二段が「初めて番付に載る場所」となった。
- ↑ 卒業が確定していれば、卒業式前の初土俵は認められ、卒業式を欠席した中卒入門の新弟子は多い。また、首都圏の高校生も高校によって、公欠に準じての本場所出場が認められるため、高3の2学期にデビューする力士も少なくない(貴景勝)。
- ↑ 1980年代前半までは貴闘力や北勝海(現・八角理事長)のように、中学卒業目前から客分として相撲部屋に住み込み、卒業見込時に新弟子検査を受けて新弟子となる事例もあった。
- ↑ なお、角界入り後の久島海の不振は高校および大学進学の判断が招いたという好角家の考えもある。ちなみに、久嶋と同世代では、明徳義塾高卒後に春日野部屋に入門した秋本久雄が中学横綱を2年連続で取っており、中卒まではむしろ秋本の方が未来の大器視されていた。
- ↑ 関取になれるかわからない新弟子を見極めるのは難しい。
- ↑ 加えて2000年代前半から激増したモンゴル出身力士に対抗する意味合いもあった。
- ↑ 他方、富士櫻(元・中村親方)のように、日本航空高等学校の通信制課程を中卒新弟子に受講させ、高卒資格取得に熱心な親方もおり、現在は相撲教習所がNHK学園高等学校の本場所スケジュールに合わせた特設スクーリング会場となっている。
- ↑ これにより、2023年11月場所で三段目最下位付出有資格の高校在学者1名が新弟子検査に合格したが、権利放棄して前相撲で初土俵を踏んだ。
- ↑ 着物のたたみ方、残心、阿吽の呼吸。特にアマ相撲では国際化のため、立ち会いが陸上のよーいドンと同じになってしまい、阿吽の呼吸が軽視されている。
- ↑ 大学院修士課程は入学資格が厳格な大学学部と違い、社会人の実績で入学を認めており、著名人でも桑田真澄や菊池桃子のように大卒でない院修了者がいる。
- ↑ 名前が目立つと縮小映像になることもある。
- ↑ 4年生は最上級生として稽古に精進しなくなることがプロ入り後の不振に繋がっているのでは?とする見識もある。
- ↑ 提唱時は摂政宮杯。