二所ノ関部屋
二所ノ関部屋(にしょのせきべや)は、日本相撲協会の二所ノ関一門の相撲部屋である。
概要[編集]
2021年12月、二所一門の横綱だった稀勢の里が二所ノ関の名跡を13代目として継承。茨城県つくば市の筑波大学相撲部内を仮稽古場としたが、2022年6月5日、ひたち野うしく駅近くの茨城県阿見町に新部屋が完成し、部屋開きを行った。
先だった2022年2月には、尾車部屋から、部屋付親方として中村親方(元関脇嘉風)、関取の友風らが転属した。
2023年7月場所後には、大の里、高橋(現・白熊)の新十両昇進が発表された。また、大の里が幕内最高優勝したことで早くも優勝力士を輩出した部屋となった。
二所ノ関の歴史[編集]
- 2013年1月まで
1909年(明治40年)1月に5代二所ノ関を襲名した関脇・海山が二所ノ関部屋を創設した。直弟子には第32代横綱・玉錦などがいる。
1935年1月に第32代横綱・玉錦が二枚監察で創設した二所ノ関部屋が本流である。
これは部屋の再興であった。
1938年(昭和13年)の玉錦逝去後は、玉の海梅吉が7代目を引き継いだが、戦時・戦後混乱のなかで7代目は部屋経営に苦労し、出羽海部屋のように「不許分家」でなかったため、例えば、大ノ海が現役中に阿佐ヶ谷に「大ノ海道場」を建てるなど、後の分家増殖の萌芽が7代目の時に生じた。なお、力道山は7代目の弟子である。
1951年(昭和26年)、大関佐賀ノ花が8代目として継承。8代目の門下からは大鵬幸喜、大麒麟将能、麒麟児和春、大徹忠晃や天龍源一郎らを輩出している。
本流からは、花籠、佐渡ヶ嶽、片男波、押尾川の各部屋が独立している。
2013年1月、10代二所ノ関(元関脇金剛)が病気療養のため、部屋を閉鎖した。1月28日には所属する3人の力士は引退。二所ノ関、北陣、湊川の3人の親方は同じ二所ノ関一門の松ヶ根部屋に、富士ケ根親方(元小結大善)は春日野部屋に転属となった。
- 2021年まで
2013年1月に閉鎖した部屋の分家の分家の分家にあたる松ケ根部屋を運営していた元大関若嶋津が、2014年12月に12代目として名跡を継ぎ、二所ノ関部屋が再興された。2022年1月場所中に12代二所ノ関が定年を迎えるため、前年12月に部屋付きの18代放駒(元関脇玉乃島)に部屋を譲って部屋名を変更。現在の放駒部屋となる。
- 2022年〜2024年5月
二所ノ関の部屋名は「荒磯」の部屋名で独立準備をしていた前述の稀勢の里の13代目の部屋に継がれることになった。なお、稀勢の里の部屋は、2013年1月に閉鎖した部屋からすると分家の分家の分家の分家に相当する。
- 2024年6月以降
部屋から、中村親方、友風関、新十両嘉陽[注 1]など、旧尾車系の力士が中村部屋に移籍した[注 2]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- 注
- 参考文献