田中英壽

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田中 英壽 (たなか ひでとし)は、アマ相撲選手、アマ相撲指導者、アマ相撲団体幹部、大学運営者である。

来歴[編集]

青森県金木町(現・五所川原市)出身。青森県立木造高等学校卒業後、日本大学に進学。日本大学相撲部で頭角を現す。田中が後輩に胸を貸すなど、面倒見が良いことから指導者への道を薦められる。
田中は農獣医学部で保健体育の助手となる傍ら、1学年後輩の輪島博や東農大で1学年下の長濱広光といった現役学生を圧倒してアマチュア横綱を獲得するなどアマチュア相撲で実績を残した。結果、輪島大士はアマチュア横綱にはなれず、一人で黙々と稽古をして、大相撲に入門し、横綱となった。

相撲部監督として[編集]

田中は全学の相撲部の監督となってから頭角を現し、有望な学生を多数大相撲力士として相撲部屋に入門させ、高校の後輩の舞の海秀平を除き、多くは引退後、年寄名跡を確保して親方として後輩に道筋を付け、加えて、OBを強豪実業団選手、強豪高校の教員にさせて派閥を形成して、アマチュア相撲団体を掌握(女子新相撲も創始し、国外で相撲世界選手権も発起した)した。

なお、高校でアマ横綱になった久嶋啓太の弱点を大学入学早々に見抜いたり、高校の後輩の長尾秀平を贔屓せず、同学年で長尾より身長の低かった禧久昭広を先にレギュラーに使うなど、指導者として先々を見抜く力はあったと思われる。

学内トップへ[編集]

アマ相撲界を掌握した田中は大相撲とも深い関係を築き上げた。さらに妻に経営させていたちゃんこ屋を事実上「日本大学の最高会議」として企業から資金を集めるなど、錬金術によって権力闘争に勝ち抜き、反対派を追い落として、大学運営トップの理事長の座に就いた。
就任後は「(株)日大事業部」を砦に権力を強めていき、日大アメフト問題でも同輩の理事を庇う素ぶりで、積極的に解決しようとしなかった。

逮捕[編集]

崩御[編集]

2024年1月13日、東京都内の病院のため崩御された。

その他[編集]

田中の意向に反して、シカト状態になった人物としては、大喜鵬将大遠藤聖大が挙げられる。大喜鵬は田中に反抗して宮城野部屋に入門したため、日大相撲部OB会を除名状態になり、不振時に支援を受けられなかった。遠藤は結婚相手を自分で見つけたために後援会を解散させられた。

空目[編集]

田中英壽先生が逮捕遊ばせられたとき、中田英寿と勘違いして、「え?ヒデって日大理事長になったの?」という声があった[注 1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. もっとも、中田英寿は高卒でプロ選手になった後、渡欧したため日大OBではない[1]
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