正代直也

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正代 直也(しょうだい なおや、1991年11月5日 - )は、大相撲力士

プロフィール[編集]

概要[編集]

東京農業大学国際農業開発学科出身[1]。2011年の全国学生選手権個人覇者をした学生横綱

2014年の春場所の新弟子検査に合格して時津風部屋に入門[2]。学生横綱のタイトルを獲得したのは2年次で卒業前に付出資格が失効したため、2014年3月場所の前相撲からデビューする[3]。このことについて、同じ時期に入門した逸ノ城が実業団横綱獲得後、即幕下15枚目付け出しで入門できたため、「アマチュア実業団優位で公平性を欠く」という批判がある[注釈 1]。親方は「稽古場では十両にも勝てる」という話もしており、実際にあっという間に昇進していき、2015年1月場所には幕下優勝をしている。

順調な昇進[編集]

前相撲を経ての2014年3月場所では序ノ口優勝する。幕下二場所目となる幕下三十七枚目で迎えた2015年1月場所では幕下優勝を果たした。9月場所には十両に昇進し、11月場所には十両優勝する。2016年1月場所に新入幕。2019年11月場所・2020年1月場所に敢闘賞を受賞する。

2020年9月場所後、大関昇進。出身大学、部屋共に豊山勝男以来、熊本県出身では栃光正光以来の大関。本名での大関は出島武春以来となる。

成績[編集]

  • 序ノ口優勝:1回(2014年5月場所)
  • 幕下優勝:1回(2015年1月場所)
年数 一月場所 三月場所 五月場所 七月場所 九月場所 十一月場所
2014年 (前相撲)
2勝1敗
西 序ノ口 #17
7勝0敗
優勝
東 序二段 #10
6勝1敗
東 三段目 #48
6勝1敗
東 幕下 #59
5勝2敗
2015年 西 幕下 #37
7勝0敗
優勝
西 幕下 #3
4勝3敗
西 幕下 #2
4勝3敗
西 幕下 #1
5勝2敗
西 十両 #12
11勝4敗
西 十両 #5
13勝2敗
優勝
2016年 西 前頭 #12
10勝5敗
敢闘賞
西 前頭 #6
9勝6敗
西 前頭 #2
6勝9敗
西 前頭 #5
9勝6敗
西 前頭 #2
7勝8敗
西 前頭 #3
11勝4敗
敢闘賞
2017年 西 関脇
7勝8敗
西 小結
4勝11敗
西 前頭 #5
10勝5敗
西 前頭 #1
5勝10敗
西 前頭 #5
6勝9敗
西 前頭 #7
9勝6敗
2018年 東 前頭 #4
7勝8敗
西 前頭 #4
7勝8敗
西 前頭 #4
9勝6敗
東 前頭 #1
6勝9敗
東 前頭 #3
6勝9敗
西 前頭 #10
8勝7敗
2019年 東 前頭 #3
7勝8敗
西 前頭 #3
5勝10敗
東 前頭 #7
10勝5敗
東 前頭 #3
7勝8敗
西 前頭 #4
3勝12敗
西 前頭 #10
11勝4敗
敢闘賞
2020年 西 前頭 #4
13勝2敗
敢闘賞
西 関脇
8勝7敗
2021年
2022年 西 大関
6勝9敗
東 大関
9勝6敗
西 大関
5勝10敗
西 大関2
10勝5敗

親族・縁戚[編集]

  • 正代の父方の祖母の名前は、正代正代(しょうだいまさよ)で大関昇進時に珍名さんとして話題になった。
  • 義理の大伯母(母方の祖母の兄の妻)の姪(母方祖母の義姉の妹の娘)は、演歌歌手の石川さゆりである。なおこの事を石川さゆりに紹介された際、豊ノ島からは「ほぼ他人」と言われてしまった。

その他[編集]

大関昇進後、角番は在位11場所中で4度経験。4度目の角番だった2022年7月場所も序盤3連敗で角番脱出が危ぶまれたが、6日目から7連勝で脱出。それどころか、14日目に横綱照ノ富士を破るなど10勝の成績を挙げ、「つかみどころのない力士」のあだ名も得つつある。

脚注[編集]

注釈
  1. ちなみに、これは垣添徹がケガをしてデビューが遅れたことによる措置で、角界がなお学業優先での高年齢入門を嫌い、「中卒、下積み」を尊重する気風の現れといえる[4]
出典

外部リンク[編集]