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横須賀線の歴史

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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横須賀線の歴史 (よこすかせんのれきし)は、横須賀線の建設、複線化、直流電化旧型国電について記述する。

建設に至った経緯[編集]

江戸時代、現在の横須賀線沿線は閑散としていた。山地に囲まれ、農業には適せず、漁業が主産業であった。鎌倉時代鎌倉幕府が置かれた経緯から沿線には知識人が多かったが、徳川幕府にとっては重要な地域ではなかった。沿線にとって大きな転機となったのが1853年黒船来航による開国と、それに伴う幕府海軍創設、造船所設立であった。これによってこの地と江戸を結ぶ交通機関が必要になった。江戸時代には鉄道路線の敷設がされなかったが、大日本帝国海軍鎮守府横須賀に設置された明治時代に敷設されることになった。

横須賀線略史 (直流電化から国鉄113系電車投入まで)
年月日 記事
1889年6月16日 大船駅-横須賀駅開業
1930年3月15日 電車運転開始。(ラッシュ15分、データイム30分)
1930年10月30日 鉄道省モハ32系電車落成
1940年11月15日 田町電車区を開設
1942年9月25日 東京駅第5ホーム完成(9・10番線)
1944年4月1日 横須賀駅-久里浜駅開業・二等車廃止
1944年5月4日 行き先札が短冊形に
1944年8月16日 二等車復活
1945年6月4日 電車電気機関車牽引開始
1945年10月15日 全電車7両化
1945年11月20日 電車の自力運転開始
1946年6月20日 付属2両増結、9両編成化
1946年9月23日 進駐軍輸送に二等車26両接収。白帯車となる
1947年6月20日 7両に2両の付属を連結。全電車9両編成化
1947年8月24日 白帯車に2等と表示。余席時乗車可とする。
1949年1月10日 横須賀線基本7両付属3両に
1949年7月30日 二等車に一般旅客の利用を認める
1951年2月5日 国鉄モハ70系電車の配属
1951年3月26日 東京駅-逗子駅12両運転設備の完成
1951年4月1日 国鉄モハ70系電車の使用開始
1951年12月1日 白帯車を二等車とする
1952年4月1日 東逗子駅開業
1952年10月1日 横須賀線の付属編成で上野駅-熊谷駅を運転
1952年10月11日 ホーム拡幅工事のため横須賀線川崎駅通過
1953年4月1日 横須賀線川崎駅5往復停車
1953年7月1日 東京駅7・8番ホーム完成
1953年9月1日 東京駅横須賀線13番ホーム、東海道本線12番ホームに着発
1954年1月10日 増結車うち1両を逗子駅-鎌倉駅回送扱い
1954年4月15日 増結車1本を鎌倉駅併合に
1955年6月1日 横須賀駅-久里浜駅をデータイム30分ヘッドに
1957年10月1日 付属編成は全編成5両に
1958年12月1日 川崎駅民衆駅となる
1959年2月1日 データイム15分ヘッドに増発
1960年3月10日 17時以降終電車まで川崎駅停車
1960年4月20日 大船電車区新設(180両移管)
1960年6月1日 終日全列車を川崎駅に停車
1963年10月1日 国鉄111系電車を1本投入。国鉄モハ70系電車の12両編成化が完了
1965年12月1日 15両編成運転開始。基本10両+付属5両
1966年8月24日 横須賀駅-久里浜駅小運転2両を6両化(113系化後は7両に)
1968年7月27日 横須賀線国鉄111系電車化完了
1968年9月10日 鎌倉駅併合を廃止。
セル内のテキスト セル内のテキスト
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開業後[編集]

大日本帝国海軍鎮守府が設けられて路線は活況を示した。東海道本線に乗り入れ、直流電化されるようになった。すべての列車に二等車が連結されるようになった。太平洋戦争が激化した際には二等車の連結が中止されたが、大日本帝国海軍の要請によって再び連結されるようになった。戦後、進駐軍輸送のために二等車が接収された。

運用[編集]

昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正(全列車一等車連結)
キロ数 駅名 433S 409S 511S 513S 2209S 2215S 2331S 2301S
0.0 (電)東京駅 0454 0515 0535 セル内のテキスト セル内 2315 2350
1.9 (電)新橋駅 0457 0518 0538 セル内のテキスト セル 2318 2353
6.8 (電)品川駅 0429 0503 0524 0543 セル内のテキスト セル 2324 2359
18.2 川崎駅 0440 0513 0534 0553 セル内のテキスト 2335 0009
28.8 (電)横浜駅 0449 0524 0544 0603 セル内のテキスト 2344 0021
31.8 保土ケ谷駅 0453 0528 0547 0607 セル内のテキスト セル 2348 0025
40.9 戸塚駅 0502 0537 0555 0615 セル内のテキスト 2357 0033
46.5 大船駅 0512 0543 0601 0621 セル内のテキスト セル 0003 0040
48.8 北鎌倉駅 0516 0547 0605 0625 セル内のテキスト 0007 0044
51.0 鎌倉駅 0519 0550 0608 0629 セル内のテキスト 0012 0049
54.9 逗子駅 0525 0556 0614 0634 セル内のテキスト 0021 0054
56.9 東逗子駅 0528 0559 0617 0637 セル内のテキスト セル 0024
60.3 田浦駅 0533 0604 0622 0642 セル内のテキスト 0029
62.4 横須賀駅 0537 0608 0626 0646 セル内のテキスト 0033
65.8 衣笠駅 0542 0613 0632 0652 セル内のテキスト 0038
70.4 久里浜駅 0548 0619 0638 0658 セル内のテキスト セル内のテ 0044
昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正横須賀線区間運転全車二等車
駅名 3S 5S 7S 9S 11S 13S 15S 17S 19S 21S 23S
横須賀駅 1040 1100 1120 1140 1200 1220 1240 1300 1320 1340 1400
衣笠駅 1047 1107 1127 1150 1207 1227 1247 1307 1327 1347 1450
久里浜駅 1053 1113 1133 1156 1213 1233 1253 1313 1333 1353 1456

使用された車両[編集]

1930年17m級旧型国電である鉄道省モハ32形電車が投入された。付随車として鉄道省サハ48形電車も投入された。1943年にはモハユニ61が3両投入されたが1両を除いて電装されず、後に飯田線に転配された。太平洋戦争中は輸送力増強のために座席が撤去され、さらに交換部品が不足して電気機関車に牽引される電車が登場した。太平洋戦争後に鉄道省モハ40形電車鉄道省モハ41形電車鉄道省クハ55形電車が投入された。1950年鉄道省モハ43形電車国鉄クモニ13形電車が投入されたが、1951年国鉄モハ70系電車が投入され、モハ30000が投入されたために整列乗車でのトラブルを避けるため、2扉車が3扉化改造された。具体的には鉄道省モハ43形電車はモハ51 200番台、鉄道省モハ53形電車国鉄モハ50形電車となった。後にモハ70系電車に統一した。

太平洋戦争後の横須賀線旧型国電の記録
記録年月日 記録
1949年1月29日 サハ57011田町電車区に配属。サハ57は7両となる。
1949年4月1日 サハ78215が配属
1949年4月28日 モハ31029が配属
1950年6月3日 田町電車区にモハ43008が配属。始めての関西国電の配属
1950年6月5日 モハ43016、モハ63242が配属。
1950年6月9日 モハ43009、モハ43012、モハ43017が配属。
1950年6月18日 モハ41017が配属
1950年7月31日 クハ58002、クハ58007、クハ58018が配属。
1950年9月22日 サハ48029、サハ48031が配属
1950年10月5日 サハ48032、モハ42006が配属。
1950年10月9日 モハ42001、モハ42011、クハ58003が配属
1950年10月27日 クハ55049、モハ42005が配属
1951年2月12日 クハ76027、クハ76028が配属

参考文献[編集]