船団護衛
船団護衛 (せんだんごえい)とは、通商破壊や海賊から商船を守るために行う行為である。
概要[編集]
海洋国家は貿易によって成り立っており、戦時には商船が安全に活躍できることが重要である。このため、海軍によって商船を一定数集めてこれを軍艦で護衛する。
目的[編集]
積極的に索敵して敵艦を攻撃するのが目的ではなく、船団を安全に目的地に到着させることが目的である。このため、優勢な敵艦隊から逃げることもある。
方法[編集]
歴史[編集]
前史[編集]
国家が成立していない原始時代は軍艦の護衛というものはなく、海賊から身を守るために商船は武装商船であった。この時期の武装は乗組員が持つ刀、槍、弓であった。
古代[編集]
古代社会の成立によって海軍も登場し、ガレー船による専門の軍艦も登場して船団護衛が始まった。武器には弩、クロスボウ、カタパルト、バリスタが加わった。通商破壊と異なり、積極的な攻撃は行わず、白兵戦は望むものではなかった。
中世[編集]
中世ではヨーロッパの国家が衰退して海軍による船団護衛は望めず、ビザンツ帝国とイスラム帝国が、後にヴェネツィア共和国、オスマン帝国の海軍が力を持った。
近世[編集]
やがて、スペイン、ポルトガルによる大型帆船を使った大航海時代となると、新大陸から収奪した富を狙うイギリスやオランダから身を守るために船団護衛を行った。やがてこの二国がアルマダ海戦をはじめとするスペイン、ポルトガルの衰退によって互いに制海権を争い、英蘭戦争へと発展した。この時代は帆走軍艦の時代であり、軽武装だが、高速を出せるフリゲートによる船団護衛を行った。武装も大砲や小銃が加わった。
近代[編集]
19世紀に入ると蒸気機関の登場により、帆船に比べて通商破壊、船団護衛が容易になった。大砲の威力が大きくなり、直撃を受けると大きな被害が発生するので軍艦には装甲を施した。商船の場合、沈められることもあった。
第一次世界大戦[編集]
船団護衛、通商破壊を行う艦種はフリゲートから巡洋艦に変わった。潜水艦への対策が課題となった。1917年にカナダからヨーロッパに向かう12隻の船団を組む際、貨物船同士の衝突によるハリファックス大爆発が起きた。
第二次世界大戦[編集]
船団護衛の艦種に駆逐艦や海防艦が加わった。潜水艦のほかにも軍用機の対策が課題となった。対空機関銃、高角砲、爆雷投射口が主兵装となった。対馬丸事件は、船団護衛を受けていたにも関わらず、魚雷攻撃によって沈んだ。