米西戦争

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米西戦争(べいせいせんそう)は、1898年アメリカ合衆国スペインの間で起きた戦争である。

開戦に至った経緯[編集]

スペインの没落とアメリカの繁栄[編集]

イベリア半島を統一し、アメリカ大陸を発見して、これを支配したスペインは大きな繁栄を遂げた。しかし、オランダ独立戦争の独立戦争をはじめ、諸国との戦争に多額の国費を使い、さらに、南アメリカ諸国の独立によって植民地からの収奪が少なくなった。そこでスペインは残された植民地であるフィリピンキューバを過酷に支配し、収奪と独立運動の弾圧に力を入れた。一方、イギリスから独立を果たしたアメリカ合衆国資本主義の発展により経済成長を遂げ、大量の製品を生み出すことに成功した。この製品を海外に輸出してさらに経済成長を推し進めようとした。また奴隷解放宣言によって人権意識も高まった世論はキューバでの非人道的行為に胸を痛めた。アメリカ合衆国の世論は100年前に先祖がイギリスから受けた圧政とキューバの住民を重ね合わせた。

メイン号の謎の爆沈[編集]

1898年2月15日21時40分頃、スペイン植民地キューバハバナに寄港していたアメリカ海軍の新鋭戦艦メイン号(排水量6682トン)の前部で突然爆発が起きて沈没し、多数の死傷者が出た。アメリカの新聞はこれをスペインの謀略として扇情的な記事を書き、アメリカ国民はスペインに報復を求める声が高まった。

概要[編集]

4月21日アメリカ合衆国スペインの両国政府は互いに断交を宣言した。

戦闘の推移[編集]

フィリピンの戦い[編集]

4月27日香港に寄港していた四隻の巡洋艦と二隻の砲艦を主力とするアメリカのアジア艦隊がフィリピンに向かい、5月1日マニラ湾で戦闘開始、わずか6時間強で旧式のスペイン艦隊が壊滅した。

キューバの戦い[編集]

5月2日に決定したキューバでの戦いはアメリカ海軍はスペイン海軍を壊滅させるつもりでいたが、有力な艦隊がいたので湾の入り口に船を沈めて封鎖し、陸から攻撃を仕掛けるつもりでいた。陸戦で当初、旧式装備のアメリカ陸軍は苦戦したがやがて増援が来てスペイン陸軍を圧倒し、アメリカ海軍の艦隊もスペイン艦隊を壊滅させた。この戦術は日露戦争で応用された。

講和[編集]

スペインはキューバプエルトリコフィリピンアメリカ合衆国に2000万ドルで売却することになった。

戦後の経緯[編集]

アメリカ合衆国はモンロー主義から脱却して覇権主義へと道を開いた。一方、フィリピンにとってもキューバにとっても支配者がスペインからアメリカに代わったにすぎなかった。フィリピンではアメリカ軍に対してゲリラ戦が始まり、双方に多くの死傷者が出た。一方、キューバではアメリカの保護国という形で独立を選び、キューバ共和国が成立した。

世論が背景の戦争[編集]

新聞がスペインへの報復を書きたて、世論が議会を動かして戦争になった。このようなことは第一次世界大戦第二次世界大戦でも起きた。ベトナム戦争では逆に戦争を止める世論が形成された。

詳細は「新聞」を参照

参考文献[編集]

山崎雅弘『歴史群像』No.90学習研究社2008年8月1日発行。