大森代官所跡
ナビゲーションに移動
検索に移動
大森代官所跡(おおもりだいかんしょあと)とは、島根県大田市大森町に存在した代官所跡である。
概要[編集]
関ヶ原の戦いで覇権を掌握した徳川氏は、慶長6年(1601年)に大森の地に奉行及び代官を派遣して統治に当たらせた。これにより、江戸幕府による石見銀山の管理と支配、運営が進められていくことになる。この代官らには天領の153村、4万8000石の統治も任されており、その支配がこの代官所を中心に行なわれていた。
現在は表門と白壁の門長屋が残されており、表門や門長屋は桁行33.02メートル、梁間約4メートルである。江戸時代後期の文化12年(1815年)の建造であり、往時の面影を現在によく伝えている。隣接して役宅跡に石見銀山資料館もある。
なお、代官の支配は265年にわたって続けられたといわれている。組織としての大森代官所は明治2年(1869年)に隠岐と鹿足郡以外の石見を県域とする大森県となり、翌年に浜田に移転して浜田県となり[注 1]、最終的に明治9年(1876年)4月17日まで石見一円を県域として存続した。