ジャングルポケット (競走馬)

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ジャングルポケット
画像募集中.png
現役期間2000 - 2002年
欧字表記Jungle Pocket
香港表記森林寶穴
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1998年5月7日(26歳)
トニービン
ダンスチャーマー
母の父Nureyev
生国日本国旗.png日本
北海道勇払郡早来町
(現:勇払郡安平町
生産ノーザンファーム
馬主齊藤四方司
吉田勝己
調教師渡辺栄栗東
調教助手新屋健二郎
厩務員星野幸男
競走成績
生涯成績13戦5勝
獲得賞金7億425万8000

ジャングルポケット英語: Jungle Pocket香港表記: 森林寶穴)とは日本競走馬で現在は種牡馬である。

概要[編集]

2001年のJRA賞年度代表馬で、おもな勝ち鞍に東京優駿(日本ダービー)ジャパンカップがある。
馬名はNHKおかあさんといっしょ』で使用された曲「ジャングルポケット」が由来で、「ジャングルポケット (お笑いトリオ)」のトリオ名の由来ともなっている。

戦績[編集]

2歳時[編集]

デビュー戦は2000年9月2日札幌競馬場芝1800メートルで、騎手は千田輝彦であった。このレースには、のちに朝日杯3歳ステークスを優勝するメジロベイリー、のちに東京スポーツ杯3歳ステークスに勝ち朝日杯3歳ステークス2着のタガノテイオーも出走していた。ジャングルポケットは単勝5番人気であったが、道中2-3番手からの競馬で勝利を収めた。このレースに出走した全8頭がのちに勝ち上がるというレベルの高い一戦であった。JRAでは1勝も挙げられずに登録を抹消される馬も多いなか、これは極めて稀有な例である。

デビュー2戦目となる重賞札幌3歳ステークスでも単勝5番人気ながら、レコードタイムで制した。このときの2着はタガノテイオー、3着はのちの二冠牝馬テイエムオーシャンであった。

3戦目からは、当初からパートナーとして決まっていた角田晃一とともにGIIIラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走。3番人気ながら、のちの皐月賞アグネスタキオンの2着に入線している。また、3着は1番人気に推されたクロフネで、こちらはのちにNHKマイルカップジャパンカップダートを制している。のちのGI馬が3頭揃ったレースであった。

3歳時[編集]

2001年共同通信杯から始動し、圧倒的1番人気に推され、ゴール前ではヨレて走りながら完勝する。このあと皐月賞トライアルには出走せず皐月賞に直行する。その皐月賞ではアグネスタキオンに次ぐ2番人気に推されながら、ゲートが開いた途端大きくつまずいたために出遅れ、追い上げも届かず3着に敗れる。

このあと、アグネスタキオンが屈腱炎を発症して戦線離脱(そのまま引退)。それを受けて押し出される形で、次の東京優駿では1番人気に推され、2番人気にはNHKマイルカップを制したクロフネが続いた。レースではジャングルポケットは直線で伸びて2着のダンツフレームに1馬身2分の1差をつけて21世紀最初のダービー馬となった。ウイニングランの場面では大歓声のなか、激しく頭を上下させる姿が見られた。本来臆病な種族であるサラブレッドは、このような大歓声に驚き、パニックに陥ることがほとんどである。それにもかかわらず角田晃一はなだめるそぶりも見せず、逆に観客の方へ歩み寄せた。

古馬との初対決となった札幌記念では同期のエアエミネムに敗れ3着、秋は菊花賞から始動し、1番人気に推されたが、折り合いを欠きマンハッタンカフェの4着に敗れ、その後角田晃一がこの馬に騎乗することは一度もなかった。

レース前に馬主となった吉田勝己の意向により、短期免許で来日していたオリビエ・ペリエに乗り替わったジャパンカップでは、古馬で前年の勝ち馬・テイエムオペラオーをゴール直前で差し切って優勝。3着以下にもナリタトップロードステイゴールドメイショウドトウらが入り、ジャパンカップ史上初めて日本馬が掲示板を独占した。また、内国産馬の3歳馬がジャパンカップを勝ったのも初めてのことで、この活躍が評価され、この年の年度代表馬および最優秀3歳牡馬に輝いた。イギリス・タイムフォーム社のレイティングでは131ポイントの評価を受けた。

4歳時[編集]

2002年にはキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス凱旋門賞への挑戦プランが陣営から発表された。鞍上には武豊を迎える予定であったが、武の落馬負傷により年明け緒戦の阪神大賞典ではミルコ・デムーロの騎乗が決まるも、今度はデムーロが騎乗停止となったため、最終的には小牧太(当時は公営兵庫所属)が手綱をとりナリタトップロードの2着。怪我から復帰した武を鞍上に天皇賞(春)に出走するが、第4コーナーで前の馬が外に振られて壁となる不利もあり、マンハッタンカフェをクビ差捕らえ切れずこのレースも2着に終わった。この年の国際ランキングでは古馬長距離部門で3位になった。

その後、宝塚記念から海外遠征の予定だったが、調教中に脚部不安を発症したため、宝塚記念出走、海外遠征ともに中止となった。休養後、調整が遅れたためにぶっつけでジャパンカップに向かった。なお、このレースの前に馬主名義が齋藤四方司からノーザンファーム代表の吉田勝己に変わったため、以後それまでとは違う服色(黄、赤縦縞、黒袖)で出走した。結果は5着に終わる。続く有馬記念は武がファインモーションに騎乗のため藤田伸二に乗り替わったが、早めにまくる奇襲作戦も実らず7着と大敗した。レース後に腰部筋肉痛と左前蹄球炎を発症していたことが分かり、翌2003年1月に引退した。なお、引退式には3歳時の菊花賞まで手綱を取った角田晃一が齋藤四方司名義の勝負服を着て参加している。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2000. 9. 2 札幌 3歳新馬 8 6 6 9.8(5人) 1着 千田輝彦 53 芝1800m(稍) 1:52.0 (35.9) -0.1 タガノテイオー
9. 23 札幌 札幌3歳S GIII 13 5 7 9.2(5人) 1着 千田輝彦 53 芝1800m(良) 1:49.6 (35.8) -0.2 (タガノテイオー)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 12 4 4 4.8(3人) 2着 角田晃一 54 芝2000m(良) 2:01.2 (34.5) 0.4 アグネスタキオン
2001. 2. 4 東京 共同通信杯 GIII 12 6 8 1.4(1人) 1着 角田晃一 56 芝1800m(良) 1:47.9 (34.8) -0.3 プレジオ
4. 15 中山 皐月賞 GI 18 1 1 3.7(2人) 3着 角田晃一 57 芝2000m(良) 2:00.6 (35.3) 0.3 アグネスタキオン
5. 27 東京 東京優駿 GI 18 8 18 2.3(1人) 1着 角田晃一 57 芝2400m(重) 2:27.0 (35.6) -0.2 ダンツフレーム
8. 19 札幌 札幌記念 GII 9 7 7 1.3(1人) 3着 角田晃一 54 芝2000m(良) 2:00.5 (34.6) 0.4 エアエミネム
10. 21 京都 菊花賞 GI 15 7 13 2.3(1人) 4着 角田晃一 57 芝3000m(良) 3:07.6 (34.2) 0.4 マンハッタンカフェ
11. 25 東京 ジャパンC GI 15 4 6 4.2(2人) 1着 O.ペリエ 55 芝2400m(良) 2:23.8 (34.9) 0.0 テイエムオペラオー
2002. 3. 17 阪神 阪神大賞典 GII 9 8 8 2.2(2人) 2着 小牧太 58 芝3000m(良) 3:08.2 (34.6) 0.3 ナリタトップロード
4. 28 京都 天皇賞(春) GI 11 6 7 3.5(3人) 2着 武豊 58 芝3200m(良) 3:19.5 (34.0) 0.0 マンハッタンカフェ
11. 24 中山 ジャパンC GI 16 5 10 4.2(3人) 5着 武豊 57 芝2200m(良) 2:12.5 (35.3) 0.3 ファルブラヴ
12. 22 中山 有馬記念 GI 14 6 9 4.5(3人) 7着 藤田伸二 57 芝2500m(稍) 2:33.9 (35.9) 1.3 シンボリクリスエス

特徴[編集]

東京競馬場との相性がよく、重賞ばかり3戦3勝であった。一方、中山競馬場では3戦3敗で、すべて連対を外している。左回りの直線の長いコースに向く反面、コーナーワークがやや不器用で加速が遅く、小回りコースに弱いというトニービン産駒の特徴が成績上に表れている。不幸にも、同馬が古馬になった2002年は、改装工事のため東京競馬場でGIが行われず、得意の東京競馬場で走ることができなかった。

表彰[編集]

  • 2001年年度代表馬
  • 2001年最優秀3歳牡馬

種牡馬入り後[編集]

引退後は社台スタリオンステーション種牡馬生活に入った。トニービンの後継種牡馬として期待されており、サンデーサイレンス系の繁殖牝馬との配合例も多い。2007年には231頭に種付けを行い、この種付け頭数は当年の日本国内で3位を記録した。

産駒は2006年にデビューし、なかでもフサイチホウオーは無敗で重賞を3連勝する大活躍を見せた。その全妹トールポピーは2007年の阪神ジュベナイルフィリーズ2008年優駿牝馬(オークス)を制し、初のJpnI勝利馬となった。また、オウケンブルースリが2008年の菊花賞を制し、産駒の牡馬による初クラシック制覇となった。

2003年のシーズンオフからはシャトル種牡馬としてニュージーランドで繋養され、産駒もセリなどで高い評価を受けている。なお、2007年は馬インフルエンザの影響でニュージーランドへの入国が拒否されたため、8月7日に出国しオーストラリアハリロッジサラブレッズで繋養されることになった。種付料は8800豪ドル(約90万円)。

南半球での産駒は2006年12月13日に初勝利を挙げた。シャトル先のニュージーランドでは、ジャングルロケット2009年ニュージーランドオークスを制して、産駒が海外重賞およびG1競走初勝利を記録している。

産駒は父のトニービン産駒が苦手とした京都で好成績を残し、下級条件ではダートを主戦場とする馬も輩出している。反面、下級条件では坂のあるコースで成績が劣る面もある。

年度別種牡馬成績(中央+地方)[編集]

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2006年 28 63 5 8 139 1.02 1億1223万3000円
2007年 91 513 36 59 30 2.02 7億3797万0000円
2008年 173 1062 77 139 11 2.19 15億2573万9000円
2009年 222 1487 86 156 19 1.52 13億6155万2000円
2010年 277 1838 108 180 10 1.64 18億2824万1000円
2011年 357 2698 155 290 8 1.61 22億5037万8000円
2012年 376 3014 152 304 16 0.90 13億1076万7000円
2013年 350 3084 158 293 13 1.20 16億3970万5000円

主な産駒[編集]

太字はGI級競走

エピソード[編集]

フジキセキ
1995年にダービー馬確実と言われながらも、弥生賞後に故障を発生して引退したフジキセキとは騎手・調教師・担当厩務員・馬主がすべて同じだった。また、フジキセキが成し得なかったダービー制覇で、マスコミが「フジキセキの無念を晴らした」と大々的に報じている。
ウェブサイト
現役当時、馬主である齊藤四方司の「応援してくれるファンのためにお礼がしたい」という意向により、馬自身の公式サイト「ジャングルポケットワールド」(現在は更新終了)が運営されていた。

血統表[編集]

ジャングルポケット血統(ゼダーン系(グレイソヴリン系) / アウトブリード (血統表の出典)[§ 1]

*トニービン
Tony Bin 1983
鹿毛 アイルランド
父の父
*カンパラ
Kampala 1976
黒鹿毛 イギリス
Kalamoun *ゼダーン Zeddaan
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライフ Only for Life
Lorelei
父の母
Severn Bridge 1965
栗毛 イギリス
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette

*ダンスチャーマー
Dance Charmer 1990
黒鹿毛 アメリカ
Nureyev 1977
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
母の母
Skillful Joy 1979
栗毛 アメリカ
Nodouble Noholme
Abla-Jay
Skillful Miss Daryl's Joy
Poliniss F-No.11-g
母系(F-No.) 11号族(FN:11-g) [§ 2]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 3]
出典


外部リンク[編集]